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バカロレアの哲学 「思考の型」で自ら考え、書く
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 日本実業出版社 |
| 発売年月日 | 2022/01/28 |
| JAN | 9784534059031 |

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バカロレアの哲学
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バカロレアの哲学
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商品レビュー
3.4
9件のお客様レビュー
フランスでは哲学が必修科目となっていることは周知のことだが、その目的やバカロレア試験でどんな問題が出題されているのかまで知る機会はなかなか無い。そういった意味では、哲学教育の目的からバカロレアでの出題形式、解答の仕方に至るまで細かく解説されており、とても興味深い内容だった。 特...
フランスでは哲学が必修科目となっていることは周知のことだが、その目的やバカロレア試験でどんな問題が出題されているのかまで知る機会はなかなか無い。そういった意味では、哲学教育の目的からバカロレアでの出題形式、解答の仕方に至るまで細かく解説されており、とても興味深い内容だった。 特にアメリカ式のエッセイや日本の小論文には見られないが、バカロレア試験の小論文では重視されている「反対意見の尊重」という視点が新しいと感じた。哲学教育を通して、与えられた情報を鵜呑みにするのではなく、それとは異なる情報も等しく扱い吟味する姿勢を持つ。これは様々な情報が錯綜する現代において必要なスキルであると感じた。 著者も日本で哲学教育を行うべきとは考えてないと述べているように、哲学を学ぶ必要は高いとは言えないが、バカロレア試験で重視されているような批判的思考を身につけることは生きていく上で必要だと思った。
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アメリカや日本式のエッセイでは、自分の支持する意見をまず最初に書き、その論拠を三つ示し、最後で自分の支持する立場を再度結論として提示する方法がとられている。 しかしこれは、[正反合]の「反」と「合」が抜け落ち簡略化されたものにすぎない それに比べてバカロレア小論文の特徴は、反対意...
アメリカや日本式のエッセイでは、自分の支持する意見をまず最初に書き、その論拠を三つ示し、最後で自分の支持する立場を再度結論として提示する方法がとられている。 しかしこれは、[正反合]の「反」と「合」が抜け落ち簡略化されたものにすぎない それに比べてバカロレア小論文の特徴は、反対意見の尊重。 マルクスは「資本論」で、労働する人間が「外部の事物を自分の活動の器官として用い、その器官を自分自身の器官に付加することによって、自分自身の身体を拡張する」 つまり、穴掘りや採集に道具が使われているなら、それは労働となる。 カントにとっては、自然法則は決定論的な世界であり、道徳法則は自由意志を前提とする世界であり、両者を調停し、一つにまとめることはできない。 しかし、スピノザにとっては、人間を自然法則の例外とし、その自由を認めることはありえない。神に起源をもつ必然性の国家の中に、人間独自の秩序は存在し得ない 法律が正義であることを何が保障するのか。 モンテスキューは「法の精神」において、理性に照らし合わせて、個別の法律正当性が判断される。 権力の行使が法律に基づいて行われたとしても、その法律が自然権に背くものであれば、権力の行使と正義の尊重は両立されてない。 自然権とは「人間のうちには、属する社会に完全には隷属してしまうことのない何かがあること」を指し示すもの。 正義とは「合法的であり、公平であるもの」byアリストテレス
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フランスでは高校の卒業試験で、バカロレア哲学試験というのがあるという。フランスの高校では、哲学を勉強するんだね。 そういえば、前に内田樹の本でそういう話、読んだ。 戦後、フランスでも高校で哲学を学ぶことの是非が検討された。 高校で哲学やんなくていいんじゃない?って。...
フランスでは高校の卒業試験で、バカロレア哲学試験というのがあるという。フランスの高校では、哲学を勉強するんだね。 そういえば、前に内田樹の本でそういう話、読んだ。 戦後、フランスでも高校で哲学を学ぶことの是非が検討された。 高校で哲学やんなくていいんじゃない?って。 そのとき、議論に一石を投じたのが内田氏が師と仰ぐ、エマニュエル・レヴィナス。 「子どもにはミルクを与えるべきだ。ステーキを与えるべきではない」 と、逆説的な発言をして、かえって哲学を学ぶことを促したとかいう話だ。この場合、もちろんステーキは哲学を表している。 お前らに哲学はまだ早い、といわれたら、子どもの側はかえって、そんなおいしいものがあるなら食べさせろとなるよね、という故事。 実際のところ、フランスと日本で高校生に特段の差があるわけではなく、哲学の授業といっても、よほどのエリート志向の子でもないかぎり、そう身を入れてやるものではないようだ。 哲学のバカロレア試験で問われるのは、 「労働はわれわれをよい人間的にするか?」 とか 「権力の行使は正義の尊重と両立可能なのか?」 といった、あぁまさに哲学、という問題だ。これに対して、フランスの高校生は2時間かけて答えるのだという。 なぜ哲学を学び、こうした試験にこたえられるようにするのか。 そこに、「市民」となるための思考の型を学ぶことが期待されているからだ。 前述のような問題について、「私はこう思う」なんてエッセイは求められていない。 学術論文が、序論、方法、結果、考察という型にのっとって書かれるように、哲学のバカロレア試験でも一定の型にのっとった解答が求められる。 型の例としては「はい」と「いいえ」両方の立場から考え、最終的に自分はどちらに与するかという展開があげられていた。両方の立場から考えるのにも、歴史的背景であったり、知識を前提とした論理的な組立が求められる。 印象に残ったのは「はい」と「いいえ」それぞれの立場から考えるということは、自分とは異なる立場の人の身になって考えることだという話でね。 現代社会において、「市民」に求められるのは、他者の思考を理解し、そことコミュニケーションをはかる能力だというのが考えさせられた。 日本の政治、社会状況ってそういうのができてないとか、わかってないなぁということいっぱいあるから。 政権をとったら次の選挙まで何をしてもいい、という感覚は、「権力の行使は正義の尊重と両立可能なのか?」という問いに対して、「はい」と「いいえ」の立場に立って、歴史的な経緯をみながら考えた経験があれば、言えないし、そんなふうにはふるまえないだろうなぁと思う。
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