1,800円以上の注文で送料無料

小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える 集英社新書1152
  • 中古
  • 書籍
  • 新書

小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える 集英社新書1152

片岡大右(著者)

追加する に追加する

小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える 集英社新書1152

定価 ¥1,078

440 定価より638円(59%)おトク

獲得ポイント4P

在庫あり

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 集英社
発売年月日 2023/02/17
JAN 9784087212525

小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか

¥440

商品レビュー

3.5

13件のお客様レビュー

レビューを投稿

2024/06/14

読んで良かったす 偶然にも「なぜ働くと本が読めなくなるのか」を読んだあとだったのが良かった。 読書にはノイズ(自分と関係がない情報)が含まれ、必要な情報に簡単にアクセスできる現代では避けられるようになった、というのが「なぜ働くと〜」の結論だった。 本書は冒頭で「複雑なことを複雑な...

読んで良かったす 偶然にも「なぜ働くと本が読めなくなるのか」を読んだあとだったのが良かった。 読書にはノイズ(自分と関係がない情報)が含まれ、必要な情報に簡単にアクセスできる現代では避けられるようになった、というのが「なぜ働くと〜」の結論だった。 本書は冒頭で「複雑なことを複雑なまま伝えることが必要」という言葉で始められ、これが読書だけが担える役割であって、現代のポストトゥルースの甘受、あるいは無意識的享受に対抗し得る手段であると思えた。 本書で扱う問題は、ファクトチェックが進んだ現在でも、「シンプルに丸めて」理解しようとすればするほど氏にとって不利な材料が多い点が一層インフォデミックを加速していると感じた(当人が行っていないと釈明した行為を除いた上で、他のいじめに近い行為があった事実。被害者証言の不足等)。 それでも、全てに目を通すと「他人には短い時間でこの問題の是非を伝えることは難しいけど、自分の中で一つケリはつけられた」と思えたし、様々なネット記事の通覧では得られなかったであろう読後感であった。 特に、雑誌の意図的なプロデュースや2ちゃんコピペに端を発するブログ記事、ブログ記事参照の炎上発端ツイート、毎日新聞によるツイートの取り上げの一連の流れとその詳細なファクトチェックは、注意すべき一事例として参照の価値があると感じた。

Posted by ブクログ

2024/02/17

人文学者の手によるインフォデミック糾弾の書。僕は著者のような小山田圭吾の特別な信奉者というわけではないが、若い頃、パーフリから「Fantasma」まではそこそこ熱心な聞き手だったし、そこから20年以上も経たのちに持ち上がった件の「いじめ」報道と炎上騒ぎには心底辟易していた。ただ僕...

人文学者の手によるインフォデミック糾弾の書。僕は著者のような小山田圭吾の特別な信奉者というわけではないが、若い頃、パーフリから「Fantasma」まではそこそこ熱心な聞き手だったし、そこから20年以上も経たのちに持ち上がった件の「いじめ」報道と炎上騒ぎには心底辟易していた。ただ僕の抱いた疑念は著者のそれとは全く違い「なんであの小山田圭吾ともあろう者が『オリンピックの楽曲制作担当』などという名誉職を引き受けたのだろう?」というものだったけれど。念の為に申し添えれば僕はボランティアにも参加したオリンピック賛成派で、それ自体は全く無害な催し(であり、それ以上のものではない)だがそれに付着している栄誉やら何やらは本当にくだらないと思っている。そこに唐突に加えられた小山田圭吾という強烈な色彩が、オリンピックのその無害さとどうにも相容れないものに思えただけだ。  そういうわけで、本書の第3章までの内容にはさほど共感することができなかった。確かに当時の邦楽ジャーナリズムが欲するように方向づけられてしまった面は否定できないだろうが、この奇矯なイメージづけで小山田が得たものもそれなりに大きいように思えるのだ。当時の小山田は、繊細で美麗な楽曲のコンポーザでありながら、攻撃的で非道徳的な面を併せ持つ一種理解し難い奥深さを持つアーティストとして認識されていた。そこに例のROJ・QJの一連の記事は一定の貢献をしたと言っては本当に過剰なのだろうか。それが反ヒューマニズムであるとして糾弾の対象となる度合いが、この数十年で大きく変動してしまったのは本当に不幸なことだが。 ただ、第4章の内容にはかなりシンパシーを感じた。自分の経験に照らしても、自分が「いじめている/いじめられている」まさにその時は、自分が「いじめる側/いじめられる側」にいるという意識は確かに希薄だ。しかしいったんそのような状況が閉じられた後で、それは「いじめ」や「パワハラ」であるという外部からの指摘ないし定義づけに接すると、そこではじめて「あれはいじめだったのだ」という明確な認識を持ったりする。他人が同様の状況(本書の言葉を借りればある種の「構造」)のもとで経験したエピソードに触れることで、自らの経験を事後的にその文脈で容易に捉えなおしてしまうのだ。  これはつまり「他人の人生を生きる」ということだ。自らに固有の感性に基づくのではなく、他人の経験や批評を介してでしか自分の人生を評価できなくなってしまう。これは確かに著者のいうとおり由々しきことであり、奔逸する情報があまりに多すぎて、個々の情報を自らの経験に基づいて吟味する暇もなく脊髄反射に反応することを余儀なくされている我々が容易に嵌りがちな陥穽だと言える。「自分がエコーチェンバーの中にいるかどうか」は事後的にしかわからず、その外に出てみて「自分はエコーチェンバーに囚われていたのだ」と初めて認識できる。これはまさに「いじめ」の経験の図式と全く相似ではないか!「いじめ」と「エコーチェンバー」に同一の構造が隠されていることを喝破した、この著作は小山田圭吾のファンならずともぜひ一読すべきものだと思う。

Posted by ブクログ

2024/01/06

キーワードは「物語」ということかなと思った。音楽における雑誌・ジャーナリズムが小山田圭吾を「いじめの主犯」というイメージで飾る。そのイメージ/バイアスに沿って記事が作られ、それを補強する記事が新たに生み出され、それがコピペとなって手軽に(ファクトチェックを怠ったまま)シェアされる...

キーワードは「物語」ということかなと思った。音楽における雑誌・ジャーナリズムが小山田圭吾を「いじめの主犯」というイメージで飾る。そのイメージ/バイアスに沿って記事が作られ、それを補強する記事が新たに生み出され、それがコピペとなって手軽に(ファクトチェックを怠ったまま)シェアされる。「いじめ」という言葉に飛びつき、そこから正義感を燃え上がらせた人たちに恐怖するのはもちろんだ。だが、そうしたジャーナリズムが生み出す「物語」の魔性の力にぼくはどれだけ自覚的であるか。新手の「いじめ」や「渋谷系」試論としても読める

Posted by ブクログ

関連商品

同じジャンルのおすすめ商品

最近チェックした商品