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功利主義 岩波文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2021/05/18 |
JAN | 9784003900048 |
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功利主義
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功利主義
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「幸福」とは何か。人はどうするば幸福を高められるか、感じられるかについて考える時間を与えてくれる本。 「満足した豚であるよりも不満足な人間であれ」とは有名な言葉だが、この一言が全てを表していると言っても過言では無い。 また、幸福を得るために人はどう動くか、その行動の原動力は何か...
「幸福」とは何か。人はどうするば幸福を高められるか、感じられるかについて考える時間を与えてくれる本。 「満足した豚であるよりも不満足な人間であれ」とは有名な言葉だが、この一言が全てを表していると言っても過言では無い。 また、幸福を得るために人はどう動くか、その行動の原動力は何かなど、根っこの部分まで分析をしていく。 また、本の後半では個人の幸福度だけではなく、社会全体の幸福度の高まりについても触れられている。 その中で徳を積もうとする行動の原動力は外的なものと内的なものに分かれるとも説いている。 少し心理学のような論文であるとも感じさせられる、まさに経済学とは経済だけにあらず、さまざまな学問と繋がっていることを教えてくれる一面もある本。
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1863年刊。 有名で、現在はしばしば悪評も高いベンサムのスローガン「最大多数の最大幸福」というアレに代表される「功利主義」の考え方について、あれやこれやと弁明を試みる著作。 私自身、「最大多数の最大幸福」というスローガンは目下大嫌いで、あれを浅はかに理解し利用し、多数者の...
1863年刊。 有名で、現在はしばしば悪評も高いベンサムのスローガン「最大多数の最大幸福」というアレに代表される「功利主義」の考え方について、あれやこれやと弁明を試みる著作。 私自身、「最大多数の最大幸福」というスローガンは目下大嫌いで、あれを浅はかに理解し利用し、多数者のためなら少数者を虐待しても良い、多数決で決まったら少数意見はことどとく蹂躙して良い、といった暴虐につながりかねないからだ。 ミルがどのようにこれを擁護するかというと、「効用」は人間の獣的な欲望の部分で測るべきはなく、すこぶる知的な・十全に道徳的な心性において最大限に長期的な視野に立って測るべきものだ、とするのだ。 だがこのような弁明は、ルソーが民主主義というものを十分に育成され知的に熟成された民の高度さを欠くべからざる大前提としているのに似ていて、現実とは大きく乖離せざるを得ないのではないか。実際の大衆というものは、もっと怠惰で、ワガママで、短絡的で、知的に劣悪な存在に過ぎないことを現実の歴史が明かしているのではないか。だから自由も民主主義も、本書で称揚される「効用」も、ことごとく劣化していき、解体してゆくほか無いようにさえ思える。 大海原を延々と漂流する救命ボートに5人の飢えた人間が乗り、何日間も食料を得られなかったとする。そのうちの、たとえば最も体力の弱い者を他の4人で殺害し、その人肉を食することによって4人の延命を図るべきなのか。5人もろともに死ぬよりも、1人が死という最大の不幸に追いやられてさえ、4人という多数が助かる可能性があるのだから、これを良しとするのか。 ミルならここで人間というものは人肉を食した経験を後半生において後悔し、ずっと夢にさえ見てさいなまれることになるだろうから、結局は幸福につながらない、と指摘しそうである。だが、現在の世論の一部は、4人の延命を支持しそうだ。すこぶる倫理的な問題を迫ってきたコロナ禍において、どうせ先の長くない老人が多少死んだって構わないから、若い者たちで社会の経済を栄えさせ楽しもうぜ、という主張の一派は少なくない。むしろそのような暗黙の主張がどんどん強まってきていると感じる。「最大多数の最大幸福」というスローガンは、結局はこのような帰結に至るのだ。そして、あの新自由主義という野蛮さにも。 従って、いかにミルが弁明しようとも、功利主義そのものを規範の核心とすることには私は危険性を感じてしまう。ボートの中の弱い1人を殺害するくらいなら、全員がおとなしく死を甘受するべきだと私は考える。
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ミルが晩年に、功利主義の考え方についてまとめた本です。功利主義は、現代においても誤解や先入観によって批判的に捉えられることが多いですが、当時(1860年代)のイギリスにおいても、同様でした。本書は、想定される批判を潰していくという形式を取っており、当時の風当たりの厳しさを肌で感じ...
ミルが晩年に、功利主義の考え方についてまとめた本です。功利主義は、現代においても誤解や先入観によって批判的に捉えられることが多いですが、当時(1860年代)のイギリスにおいても、同様でした。本書は、想定される批判を潰していくという形式を取っており、当時の風当たりの厳しさを肌で感じ取れます。 ミルはまず、既存の倫理上の2つの学派として、「直覚主義学派」と「帰納主義学派」の2つを取り上げます。直覚主義学派というのは、道徳の原理は明らかにアプリオリ(最初から決まっている)という考え方です。一方の帰納主義学派は、観察と経験から道徳を決定しました。一見真逆の道徳観ですが、道徳は原理から導き出さなければならないと考えている点は共通です。しかし、この2学派は、その原理を列挙したり、共通の根拠に還元したりはしませんでした。これに対して、功利主義の新しさは、「最大幸福原理」という単純な原理を持ち出したことです。 効用(utility)とはなんでしょうか。これは、快楽や苦痛でないことに加え、精神的な喜びもひっくるめた、幸福全般を指します。ミルに言わせると「満足した愚者よりも満足していないソクラテスがよい」のであり、精神的な喜びは重要です。で、功利主義(utilitarianism)は何かというと、すべての人の効用の総和を最大化すること基本原理とする考え方です。シンプルですね。功利主義においては、自己犠牲の精神や禁欲主義は否定されます。他の人々のために自分の善を犠牲にすることは素晴らしいことですが、犠牲それ自体を善と考えるわけではないんですね(これ、現代では受け入れられると思うんですが、当時のキリスト教の文化背景を考えると結構ショッキングなはずです)。 道徳と功利主義の関係性を見ていきましょう。人々の行為は、一般的に道徳に従って行われます。道徳は慣習的なものになっていて、ある種、神聖化されており、拘束力も大きいです。このように、「道徳→行為」と見方が自然に思えますが、ミルは道徳を二次的原理と見ます。じゃあ一次的な、根本の原理は何かというと、効用の原理なわけです。効用の原理という一般原理があって、そこから二次的原理である道徳が生み出され、行為につながる、と考えます。 個人の効用の最大化ではなくて、社会の効用の最大化を目指すことについては、少し論理の飛躍があります。これに対して、ミルは「一体感」という説明をしています。社会が形成されていない野蛮状態においては、個人の効用を追求した方が良いように思います。しかし、社会的な絆が強化されると、他の人々の幸福に配慮することは、自分の個人的利益にもつながるようになります。そして、自分の感情を他の人々の幸福に重ねるようになる。これを一体感と呼んでいます。そして、一体性の感情は、教育のもたらした迷信とか、社会の権力が押し付けた専制的な規範ではなく、自分達の幸福に欠かせない特性であるとしています。 また、認められるべき権利とはなんでしょうか。ミル流に読み解いていくと、権利とは、自分の所有するものを、法の力や教育と世論の力によって保護するよう社会に要求するのは当然と考えられることを指します。例えば、ある人がタピオカ屋を営んでいて、年間2000万円の売り上げがあったとします。翌年、全然売れなくて売り上げが500万円だったとしても、差額の1500万円を補償しろっていうのは話になりませんよね。他方、1000万円の債券の利子5%が不払いになった際には、これは50万円の支払いを求める権利がありそうです。だってこの権利を認めないと、誰も債券を購入してくれなくなって、金融市場が成立しません。権利は、それが認められることが社会全般の効用のためなるから認められるのです。 全体を通じて、功利主義はとても分かりやすいし、しっくりくる方は多いと思います。とくにぼくのバックボーンは経済学なので、すでに功利主義に染まっていた感もあります。ただ個人的には、「一体感」のところは弱いかなと思いました。一体性の感情がアプリオリだと言っていいのか。一体性の感情があってほしいからそういう教育をしているんだ、という説明の方が現実的じゃないのかなと。
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