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リベラルアーツ 「遊び」を極めて賢者になる インターナショナル新書100
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リベラルアーツ 「遊び」を極めて賢者になる インターナショナル新書100

浦久俊彦(著者)

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リベラルアーツ 「遊び」を極めて賢者になる インターナショナル新書100

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 集英社インターナショナル/集英社
発売年月日 2022/06/07
JAN 9784797681000

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リベラルアーツ 「遊び」を極めて賢者になる

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商品レビュー

3.8

8件のお客様レビュー

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2025/11/21

メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1991495122220134489?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw

Posted by ブクログ

2025/08/14

本書は、リベラルアーツを「遊ぶためのわざ」と翻訳し、その活用までを論ずる。 まず先に本書は、その独自の翻訳の根拠(となる「印象」)を東西の「リベラルアーツ」的古典に求め、それは能動的であり、また絶対独自の「自」であることであり、また一方で自然科学(技術)人文科学(芸術)を繋ぐも...

本書は、リベラルアーツを「遊ぶためのわざ」と翻訳し、その活用までを論ずる。 まず先に本書は、その独自の翻訳の根拠(となる「印象」)を東西の「リベラルアーツ」的古典に求め、それは能動的であり、また絶対独自の「自」であることであり、また一方で自然科学(技術)人文科学(芸術)を繋ぐものである、という包括的な概念(遊ぶためのわざ)としてのリベラルアーツを定義している。そして、それは教養概念には必ずしも結びつかないとしつつ、「ソウゾウリョク」という果実をもたらすものであるとしている。 個人的な受け止めは主に三つ。 ひとつ。本書の主張するところには基本的に共感した。文明と文化の対比はちょっと意味わからんなと思いつつ、自分で掴み取った価値体系に基づいて「遊ぶ」心地で人生を歩むことは大事なことだと素直に思う。 ふたつ。しかしながら、教養主義への敵意が過剰なのはいただけない。 本書では「ソウゾウリョク」はリベラルアーツから得られる果実だとしているが、(たしかにそういう面も当然あるだろうが、)そのほかにも大前提としてのたしかな知識(・体験)の蓄積を要すると思っている。 著者は教養主義的な講義形式が画一化に繋がると思っているのか、大衆主義と結びつけて敵視しているように見えるが、そもそも教養主義自体が言わずもがな時代遅れのものであるから批判するまでもないし、一方でやはり知識を蓄積させる効能はあながち否定しきれないとも思うのだ。スノッブが嫌いなのは分かるが、批判の矛先がやや違う気がする。 みっつ。リベラルアーツがまず人生の哲学ならば、あくまでアレントとオルテガを引用してまで公共の一要素に位置付けるのには違和感がある。 もちろん、より良い市民社会を形成すべきであるのは言うまでもないが、本書はさすがに経済性を軽視しすぎていると思う。 衣食足りて礼節を知るの言葉とおり、残念ながら経済性を無視して社会の「礼」を語ることはできない。 つまり本書は、経済性の範囲外において重要な価値を示しているが、その分普遍性は限定的なのではないかという気がしている。 効率性を「大衆主義」に付随するものとして二元論的に敵視するのはちょっとやりすぎじゃないかと思う。経済の話は本書の範囲外と切り捨てるのは結構だが、結局それでは、教養主義的なスノッブとの差異化が難しいのではないか? 初めにも述べたが、個人の哲学としては頼もしく読んだし、その実践を含めて有意義であると思ったが、公共にまで話を広げるには少し論拠が足りない。

Posted by ブクログ

2024/10/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

【要旨】 「リベラルアーツ」という言葉を聞いて、一般的には大学の「一般教養」や「リベラルアーツ学科」と言うように、「教育」と結び付けられることが多い。しかし、著者は言う。リベラルアーツに教科書はない、と。 これからの時代は「答えのない時代」だと言われる。そのような時代を、生きるのに値する時代にしていくためには、知識偏重の教育ではなく、分野の枠に囚われず互いの領域をつないでいく力が必要だ。 それを養っていく力になるのがまさにリベラルアーツ。すなわち人生を「遊ぶ」こと。異なる文化に触れる、そして読書を通して時空を超えた旅をすること。そして、それにより自分自身の生きる世界の地図を描くことである。ただしその目的は設計図を定めて、可能性を狭めてしまうことではなく、身体ひとつでどこへでも行ける自分になることだ。 子供は、「知りたい!」という好奇心のままに遊ぶ。「遊び」の中から、自然と「学び」を得ていく。本来はこのように、「遊び」と「学び」の境界はない。そしてまた、そこに教科の境目など存在しない。そこに大人が勝手に境界を作ってしまっているのだ。いつまでも子供の持つ無邪気さを持ち続けていたい。 【心に残ったフレーズ】 知識という娯楽は飽きがこない。知るべきことは無限にあるから。楽しみと結びついた知識の働きは検索で代替できない。(「教養の書」戸田山和久著) 【感想】 我が娘が未就学児だった頃は、子供にはぜひ学びの楽しさを知ってほしくて、子供の興味の赴くままの活動を軸にした教育である、モンテッソーリ教育に大変興味を持った。時を経て、その娘も小学生。結局、モンテッソーリ教育とは縁がなく今に至る。娘は自我をより持つようになって、親として子供とぶつかることも多くなるにつれて、親にできることはあまりないのかな…と私の教育熱も下がりつつある。ただ、今回この本を読んで、大人が教えられることは決して多くないけれど、興味のあることをできるだけ多く経験させること、そしてうまく学びに導く(ファシリテートする)役割は持ち続けていかなくてはいけないと改めて思った。 そして、著者は「遊び」と「仕事」の境界を作らない、ということも言っている。つまり、自分のできることで、どのように役立てられるだろうと自由に考え、実践するということ。 「自分のできることで、どのように役立てられるだろう」と問うた時、「警察官」や「パイロット」と言うような、一言で簡潔に言い表せられるような、肩書きには必ずしもならないかもしれない。だが、それで良いのだと思う。大人は、子供が「何になりたいか」ではなく、「どのようなことで役立てられると思うか」、そういう問いかけをできるようになりたい。 そして、自分自身は、著者の言う「新世代」では、もはやないが、「旧世代」の人間の一人として、興味の赴くままに、いろいろな世界を覗き、世界を広げてゆく、そんな背中を「新世代」に見てもらえるようになりたい。

Posted by ブクログ