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父のビスコ
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父のビスコ

平松洋子(著者)

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父のビスコ

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 小学館
発売年月日 2021/10/26
JAN 9784093888417

父のビスコ

¥880

商品レビュー

4.3

11件のお客様レビュー

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2025/02/05

初読みの平松洋子さんのエッセイ。落ち着いた文章で、比喩表現が巧みでした。彼女の父親の影響もあるような気がしました。〈父のどんぐり〉の中で、鰻重を食べて「柔らかい宝石を食べている心地がする」という表現にセンスのよさを感じました。なかなか言えない言葉です。この言葉の背景が書かれた〈父...

初読みの平松洋子さんのエッセイ。落ち着いた文章で、比喩表現が巧みでした。彼女の父親の影響もあるような気がしました。〈父のどんぐり〉の中で、鰻重を食べて「柔らかい宝石を食べている心地がする」という表現にセンスのよさを感じました。なかなか言えない言葉です。この言葉の背景が書かれた〈父のビスコ〉が、同じような経験をした私にとっては、とても印象深かったです。 平松さんが郷里の倉敷について、三世代に渡る記憶を紡いだこの本に出会えてよかったです。倉敷のことをなにも知らなかった私が、大いに興味を持ちました。

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2025/01/12

平松洋子さんはわたしの親世代。 小さい頃の家族の話を読むと、きちんとした家庭で幸せそうだなあと思う。わたしは祖父母に会ったことがない(みんな短命だった)けど、父や母は幼い頃こんな生活をしていたのかなあとちょっとだけ考えたりする。 わたしももう父を亡くしているので、「あんなことも...

平松洋子さんはわたしの親世代。 小さい頃の家族の話を読むと、きちんとした家庭で幸せそうだなあと思う。わたしは祖父母に会ったことがない(みんな短命だった)けど、父や母は幼い頃こんな生活をしていたのかなあとちょっとだけ考えたりする。 わたしももう父を亡くしているので、「あんなことも知らない、こんなことも知らない、もう知れない」という切なさに襲われることがある。母には色々聞いておきたいと思いつつも、いざとなると聞きたいことも浮かばず、あまり帰れてもいないことに気づく。

Posted by ブクログ

2023/05/28

2月の平松洋子さんの講演会で、日本各地の美味しいものをレポートしてきた平松さんに「岡山の美味しい食べ物を教えて下さい」という質問が出た。 「なかなかその質問に答えるのは難しいんです。というのは、私は岡山では滅多に店で食べなかった。私の味の記憶は全部家庭料理なんです。あの酢の物の味...

2月の平松洋子さんの講演会で、日本各地の美味しいものをレポートしてきた平松さんに「岡山の美味しい食べ物を教えて下さい」という質問が出た。 「なかなかその質問に答えるのは難しいんです。というのは、私は岡山では滅多に店で食べなかった。私の味の記憶は全部家庭料理なんです。あの酢の物の味。柔らかくて、記憶と繋がっているから。だから、岡山と言えばママカリと言われるけど、みんなママカリ食べて生活してないよ。それに各家庭で多分微妙に味が違う。瀬戸内の文化はお酢が独自です。特に砂糖の使い方。」などと答えた。 あゝそうかもしれない。本書で岡山の郷土料理「祭り寿司」について述べた項で、平松家では「ばらずし」あるいは「おすし」と言って運動会や秋祭りに作っていたという(←うちでも全く同じ)。酢飯の上に置くのは酢〆の魚、殻ごと茹でた海老、穴子、干し椎茸、干瓢、高野豆腐、レンコン、サヤエンドウ、錦糸玉子と、うちとほぼ同じ。煮イカは入らなかったなぁ。「もし本当に祭りずしに出会いたいなら、季節の頃合いを狙ってどこかの家庭に潜り込み、御相伴に与るしか手がない」という。もっとも、現代岡山では作ったことのない家庭の方が多いだろうけど。 平松洋子さんは、まるで昨日食べたように子供の頃の「美味しいもの」の味を再現する。アキアミの塩辛、内田百閒が好物だった「大手饅頭」、倉敷市民ならば、と「むらすずめ」ことを書く。「笠を被って豊年踊りを踊る姿を羽をひろげて稲穂に群がるすずめに見立てた」と初めてその名の謂れをを知った。一度見たら忘れられない倉敷の銘菓である。秋祭りのすいんきょという被り面の「こわいもの」の思い出と綿あめの記憶。 平松洋子さんの家は、おそらく倉敷駅と倉敷美観地区の間の住宅地にあった。1964年に新築の家に引っ越したらしい。その2年後に私の家族も新築をしたので、いろんな所で「同じだ、同じだ」と思ってしまった。応接間に揃えられたソファとテーブル、油絵、赤レンガを埋め込んだ飾り棚、新品の風呂場(それまでは薪を焚き付けて風呂を沸かしていたのに)、そしてみかん風呂。お父さんは日曜大工で鉄棒を作った。うちのお父さんはコンクリートを固めて重量あげ棒を作った。なんだろ、この共通点は? 2018年7月7日の朝、平松洋子さんはテレビを見てすぐに倉敷市中心部のマンションに住むお母さんに電話する。真備町が小田川決壊で湖のようになった西日本豪雨の日である。倉敷川は少しの氾濫で済んだ。小田川決壊がなければ危なかったことは後で分かる(それは私の家の周りでも同じだ)。7月21日から平松洋子さんは数回に分けて真備町に出かけて、その被害の様をレポートしてくれている。私も15日には災害ボランティアに行っているので、平松レポートの真摯さは分かる。既に倉敷市民も忘れかけているので、ここに書籍として記録があることは、記憶しておきたい。 また、旅館くらしきの先代女将さんの丁寧な私家版記録を再掲している。大原美術館の陶芸館ができた時に、旅館くらしきに集まった面々の豪華さに目が眩むようだった(バーナード・リーチ、富本憲吉、河井寛次郎、濱田庄司、棟方志功、芹沢銈介、外村吉之介、大原総一郎)。昭和36年。未だ彼らは生き集っていた。改めて大原美術館はすごい所なのである。 私たちの世代は、戦後も終わったと言われて高度成長期にスクスクと育った時代である。自伝的作品を描いてもそんなに読ませる材料は無い、と私は思ってきた。けれども抜群の味覚記憶を持つ平松洋子さんのような自伝も有り得るのだと思わせてもらった。私には、自分を振り返るには、良い本だった。

Posted by ブクログ