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この道 講談社文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2022/02/15 |
JAN | 9784065266342 |
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この道
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古井由吉の生前最後の連作小説集。静寂な世界。その世界に身を置くのが心地良い。老いとは何か、生きるとは何か、人生を閉じていくとは何か。そんなことを考えた。私は上手く老いを受け入れ、老いていくことが出来るだろうか。人生後半に入ったが自信がない。
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内向の世代に共通する傾向として 高齢化時代における晩年というものを 志賀直哉の心境小説スタイルで書いているのだが 古井由吉の場合は、たぶんだけど ドイツ哲学の影響がかなり強いように思う 「たなごころ」 病人の不意にもらした「石」についての述懐が いつしか作者じしんの思い出と重な...
内向の世代に共通する傾向として 高齢化時代における晩年というものを 志賀直哉の心境小説スタイルで書いているのだが 古井由吉の場合は、たぶんだけど ドイツ哲学の影響がかなり強いように思う 「たなごころ」 病人の不意にもらした「石」についての述懐が いつしか作者じしんの思い出と重なる 精神分析で言えば「対象a」 つまり大人になる過程で切り落とした全能感の欠片を ふと懐かしむ心情となろうか 若き作者はその「石」を諦めて置いてきたのであるが 年老いて死を目前にしてみると 拾おうが拾うまいが、同じことだったかもしれない 死ぬということはつまり 生まれる以前の状態に戻るということだからだ 「梅雨のおとずれ」 睡眠を死の疑似体験と捉えるならば 不眠症は、抑圧された死の恐怖がひきおこすものだ 作者の少年時代、腹膜炎で死にかけたときが不眠だった そして作中の2017年 東京五輪が終わるまで生きのびられるかどうか そんなことを思いながら、やはり不眠に悩んでいる 「その日のうちに」 朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足、といえば 有名なスフィンクスの謎掛けである これは、人間の一生を1日に置き換えた例え話であるが 物語のなかで 不吉の予兆を観客に印象づける伏線ともなっている この謎掛けにみごと答えたオイディプスは しかしその後、自らの出生の秘密を知り 罪にまみれた自らの一生を 一瞬にして追体験したのだと思われる これが永劫回帰である 永劫回帰の世界では一瞬と永遠が同義である 物語の結末には、何かしら救済を求められるものだが オイディプスは懺悔として自らの両目を潰した 賢者ぶっていた自分が、実は何も見えてなかったと示し さらし者になった それが、永劫回帰する世界の英雄には、救済だったんである ところが今や高齢化時代 物語が終わったあとも人は生き続けなければならない 「野の木」 やがて思い出すということ それはつまり過去が未来にあるということかしら ポストモダンは死の記憶 「この道」 人が人として生きるというのは 世界との一体化を拒否するということである これを示す事象としては 例えば雪の世界でゲシュタルト崩壊に見舞われたとき 雪かきの人が屋根から落ちてしまったりする 自分と世界の境界が曖昧になると 平衡感覚も失われるのだ ところが永く生きるにつれ、人は馴れていく 雪の中で食物が熟成するように やがて雪解けの頃には、死という現実にも馴れているだろう 「花の咲く頃には」 晩年というのはその人が生きた最後の年のことである しかしいつ死ぬか 正確なところは自分にもわからない だから人は常に、晩年となる可能性の年を生きているわけだ それを意識したとき、その人は死に先駆している 人を超越する空間と時間に向き合っている 「雨の果てから」 災いの前触れとして動物たちの騒ぎ出すことがある 生を超越した空間と時間に感応する能力が 動物たちにはあるのかもしれない 人間にもそういうことはあるけれど それはなにか 自分の正体を失うことで研ぎ澄まされた感覚のように思われる 人が正体を失って空虚になるとき 例えば、オイディプスが自らの不明を恥じたとき 彼は己の両目を潰して因果を完結させた それが運命と悟ったゆえの行動だが しかしそんなものは自己を英雄視した果ての ナルシズムのようにも思われる 真に研ぎ澄まされるとは 老いて自己愛を手放した抜け殻のような状態ではないだろうか 「行方知れず」 帰ってくる行方不明者もいれば 帰ってこない行方不明者もいる 行方不明にならない人は どこにも帰る場所がない しかし人生の旅に終わりがあるならば 我々はみな行方不明者のようなものか
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本著者の「聖」「栖」、「杳子」「妻隠」、「槿」と読み薦めてきて、図書館で借りた。 これまでの著作と異なりフィクションが展開される形の小説ではない。本著は著者の最晩年の作品であり、言葉が本当に丁寧に綴り込まれ、身体を病みながら死を意識して生きる著者の随想に触れることができる。 ...
本著者の「聖」「栖」、「杳子」「妻隠」、「槿」と読み薦めてきて、図書館で借りた。 これまでの著作と異なりフィクションが展開される形の小説ではない。本著は著者の最晩年の作品であり、言葉が本当に丁寧に綴り込まれ、身体を病みながら死を意識して生きる著者の随想に触れることができる。 綴り込まれた言葉を愉しむ一冊、おみごと。
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