![中先代の乱 北条時行、鎌倉幕府再興の夢 中公新書2653](https://content.bookoff.co.jp/goodsimages/LL/001971/0019713150LL.jpg)
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中先代の乱 北条時行、鎌倉幕府再興の夢 中公新書2653
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2021/07/19 |
JAN | 9784121026538 |
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中先代の乱
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商品レビュー
3.8
22件のお客様レビュー
逃げ上手
いまやマンガで話題沸騰の北条時行。
さるのみ
鎌倉幕府滅亡後の建武政権期に起こった中先代の乱とその前後の歴史の流れの中での北条一族についてが描かれている。 北条時行についての資料があまり無いようで時行についてはそこまで描かれていない。
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建武の新政への不満を背景として、北条時行は建武二年(一三三五年)に北条氏の残党を率いて信濃から蜂起した。上野国から武蔵国と関東平野の正面から攻め込み、鎌倉を占領し、足利直義を追い出した。時行は北条高時の遺児であり、鎌倉幕府滅亡時に逃げのびていた。 これは中先代の乱と呼ばれる。こ...
建武の新政への不満を背景として、北条時行は建武二年(一三三五年)に北条氏の残党を率いて信濃から蜂起した。上野国から武蔵国と関東平野の正面から攻め込み、鎌倉を占領し、足利直義を追い出した。時行は北条高時の遺児であり、鎌倉幕府滅亡時に逃げのびていた。 これは中先代の乱と呼ばれる。この呼称は後の時代につけられたものである。鎌倉幕府を先代、室町幕府を当代とし、その間のため、中先代となる。時行を中先代と呼ぶことは支配者としての正統性が認識されていたことになる。北条氏を後醍醐天皇に滅ぼされた逆賊とする皇国史観は存在しなかった。北条氏の正統性の意識があったからこそ、戦国時代に後北条氏が名前を利用した。 足利尊氏は時行を討つために自分を派遣することを後醍醐天皇に再三要請したが、尊氏の自立を怖れた後醍醐は許可しなかった。業を煮やした尊氏は無断で関東に出兵した。後醍醐は追認で尊氏を征東将軍に任命した。 尊氏は出陣すると破竹の勢いで中先代の乱を鎮圧した。時行の敗因は建武の新政に不満を持つだけの寄せ集めの軍勢だったことである。鎌倉幕府滅亡時に北条方の有力な将は死に絶え、この時点で残っていなかった。それ故に形勢不利と見るや足利方に寝返る者が多数出た。 その後も時行は戦い続け、短期間であるが合計三回も鎌倉を奪還した。南北朝の内乱では南朝の武将として足利方と戦った。執権北条氏は持明院統を支え、大覚寺統の後醍醐天皇に滅ぼされた。尊氏が持明院統を奉じると時行は南朝で戦う。当時の人々にとって皇室は利用する神輿に過ぎなかった。 皇室は仇として憎しみの対象とする価値もなかった。これは後白河院や後鳥羽院の保身第一の無能公務員体質が影響しているだろう。後白河院は源義経に源頼朝追討の宣旨を出しながら、義経が敗れると取り消した。後鳥羽院は承久の乱を起こしたが、幕府軍に敗れると北条義時追討の宣旨を取り消した。 時行は南朝方の武将として新田義貞の次男の新田義興(にったよしおき)とも共闘して鎌倉を奪還している。義貞は鎌倉幕府を滅ぼした武将であるが、それよりも時行にとっては足利尊氏が主敵だったのだろう。
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