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「幕府」とは何か 武家政権の正当性 NHKブックス1277
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | NHK出版 |
| 発売年月日 | 2023/01/25 |
| JAN | 9784140912775 |
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「幕府」とは何か
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商品レビュー
2.8
5件のお客様レビュー
この態度はなんなの
持説が通らないとすぐ他人を批判し自分の論理を押し通そうとする 学生なら絶対こんな先生に教えてもらいたくないな 性格態度が本を通して著ており終始自慢話になり胸糞悪くなった
麒麟
・武家政権誕生の原点を一大消費地としての京都に求めるのが筆者の考え。 ・院政期に入ると家父長の権限が強化され、イエの財産が集積される。すると大荘園領主の集住する京都周辺では財産保全のための武力が必要になる(ちなみに摂関政治期はいかに自分の娘を入内させるかが重要なので系図は横に伸び...
・武家政権誕生の原点を一大消費地としての京都に求めるのが筆者の考え。 ・院政期に入ると家父長の権限が強化され、イエの財産が集積される。すると大荘園領主の集住する京都周辺では財産保全のための武力が必要になる(ちなみに摂関政治期はいかに自分の娘を入内させるかが重要なので系図は横に伸びる傾向にあるが、院政期はいかに自分の息子にイエを継がせるかが重要なので系図は縦に伸びる傾向にある)。 ・また、京都はすぐに食糧不足が発生する脆弱な都市で、京都への流通確保を優先課題とする王権ができる(都市王権論)。 ・1133-1135年の飢饉では、稀少となった物資を海賊が強奪したことも相まって京都は飢饉状態になった。海賊を討伐する追討使として白羽の矢が立ったのが瀬戸内に権力基盤を持つとともに日宋貿易にも乗り出していた平忠盛だった。 ・そう考えると、彼に続いて日宋貿易を推進し、福原遷都を敢行した子・清盛の権力伸長も忠盛路線の拡張になる。また、都市王権にとって東側の最重要の地であった伊勢・伊賀を押さえたという意味でも、平家政権誕生の最大の画期は忠盛の追討使再任に求められる。 ・1184年の寿永二年十月宣旨が畿内に物資をもたらし、都市王権を維持するためのものとするならば、それは義経の擁する武力によって実効性が担保されたことになる。 ・武家の世界は貴種である鎌倉殿とパーソナルな主従関係を結ぶことに強く規定されていたため、北条氏は権力の正当性の根拠として法や合議制を必要とした。 ・承久の乱によって鎌倉幕府が全国支配の正当性を得たとする通俗説は誤りであり、乱に勝利したことで新たに正当性の説明責任が生じたと考えるのが妥当。 ・泰時が御成敗式目をはじめとする幕府法の整備によって正当性の更新に成功したとすれば、次なる危機は1246年の宮騒動に求められる。名越光時は前将軍・九条頼経を反・北条氏嫡流の結集核として擁した。時頼は抵抗勢力を一掃し、徳政路線・合議制路線を選択。 ・北条氏が直面した第三の危機はモンゴル襲来であった。1284年に時宗が没すると、安達泰盛は大きな負担が課された九州地方に重点的な保護を加えて政権の正当性を確保する弘安徳政を敷いた。 ・1285年、安達泰盛が平頼綱によって滅ぼされる霜月騒動が起きる。安達泰盛が一般御家人の代表、平頼綱が北条氏の御内人とする構図が通説だが、安達泰盛が北条氏の外戚であり、寄合の主要メンバーであることから泰盛が得宗権力の公方的側面を担い、平頼綱が得宗権力の御内的側面を担う説が提唱されている。 ・1293年の永仁の大地震の混乱の中で平頼綱は子息を将軍に擁立するクーデター(平然門の乱)を企て、北条貞時によって誅殺される。貞時は徳政路線の象徴たる引付を廃止して専制化したように見えたが、安定せず、まもなく引付は復活した。 ・14世紀初期、後醍醐天皇は飢饉への救済策を通じて都市王権たることに依拠して正統性を示す。一方で足利直義は統治的支配を重視。 ・1368年、義満政権の誕生とともに日本列島は緩やかな国境意識とともに東西に分割された。 ・信長は神仏や天皇といった中世的権威・既存の価値観を否定せず、統合したという意味で革新的ではなく、近年の学説でも信長を足利幕府の枠内で説明しようとするのが一般的。 ・秀吉のスラム・クリアランス(勧進者たちの凋落と排斥)は、異質なものを包摂する不透明な社会から排除する透明な社会への転換を意味した点で、中世から近世への転換の核心といえる。 ・中世では「公」が多元的に存在するが、近世になると「公」が重層的な性格をもつようになる(将軍→大名→代官→領民と「公」から「私」へ)。
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鎌倉幕府の成立が1192年から1180年代のどこかに変更になったことに興味があった。 なんと、将軍の存在が幕府に必須条件でないからだと記載があり驚きとともになるほどでもあった。 書籍として後半の主張は少しわかりにくかったが、このような見方を示されたことに今後の考え方に役立つと思っ...
鎌倉幕府の成立が1192年から1180年代のどこかに変更になったことに興味があった。 なんと、将軍の存在が幕府に必須条件でないからだと記載があり驚きとともになるほどでもあった。 書籍として後半の主張は少しわかりにくかったが、このような見方を示されたことに今後の考え方に役立つと思った。
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