中先代の乱 の商品レビュー
逃げ上手
いまやマンガで話題沸騰の北条時行。
さるのみ
鎌倉幕府の滅亡から二年後…最後の得宗北条高時の遺児、北条時行が、鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐政権に対し、鎌倉幕府再興をはかって起こした反乱、中先代の乱(なかせんだいのらん)。中先代は北条氏を「先代」、足利氏を「当御代」と呼び、その中間にあたる時行を「中先代」と称したと紹介されている。...
鎌倉幕府の滅亡から二年後…最後の得宗北条高時の遺児、北条時行が、鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐政権に対し、鎌倉幕府再興をはかって起こした反乱、中先代の乱(なかせんだいのらん)。中先代は北条氏を「先代」、足利氏を「当御代」と呼び、その中間にあたる時行を「中先代」と称したと紹介されている。この中先代の乱を鎌倉幕府成立から時行の南朝での活躍と最期までを解説する図書。漫画『逃げ上手の若君』から興味を持ったが、ネタバレを知っちゃった感じ。面白かった。漫画は今後、どう展開するんだろう…
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時系列に沿って、詳細な資料検討が行われた事が伝わってくる一冊 中先代の乱だけではなく、その前後の流れまで書かれているので入門としてオススメ
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中先代の乱前後の情勢や人物の動向を「詳細に」学びたい、と言うなら良い本かもしれない。 だが、引用や細かい補足などのカッコ書きが多く、また一つの出来事に対する様々な説やそれに対する批評も多いので、全体感を掴むのが難しい。 従って「少し興味がある」程度で読み進めるのはかなり苦痛。 ...
中先代の乱前後の情勢や人物の動向を「詳細に」学びたい、と言うなら良い本かもしれない。 だが、引用や細かい補足などのカッコ書きが多く、また一つの出来事に対する様々な説やそれに対する批評も多いので、全体感を掴むのが難しい。 従って「少し興味がある」程度で読み進めるのはかなり苦痛。 流れをザッと知りたいという私のような人にはそもそも向いていない本。
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中先代の乱について、時代背景からその意義に迫る本。 中先代の乱自体は早々に鎮圧されるため、足利尊氏が後醍醐天皇との確執を生むきっかけになったというくらいしか認識していなかった。しかしそこには鎌倉幕府滅亡前から続いていた持明院統と大覚寺統の複雑な権力構造、足利氏に反感を持つ御家人の...
中先代の乱について、時代背景からその意義に迫る本。 中先代の乱自体は早々に鎮圧されるため、足利尊氏が後醍醐天皇との確執を生むきっかけになったというくらいしか認識していなかった。しかしそこには鎌倉幕府滅亡前から続いていた持明院統と大覚寺統の複雑な権力構造、足利氏に反感を持つ御家人の思惑などさまざまな利害関係が結集したターニングポイントとも言える。 特に北条時行が当初持明院統(北朝)の将軍を立てることで鎌倉幕府の再興を狙い、それが不可能になったことで後醍醐天皇側につく流れは新しい知見となった。 資料があまりにも少ないこの事件ではあるが、丁寧に史料を紐解いていけばここまで推察ができるということが歴史学の苗字であろう。
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鎌倉幕府滅亡後の建武政権期に起こった中先代の乱とその前後の歴史の流れの中での北条一族についてが描かれている。 北条時行についての資料があまり無いようで時行についてはそこまで描かれていない。
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建武の新政への不満を背景として、北条時行は建武二年(一三三五年)に北条氏の残党を率いて信濃から蜂起した。上野国から武蔵国と関東平野の正面から攻め込み、鎌倉を占領し、足利直義を追い出した。時行は北条高時の遺児であり、鎌倉幕府滅亡時に逃げのびていた。 これは中先代の乱と呼ばれる。こ...
建武の新政への不満を背景として、北条時行は建武二年(一三三五年)に北条氏の残党を率いて信濃から蜂起した。上野国から武蔵国と関東平野の正面から攻め込み、鎌倉を占領し、足利直義を追い出した。時行は北条高時の遺児であり、鎌倉幕府滅亡時に逃げのびていた。 これは中先代の乱と呼ばれる。この呼称は後の時代につけられたものである。鎌倉幕府を先代、室町幕府を当代とし、その間のため、中先代となる。時行を中先代と呼ぶことは支配者としての正統性が認識されていたことになる。北条氏を後醍醐天皇に滅ぼされた逆賊とする皇国史観は存在しなかった。北条氏の正統性の意識があったからこそ、戦国時代に後北条氏が名前を利用した。 足利尊氏は時行を討つために自分を派遣することを後醍醐天皇に再三要請したが、尊氏の自立を怖れた後醍醐は許可しなかった。業を煮やした尊氏は無断で関東に出兵した。後醍醐は追認で尊氏を征東将軍に任命した。 尊氏は出陣すると破竹の勢いで中先代の乱を鎮圧した。時行の敗因は建武の新政に不満を持つだけの寄せ集めの軍勢だったことである。鎌倉幕府滅亡時に北条方の有力な将は死に絶え、この時点で残っていなかった。それ故に形勢不利と見るや足利方に寝返る者が多数出た。 その後も時行は戦い続け、短期間であるが合計三回も鎌倉を奪還した。南北朝の内乱では南朝の武将として足利方と戦った。執権北条氏は持明院統を支え、大覚寺統の後醍醐天皇に滅ぼされた。尊氏が持明院統を奉じると時行は南朝で戦う。当時の人々にとって皇室は利用する神輿に過ぎなかった。 皇室は仇として憎しみの対象とする価値もなかった。これは後白河院や後鳥羽院の保身第一の無能公務員体質が影響しているだろう。後白河院は源義経に源頼朝追討の宣旨を出しながら、義経が敗れると取り消した。後鳥羽院は承久の乱を起こしたが、幕府軍に敗れると北条義時追討の宣旨を取り消した。 時行は南朝方の武将として新田義貞の次男の新田義興(にったよしおき)とも共闘して鎌倉を奪還している。義貞は鎌倉幕府を滅ぼした武将であるが、それよりも時行にとっては足利尊氏が主敵だったのだろう。
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建武政権の樹立後に起きた「北条与党の反乱」「西園寺公宗の陰謀事件からの中先代の乱」「鎌倉合戦」「南朝下での北条一族」について詳細に語られ、北条時行の動向がうっすらだが分かり、なんと鎌倉占領を三度も果たしている。「廿日先代」が「中先代」になった経緯だが、著者は過去、尊氏が時行を破り...
建武政権の樹立後に起きた「北条与党の反乱」「西園寺公宗の陰謀事件からの中先代の乱」「鎌倉合戦」「南朝下での北条一族」について詳細に語られ、北条時行の動向がうっすらだが分かり、なんと鎌倉占領を三度も果たしている。「廿日先代」が「中先代」になった経緯だが、著者は過去、尊氏が時行を破り鎌倉を占領したと同時に「当御代」となり遡及して時行を「中先代」との見解と記憶するが記載がないのは一般書ゆえか?持明院統の親王を将軍として担いできた執権一族は、持明院統の天皇を抱き将軍位に着く足利家をどう思ったのだろう(2021年)
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結果的に足利尊氏が建武政権から離脱するきっかけとなり、歴史的にも大きなターニングポイントになった中先代の乱は、個人的にとても興味があり、とても興味深く読みました。 ただいかんせん、残されてる資料が少ないので、状況証拠などからの推論に頼らざるを得ないのは、しょうがないかもしれない。
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中先代の乱 教科書に載っている事象ながら、概要にとどまることが多い事象。 最新の研究等が載っており、非常に為になる。 しかしながら、作者の推測が多いのが気になる。 研究史の整理としては良い一冊ではないかと思う。
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