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NHK100分de名著ブックス 人生論ノート 三木清 孤独は知性である

岸見一郎(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 NHK出版
発売年月日 2021/04/23
JAN 9784140818541

NHK100分de名著ブックス 人生論ノート 三木清

¥825

商品レビュー

3.7

4件のお客様レビュー

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2023/09/30
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※このレビューにはネタバレを含みます

・文庫本というスタイルを発案したのが三木清! ・「欲しがりません勝つまでは」というスローガンに表れるような、自己犠牲や滅私奉公を美徳とする風潮が人々の心に影を落とし始めていた。 ・幸福を求めることに良心の呵責を覚えるようなことがあってはいけない。 ・成功と幸福は別物。その違いを三木は次のように対比しています。成功は「直線的な向上」として考えられるが、幸福には「本来、進歩というものはない」。また、幸福が「各人のもの、人格的な、性質的なもの」であるのに対し、成功は「一般的なもの、量的に考えられ得るもの」であり、純粋な幸福は「各人においてオリジナルなもの」だが、近代の成功主義者は「型としては明瞭であるが個性ではない」。 ・幸福はオリジナルなものなので、誰も真似することはできない。他方、成功は一般的で量的なものなので、模倣されたり、追随する人が出てくる。 ・感覚的、情緒的なものに訴えて人々を行動に駆り立てようとする、社会は非常に危険 〜〜 ・楽しむためには、傍観するのではなく、当事者として参加し、自ら作っていくことが必要 ・教養あるディレッタントの中には専門家以上に豊富な知識を持っている人もいますが、鑑賞したり知識を蓄えたりするだけではいけない。自ら創造することが重要。 ・多くのことを諦めたけれど、最後の最後に残ったものについて「これこそ自分が本当に希望していたものだ」と思えるのなら、どれほど多くの夢を諦めたとしても、夢を叶えた人生だといえるでしょう。逆に「あれもできなかった」「これもできなかった」と、いつまでも後悔する人は、今という時間や人生を棒に振っていることになります。諦めることが放棄することだとしたら、三木のいう「断念」は真の希望につながります。たとえ長く続けてきたことであっても、それが自分に向いていないと分かった時は、きっぱりと断念し、違う道を選ぶ勇気を持ちたいものです。 2章 ・虚栄は人間の存在そのものである。人間は虚栄によって生きている。 つづく

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2022/12/07

人生論ノート再読前テキストとして。 2017年が、三木清生誕120年にあたり、NHKで取り上げられたようです。その時解説された岸見さんの著書。ということは、後5年で130年ですねえ。 著者と同じく高校の時の何かの課題として手にしたことがあります。読みきれず、興味も持てずという思い...

人生論ノート再読前テキストとして。 2017年が、三木清生誕120年にあたり、NHKで取り上げられたようです。その時解説された岸見さんの著書。ということは、後5年で130年ですねえ。 著者と同じく高校の時の何かの課題として手にしたことがあります。読みきれず、興味も持てずという思い出しかないような。 ネットなどなく、情報が少なかった当時、戦争中であるため、言論弾圧をさけ、発禁処分を受けないように、わざわざ晦渋な書き方をしているだけで、一般向けの作品なんだよって、誰か私に教えてくれたかなあ。知ってたら、もう少し読んだと思うのだけど。 それでも、やっぱり読みにくい「人生論ノート」これは、優しい語りで良きテキストです。 そして、岩波書店で編集顧問をしていた三木清様が、日本に文庫本スタイルを導入されたと知れば、それだけでも、尊敬に値する業績ではありますまいか。 本書は、三木の人生、人生論ノート各項目、そして死について解説し、特別章として、「孤独は知性である」が寄稿されています。最近では、斉藤孝さん等が孤独の力を書かれてます。一人でいることは孤独ではないけれど、孤独に近づく手段ではあると。 孤独は町にあり、人と人の間にあると。

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2022/04/22

自分の居場所は、「ここではないんじゃないか?」 小学校入学式の日、教室でそう思ったことを覚えている。周りの新1年生達は、大声を出しはしゃいでいたが、僕は島から引っ越して来て、ランドセルが間に合わず、風呂敷きに筆箱を包み教室の端に座っていた。 教室には二人掛けの木の机が並び、一番...

自分の居場所は、「ここではないんじゃないか?」 小学校入学式の日、教室でそう思ったことを覚えている。周りの新1年生達は、大声を出しはしゃいでいたが、僕は島から引っ越して来て、ランドセルが間に合わず、風呂敷きに筆箱を包み教室の端に座っていた。 教室には二人掛けの木の机が並び、一番前の席の廊下側に僕は座らされていた。着物姿で行きかうソワソワした母親たちを見ていた。隣には、おかっぱ頭の女の子が胸に大きなリボンをつけて頭をくるくる回していた。先生が入ってきて、最初に僕の名前を読んだ。 「はい!」 と右手を挙げて答えた。一斉に他所から来た自分への視線を浴びた。ひとり風呂敷きを持つ自分が人と違うのが悲しいとも思わなかったが、ここじゃないんじゃないか?との、意識が芽生えたのを思えている。もちろん、その後、小さな町のひと学年90名の学校にはすぐに慣れた。50年経った今でも、その何人かとはよく会い酒を飲み、5年に1度の同窓会にはだいたい出ている。 小学校を卒業し、中学で「孤独」という漢字を習い、二度転校した。 「ここではないんじゃないか?」という気持ちは、「孤独」という意味なのではないかと思うようになった。中学、高校とサッカー、ラグビーと団体スポーツをやっていたから、常に男友達とワイワイ騒いでいたのだが、「孤独」という意識はあった。中学校3年の時に、サッカー部の友達と喫茶店かなにかの店に入り、その店にあった客が自由に書き散らすノートに、「孤独な人は連絡ください」と書いた。 思春期の頃は誰でもそう思うのかもしれない。 自分をわかってもらいたい、自分と同じような人に会いたい、と思い、仲間とつるみ、誰かを好きになるのかもしれない。そんな時、高校1・2年生だったと思うが、三木清の『人生論ノート』を読んだ。理由は、宿題か試験に出るからという理由だった。読後の感想などは覚えてないが、難しいことをわかりやすく伝えようとしている、という印象が残った。 時が経ち、常に集団の中で仕事をして、普通に家族も持ったが、「孤独」という意識は消えず、だんだんと馴染んできたのか、「孤独」も悪くないと思うようになった。むしろ、自分は「孤独」を望んでいることもわかってきた。 さらに時が経ち、僕は図書館長になり、経済学部の新しい図書館を視察することになった。新しい図書館の中には、古い本を集めた書庫があり、薄暗い中を案内してもらった。暗闇に木々が立つ森のように、本棚が並んでいた。 「電気つけますね」 司書さんの声と共に、本の背表紙が浮かび上がった。 「古くは、江戸時代くらいのものからあります」 背表紙の漢字やローマ字は難解で、ほとんどが読めなかった。中には、鎖国時代に持ち込まれたものもあるという。司書さんの説明に感心しながら、下の階に行くと、僕でも読めるような比較的新しい本が並んでいた。 僕は思わず「おー」と、声をあげて一冊の本を手に取った。 三木清の『人生論ノート』。 初版本だったかどうか忘れたが、かなり日に焼けて茶色くなったページには、あちこち線が引いてあった。戦前、1940年代に出版された本だから、昔の漢字や仮名が並んでいたが、読めるには読める。ページの隙間に、万年筆の青いインクが滲んだ文字があった。 「青春は、孤独だ」 本書は、NHKの番組『100分de名著』の番組解説本である。この番組は面白い。 ▼NHK「100分de名著」Webページ https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/ 1冊の本を3回にわたり解説するのだが、タレントの伊集院光さんが専門家へ質問するという形式だ。それを本にまとめているので、一般の人にわかりやすい。僕もこの本で初めて、三木清が哲学者であり、ベストセラー作家ということを知った。戦争に反対し、非業の死を遂げたことも知った。1ページ目に「今、再読する意味」とある。確かに、今、そうだ。いくつかの文を紹介する。 「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである」 「我々が孤独を超えることができるのは、その呼びかけに応える自己の表現活動においてのほかない」 なるほど。僕が文章を書くのは、孤独を超える自己表現活動なのだろうか。そう思えば、孤独も悪くはない。ホ~ホッホ~。フクロウもきっと孤独を愛している。

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