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関ヶ原への道 豊臣秀吉死後の権力闘争
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 東京堂出版 |
発売年月日 | 2021/05/27 |
JAN | 9784490210514 |
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関ヶ原への道
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豊臣秀吉の死去から関ヶ原の西軍決起に至る、豊臣政権内の権力闘争の実像が論述された一冊。家康の権力奪取が進行する過程と、それへの抵抗として西軍が形成される背景が興味深い。補論として小山評定の実否論争が整理されているのも助かる。
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徳川家康が会津征討で進軍中に石田三成が挙兵した。これを家康が想定していたかについて諸説ある。 第一に織り込み済みであり、これを機に反徳川の大名を一挙に倒して徳川の天下を確立しようとした。伝統的な通説である。 第二に三成の挙兵は想定していたが、毛利輝元や宇喜多秀家、三奉行も西軍にな...
徳川家康が会津征討で進軍中に石田三成が挙兵した。これを家康が想定していたかについて諸説ある。 第一に織り込み済みであり、これを機に反徳川の大名を一挙に倒して徳川の天下を確立しようとした。伝統的な通説である。 第二に三成の挙兵は想定していたが、毛利輝元や宇喜多秀家、三奉行も西軍になり、大阪城が占拠されることまでは想定していなかった。想定以上に西軍が大軍になって狼狽したとする。 第三に全く想定していなかったとする。家康の戦略は五大老各個撃破であった。最初は前田利長を家康暗殺容疑の冤罪で討伐しようとした。利長が母を人質にして屈服すると、次は上杉景勝に上洛を強要し、断ると謀反の冤罪で討伐しようとした。五大老を各個撃破して独裁権力を確立する方針であり、一度に複数の大名を相手にする博打は避けていた。 家康のところには最初から全貌が伝わらず、順次情報が入っていった。最初は三成と大谷刑部吉継の反乱として伝わった。輝元や三奉行の離反は後から伝わった。家康は最上義光への書状で不利な情報を伏せずに、家康の認識をそのまま伝えていた(水野伍貴『関ヶ原への道 豊臣秀吉死後の権力闘争』東京堂出版、2021年、207頁)。不利益事実を隠さずに伝える姿勢は好感を持てる。 三成だけでは西軍が大軍になることはなかった。その理由も幾つかある。 第一に大谷吉継プロデュースの功績である。三成と吉継は刎頸の交わりである。吉継は、らい病(ハンセン病)を患っていた。茶会で三成と吉継が同席した際に吉継の茶碗を三成が飲み干したことがある。 第二に輝元や秀家が積極的であったとする。家康が利長、景勝と順次滅ぼしていくことに危機感を抱いて家康排除に立ち上がった。
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