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いなくなっていない父
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 晶文社 |
| 発売年月日 | 2023/04/25 |
| JAN | 9784794973542 |
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いなくなっていない父
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商品レビュー
4
13件のお客様レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
図書館にて。 いなくなりがちな失踪癖のある父が、いなくなってないのでこの題名、不思議だがすごくこの本の内容にしっくりくるいいタイトルだと思った。 こういう、状況把握と解決能力のない人っている。 普通の人はそれを簡単にできる、あるいは大変だけれどせざるを得ないから頑張るし、やるしかない。 だけどその両方ができないあるいはしない、もっといえば必要なことが分からない。 この場合で言えば失踪することでお茶をにごすというか解決しようとしてる?それともただ逃げてる? …ということを筆者も父について一生懸命理解しようとするし、どういうことなのか考える。 それがすごくまじめで優しいと思った。 どうしようもないと許容し、その上でわかろうとする感じ。もっと怒ってもいいだろうし、肉親ならではの嫌悪感もあったりしそうなのに。 写真を撮るということは、撮る人というのは物事を客観的に深く考えられる人なのではないだろうか。 橋本一子さんの本を読んだ時も思ったが、写真を撮るように人を見ている見方が、そうではない人と違うのかもしれない。 とりあえずお父さんを被写体としてたくさん写真を撮り、父自身にも日々の生活を撮ってもらったりして時間が過ぎていく。 終始、筆者はどこか淡々と俯瞰しているようであり、父自身もフィルターのかかったような目線で不思議なたたずまいだ。 ラスト近く、筆者の出す父との関係の答えともとれる、題名にもつながる1文はいいなと思った。 「父が私のことを完全に拒絶するようなことはこれまで一度もなかった。父はたしかに何度もいなくはなったが、何度も戻ってきていて、結局いまのところ完全にはいなくなってはいない。今となっては、父の方から先に親子関係の放棄ともとれるようなことをしてくれたのは、息子である私にとってありがたいことだったのではないかという気にさえなっている。(256ページ)」
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自分のこと、家族のこと、人のこと、どれひとつとっても解らないことだらけで、でもそれが気持ち悪かったり許せなかったりして意味とか意義とかを当てはめたりしがちなのに、この本で出てくる人々はみんな耐性があるというか属性なのか解らないけどとにかく「解らない」ままで受け入れているというか、...
自分のこと、家族のこと、人のこと、どれひとつとっても解らないことだらけで、でもそれが気持ち悪かったり許せなかったりして意味とか意義とかを当てはめたりしがちなのに、この本で出てくる人々はみんな耐性があるというか属性なのか解らないけどとにかく「解らない」ままで受け入れているというか、解らないままで周囲をぐるぐるしているというか。その佇まいが、私には新鮮だった。窮屈にならず、時にはそういうモードであってもいいのにと、すぐに結論を出したがる自分を振り返っていた。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
『いなくなっていない父』 失踪癖のある父親の写真を撮り続ける著者のエッセイ。著者の金川さんは父の写真を撮り始める前は「家族観」のようなものに囚われ、少し苦しんでいたように感じる。「いろんなことが面倒くさくなってそこから逃げ出したくなることなんて誰もが一度は思うこと。」「父は父、私は私であり、父には失踪する自由がある」と思いながらも、父であるという関係性故に父の失踪について思い悩み、父の人生に介入していく。 それが父の写真を撮ることで被写体とカメラマンの関係性になり、父が何を思っているか気にならなくなっていく。大げさに言えば、自分の価値観が社会の「家族観」に破壊されなくなっていく。そして最終章では自分の価値観に沿った家族を作り生活している描写がなされる。 これは優しさの話でもあると思う。例えば友達から「うちの彼氏モラハラなんだよね〜」という相談を受けて「絶対別れたほうがいいよ!」と答える構図に近い。これが全く関係ない他人でも「絶対別れたほうがいいよ!」と答えられるだろうか。「別れたほうがいいと思うけど言ったらおせっかいだよなあ」と思わないだろうか。優しさとおせっかいは関係性のグラデーションで変化していく。 僕達はみんなひとりひとりで関係性も他人と他人であるという以上のものはないはずなのに、(ましてや家族なんて自分で選び取った関係性ではないから友人よりも他人に近いはずなのに)社会通念的な関係性の中に人との関係性を押し込めて(あるいは擬態して)暮らしている。 とりとめもない文章になってしまった。「家族ってなんだろうか」「他人とそれ以外の人の線引きってどこにあるんだろうか」といった問をゆるく考えるきっかけとなった。 > きつく 抱きしめても > 二つにしかなれないから > 少しだけ 長く > 触れ合うと 言葉より > 君のことを知れる気がした > 『肌』星野源
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