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幣原喜重郎 国際協調の外政家から占領期の首相へ 中公新書2638
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2021/04/19 |
JAN | 9784121026385 |
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幣原喜重郎
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近代日本を代表する外交官の評伝。戦前外務省の様子も垣間見えた。 幣原外交の内実が小村以来の英米協調・満蒙権益確保(ワシントン体制)に加え、小村譲りの正攻法外交なのは意外であった。外交の王道ではあるが、邪道中の邪道である国民党の革命外交に行動指針として硬直した幣原外交(内政不干渉・...
近代日本を代表する外交官の評伝。戦前外務省の様子も垣間見えた。 幣原外交の内実が小村以来の英米協調・満蒙権益確保(ワシントン体制)に加え、小村譲りの正攻法外交なのは意外であった。外交の王道ではあるが、邪道中の邪道である国民党の革命外交に行動指針として硬直した幣原外交(内政不干渉・英米協調・経済合理主義)は対応できず、亜細亜局(谷・重光)の現実主義的二国間交渉も不首尾に終わった結果、地域主義や「堅実に行き詰る」選択を余儀なくされたという印象は否めない。満洲事変前後での消極的態度も匙を投げていた証拠ではないかと考えていた。陸軍の強硬姿勢(中国の侮日姿勢への反発)が国際社会に認容されていた一線を越えてしまい、日本人として残念な気持ちになった。 戦後首相としての幣原は本書によると意外と保守的だった。平和主義の理念には賛同していたようだが、象徴天皇制や9条は想定外だったという。典型的な選良だった幣原は体制づくりやその管理には強いものの、相手が革命外交のような非合理的行動をしてくるとバグってしまい自分で決めた満蒙不干渉の指針(それ自体は優秀なのに)に従えなくなってしまったようにも見えた。硬直した姿勢は今の日本にも通じるところもあるかもしれない。 根底の満蒙観が幣原と亜細亜局で同じだった結果、より拡大主義的な亜細亜局に穏健主義の幣原も引っ張られたという意味では外務省内の多様性の欠如も問題であるとは思った。小日本主義者や小村欣一のようなより強固な国連主義者もいれば均衡があったかも。勿論組織の一体性とはトレードオフだが... 最初の方に出てきた駐米英国大使で歴史学者のブライスには感心した。以下抜粋 「外交技術は、長期的かつ歴史的な視座を持つこと、交渉相手国の国民性を観察すること、相手国への抗議による関係悪化の損失を見透すこと」 「些細な面目や一部の利害に拘って、大局の見地を見失ってはなりません」「国家の長い生命からみれば、5年や10年は問題ではありません。功を急いで紛争を続けていては、二進も三進もいかなくなります。外交官たるものはもっと長い目で国運の前途を見つめ、大局的見地を忘れてはなりません」 実際米国は自分で過ちに気づき、矯正している。至言
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幣原喜重郎は大正から昭和にかけての外務大臣であり,教科書的には米英協調・中国内政不干渉の「幣原外交」で知られていると思う.また日本国憲法を作った人としても知られているかもしれない。 本書でも,外務省入省ころから外務大臣を辞するまでと戦後の最初の総理大臣として日本国憲法の制定に関わ...
幣原喜重郎は大正から昭和にかけての外務大臣であり,教科書的には米英協調・中国内政不干渉の「幣原外交」で知られていると思う.また日本国憲法を作った人としても知られているかもしれない。 本書でも,外務省入省ころから外務大臣を辞するまでと戦後の最初の総理大臣として日本国憲法の制定に関わるときの2つ軸をメインに展開する. 前者に関しては「幣原外交」と呼ばれるようなものは実は存在せず,従来の外交方針が継続していただけであるという.それ以前は群雄割拠で混乱していた中国が一つの国家とまとまり,これまでの条約を破棄していくという中国による革命外交が日本政府(特に外務省)を混乱させたようだ.幣原は外務省の本流ではなく外務大臣としてイニシアティブを取れなかったのだという.官僚組織というものが混乱時にうまく機能しないというのは今日でもありうる問題である. 後者に関しては,幣原は現状のような憲法案は元々まったく考えておらず,それこそ米国側から強制されたものであるということだ.彼はあえて自分が作り出したかのように芝居を打って日本国憲法の価値を高めたということか.これはおそらく正しいだろう. 外交史料を読みあさったという著者ならではの説得力がある。よく知らないのだが松岡洋右より内田康哉が悪いように書かれている。
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本書は、今年没後70年になる幣原喜重郎(1872-1951)の評伝である。副題は「国際協調の外政家から占領期の首相へ」。戦前期の幣原は外交官として活躍し、外相を四度務めた。一度目は加藤高明内閣のとき。加藤が病死して次の若槻礼次郎(第1次)内閣も外相再任で二度目。そしてその後を襲っ...
本書は、今年没後70年になる幣原喜重郎(1872-1951)の評伝である。副題は「国際協調の外政家から占領期の首相へ」。戦前期の幣原は外交官として活躍し、外相を四度務めた。一度目は加藤高明内閣のとき。加藤が病死して次の若槻礼次郎(第1次)内閣も外相再任で二度目。そしてその後を襲った田中義一内閣が張作霖爆殺事件で倒れた後に成立した濱口雄幸内閣で三度目。その濱口が遭難して第2次若槻内閣でも外相留任で四度目となる。第2次若槻内閣が昭和恐慌の経済失政で崩壊した後は政界から引退し、引き籠もった。しかし、この1932年から45年まで政界の一線から身を引いたことが結果的には良かった。戦時中に日本外交の責任ある立場に立たされていたら、占領期の復活はまずなかっただろう。 本書は第1章から第3章までが外務省のなかで幣原がどういうポジションを経由しつつ次官まで至ったか、そして次官時代にもっともリーダーシップを発揮できたことが指摘されている。そのピークが駐米大使として参加した第1次大戦後のワシントン会議であった。ワシントン会議では太平洋・中国の平和を維持するために軍縮条約、四ヶ国条約、九ヶ国条約が結ばれ、以後の体制は「ワシントン体制」と呼ばれる。この「ワシントン体制」遵守が「幣原外交」の原理となっていった。ただし、英米協調・産業立国、あるいは満蒙特殊権益を重視しつつの英米協調という中身は「旧外交」にも見られる特徴であり、幣原外交はそれをウィルソンが提唱した「新外交」理念に沿いながら外交課題を位置付けたものであったことには留意しなくてはならない(p.90)。 第4章・第5章は幣原が外相として外交政策を担ったいわゆる「第1次幣原外交」「第2次幣原外交」とその間の「田中外交」を扱った章である。対外強硬策を採った「田中外交」(外務政務次官の森恪がシナリオを書いた)に対して「軟弱外交」とも称される「幣原外交」であるが、中身を見てみると幣原本人がその違いを強調するほど相違点は少なく、むしろ「田中外交」のほうが英米協調的であり、基本的には中国への内政不干渉政策を採っていたことが指摘されており、興味深かった(pp.131-133)。また幣原の外務省内の足場が「通商局」にあり、「亜細亜局」との対立によって外相のリーダーシップが貫徹していなかったことの指摘も重要であり、このことが結局のところ「幣原外交」挫折の大きな要因となったことは、本書全体に貫かれている《組織人としての幣原》という視角と深く関わっている。満洲事変を収拾できずに瓦解した「幣原外交」蹉跌の最大原因を、著者は東アジア情勢の劇的な変化、中国政局の流動化によるものと捉えている。つまりは中国の「革命外交」に翻弄されたのである。また経済重視の幣原外交にとって世界恐慌による市場の縮小も逆風となった。 第6章は1932年以降終戦までの時期で本書では一番短い。しかし、上にも書いたように実はこの時期に一線から退いていたことが、第7章、つまり占領期・日本国憲法制定時の幣原の活躍に繋がっていく。そして、この第7章が意外と(?)分量が多く、かつ面白かったのだが、要約するには面倒なので是非本書を一読いただきたい。あっという間にわかるのは、p.238に挿入された図であろう。 本書全体では、外交史料館所蔵の外交文書がふんだんに用いられており、新書というコンパクトな読み物ながら、重厚な内容に圧倒させられたのだが、決して読みにくいということはなく一般読者にもわかりやすい内容であったように思う。
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