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功利主義 岩波文庫
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功利主義 岩波文庫

J.S.ミル(著者), 関口正司(訳者)

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功利主義 岩波文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2021/05/18
JAN 9784003900048
関連ワードJ.S.ミル / 関口正司 / 教養・雑学(文庫)

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商品レビュー

4.3

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2025/01/06

大学の講義の課題として選んだ。抽象的で自分としては難解な部分も多かったので、理解したとは言い難いが、功利主義の良さと、曖昧な部分を学べた。批判されていることに対する反論を述べる部分が多かったが、確かに批判していることもわかるし、反論している部分もわかる。道徳基準としては、答えを出...

大学の講義の課題として選んだ。抽象的で自分としては難解な部分も多かったので、理解したとは言い難いが、功利主義の良さと、曖昧な部分を学べた。批判されていることに対する反論を述べる部分が多かったが、確かに批判していることもわかるし、反論している部分もわかる。道徳基準としては、答えを出すということ自体難しいと再認識させられた。低級な満足と高級な満足など、面白い考え方が多くて面白かった。

Posted by ブクログ

2024/09/26

「幸福」とは何か。人はどうするば幸福を高められるか、感じられるかについて考える時間を与えてくれる本。 「満足した豚であるよりも不満足な人間であれ」とは有名な言葉だが、この一言が全てを表していると言っても過言では無い。 また、幸福を得るために人はどう動くか、その行動の原動力は何か...

「幸福」とは何か。人はどうするば幸福を高められるか、感じられるかについて考える時間を与えてくれる本。 「満足した豚であるよりも不満足な人間であれ」とは有名な言葉だが、この一言が全てを表していると言っても過言では無い。 また、幸福を得るために人はどう動くか、その行動の原動力は何かなど、根っこの部分まで分析をしていく。 また、本の後半では個人の幸福度だけではなく、社会全体の幸福度の高まりについても触れられている。 その中で徳を積もうとする行動の原動力は外的なものと内的なものに分かれるとも説いている。 少し心理学のような論文であるとも感じさせられる、まさに経済学とは経済だけにあらず、さまざまな学問と繋がっていることを教えてくれる一面もある本。

Posted by ブクログ

2022/04/20

 1863年刊。  有名で、現在はしばしば悪評も高いベンサムのスローガン「最大多数の最大幸福」というアレに代表される「功利主義」の考え方について、あれやこれやと弁明を試みる著作。  私自身、「最大多数の最大幸福」というスローガンは目下大嫌いで、あれを浅はかに理解し利用し、多数者の...

 1863年刊。  有名で、現在はしばしば悪評も高いベンサムのスローガン「最大多数の最大幸福」というアレに代表される「功利主義」の考え方について、あれやこれやと弁明を試みる著作。  私自身、「最大多数の最大幸福」というスローガンは目下大嫌いで、あれを浅はかに理解し利用し、多数者のためなら少数者を虐待しても良い、多数決で決まったら少数意見はことどとく蹂躙して良い、といった暴虐につながりかねないからだ。  ミルがどのようにこれを擁護するかというと、「効用」は人間の獣的な欲望の部分で測るべきはなく、すこぶる知的な・十全に道徳的な心性において最大限に長期的な視野に立って測るべきものだ、とするのだ。  だがこのような弁明は、ルソーが民主主義というものを十分に育成され知的に熟成された民の高度さを欠くべからざる大前提としているのに似ていて、現実とは大きく乖離せざるを得ないのではないか。実際の大衆というものは、もっと怠惰で、ワガママで、短絡的で、知的に劣悪な存在に過ぎないことを現実の歴史が明かしているのではないか。だから自由も民主主義も、本書で称揚される「効用」も、ことごとく劣化していき、解体してゆくほか無いようにさえ思える。  大海原を延々と漂流する救命ボートに5人の飢えた人間が乗り、何日間も食料を得られなかったとする。そのうちの、たとえば最も体力の弱い者を他の4人で殺害し、その人肉を食することによって4人の延命を図るべきなのか。5人もろともに死ぬよりも、1人が死という最大の不幸に追いやられてさえ、4人という多数が助かる可能性があるのだから、これを良しとするのか。  ミルならここで人間というものは人肉を食した経験を後半生において後悔し、ずっと夢にさえ見てさいなまれることになるだろうから、結局は幸福につながらない、と指摘しそうである。だが、現在の世論の一部は、4人の延命を支持しそうだ。すこぶる倫理的な問題を迫ってきたコロナ禍において、どうせ先の長くない老人が多少死んだって構わないから、若い者たちで社会の経済を栄えさせ楽しもうぜ、という主張の一派は少なくない。むしろそのような暗黙の主張がどんどん強まってきていると感じる。「最大多数の最大幸福」というスローガンは、結局はこのような帰結に至るのだ。そして、あの新自由主義という野蛮さにも。  従って、いかにミルが弁明しようとも、功利主義そのものを規範の核心とすることには私は危険性を感じてしまう。ボートの中の弱い1人を殺害するくらいなら、全員がおとなしく死を甘受するべきだと私は考える。

Posted by ブクログ