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アートとフェミニズムは誰のもの? 光文社新書1268
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 光文社 |
| 発売年月日 | 2023/08/18 |
| JAN | 9784334100148 |

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アートとフェミニズムは誰のもの?
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商品レビュー
4.3
10件のお客様レビュー
あらすじ(光文社より)アートとフェミニズムは少なくない人びとから、よく見えていないのです。「よく見えていない 」とは、見ていて良い気がしない、というのもありますが、どちらかと言うと、そこにあることはわかっているのだけど、見通しが悪くてその実態がよく見えないということです。いわば、...
あらすじ(光文社より)アートとフェミニズムは少なくない人びとから、よく見えていないのです。「よく見えていない 」とは、見ていて良い気がしない、というのもありますが、どちらかと言うと、そこにあることはわかっているのだけど、見通しが悪くてその実態がよく見えないということです。いわば、アートとフェミニズムは、(中略)入門したくてもしにくい「みんなのものではないもの」なのです。 (「はじめに」より) もともと、「みんなのもの」になろうとするエネルギーを持っているアートとフェミニズム。現代社会では両者に対する理解の断絶が進んでいる。この状況に風穴を開けるには――。美 学研究者による新しい試み。(https://books.kobunsha.com/book/b10125243.html) フェミニズムはこれまでもいろいろ勉強してきてて、アートは勉強はじめな私にもちょうど良いくらいの情報量で興味深く読めた。もっと知りたいと思えたのでよし。 女性の描かれ方、女性がアーティストとしてアートの世界に入ること、そしてそれに抗した女性アーティストたちの力強い表現手法、3つの観点でフェミニズムとアートを相互に読み解く。 アーティゾン美術館『彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術 Echoes Unveiled』を観に行った後に読む本として良かった。 以下、引用 このように、アート作品のなかで、女性は怪物だけでなく、人間以外のもの、例えば、妖怪、魔女などといった空想上の生き物、あるいは「諸悪の根源」や未開、自然などといった概念の象徴、時には肉や器といった物質、そして女神や聖母などの役割を担わされてきました。 「そこそこ多様性あるじゃん」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、これらはすべて、この図式のなかでは下位・周縁クラスに位置付けられます。 こうした作品はアーティストたちが女を「よそ者化」してやるぞ!と意気込んで、社会の「よそ者化」意識を高めるために描いたというよりは、当時、主流となっていた考え方を反映したにすぎません。その絵画が発端だ、というわけではないのです。(p.120) 当時、画家は男性であれば、男性のヌードモデルを描くことができましたが、女性の画家は男性モデルも、男性の石膏像も、使うことは許されていません。ましてや、ほかの男子学生と同じ部屋で、男性モデルの裸体をまなざし、描くことなどもってのほか。けしからんことこの上なし、とされました。ここでは「まなざし」の主体になれるのは男性だけ。「見る/見られる」の性役割によって女性はアーティストとしての競争にエントリーする権利を奪われていたのです。(中略) このように、女性だけが「絵にされる」ことは、見る権利を奪われ、見られる対象としての役割を押し付けられてきたことを示しています。そして、それは「絵のなか」に終わらず現実として、女性の学ぶ権利を奪っていたのです。(p.154) ローリー・アンダーソンのこの作品は、このような不快かつ恐怖の経験を克服するためのもので、彼女は、この作品に「Object/Objection/Objectivity」というサブタイトルをつけています。このような場面では、声をかける側の人物にとって、声をかけられた側は単なるモノ (object)でしかなく、アンダーソンはこうした声かけに異議申し立て(objection)するために相手にカメラを向けて相手を撮影という状況に巻き込み対象物(object)にします。 そうした構造を、客観性(objectivity)を伴った記録を作品として発表したのがこの作品なのです。(p.222) だからこそ、フェミニズムでは、抑圧者が「不快に感じる」という理由でずーっと逆に不快な思いをさせられてきた女性たちが中心となって、社会や社会化された個人を不快にするという手を使います。また、「黙ってられるか」「わきまえてやるもんか」と怒りを表明する方法は、フェミニズムだけでなくあらゆる被差別的な属性(人種や民族、性的指向、性自認、障害など)による差別を押し付けられてきた人々による運動の原動力でした。 こうした差別はいま、この瞬間にもどんどん蓄積されているのであり、「いま、ここに社会の不都合や不具合がある!」ということを知ってもらう必要があります。いわば、この叫びや喚きは、救急車のサイレンのようなもの。「叫びや喚き」といった不快な声であることには必然性があるのです。(p.232)
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時にアートは意図としては、崇高な意図を紡いだとしても、作用として鑑賞者の心に搾取を感じさせたりすることがある。 上位グループから差別を受ける方のグループは「交換可能な数合わせのお飾り」として見られることがある。 男性グループからの不快な声掛けについて すごく鮮明な記憶がある ...
時にアートは意図としては、崇高な意図を紡いだとしても、作用として鑑賞者の心に搾取を感じさせたりすることがある。 上位グループから差別を受ける方のグループは「交換可能な数合わせのお飾り」として見られることがある。 男性グループからの不快な声掛けについて すごく鮮明な記憶がある 中学生のとき、クラスのヤンチャな男の子が 性的な言葉を沢山覚えて、その言葉で女子生徒をからかっていた。よりアブノーマルな性的な言葉を知っている男の子の方が上位にいけたし、ヒエラルキーが上だった。 性的な言葉を言えない男の子は陰キャラにさせられて、ヒエラルキーが下になってしまうから、コミュニティに属するため、自分の居場所を作るために、彼らは性的な言葉を口にしていた。 その空気が私にとってはたまらなく不快で、なぜ不快なのか?うまく言語化出来ていなかったけれど、本書を読んで分かったことは、自分が性的に搾取されているのが不快だったと分かった。 人間として、勉強したりスポーツしたり何かを考えたりすることよりも私の身体のことしか見られていないのでは?という理解し合えなさそうなところが悲しかった。 分かり合いたいというこの気持ち自体 叶わない理想なのかな?と思ってしまう。 ある程度、そんな性的な言葉をいなすことのできる 強い女子生徒は、うまく付き合っていたし、早めに彼氏がいた印象。 フェミニズムの本を沢山読んできたけれど 本を読んだ数と人生経験が積み重なって 今、やっとトラウマを一つ言語化出来た気がする 人生は本を読むことと体験をすることの両輪なんだなあと感じる タコツボの中で自分達の世界の話だけで気持ちよくなってしまっていてはいけない 社会を変えるためには タコツボの外にいる人に分かるように伝えていく必要があると気付く (社会の様々なことはタコツボの外にいる人が決めて行っているから)
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アートの歴史に男性至上主義がまかり通ってたことさえ知らなかった。 有名な絵画に女性が多く描かれているのは承知していたが、興味もあまりなかったことから深く考えていなかった。 そのことに気づくことができる名著。
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