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家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ 角川新書
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家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ 角川新書

信田さよ子(著者)

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家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ 角川新書

定価 ¥1,056

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 KADOKAWA
発売年月日 2021/03/10
JAN 9784040821030

家族と国家は共謀する

¥715

商品レビュー

4.2

18件のお客様レビュー

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2025/10/16

「個人的なことは政治的なこと」というのは有名なスローガンである。それと同様のことである「家族的なことは政治的なこと(国家)」というのが本書に常に流れる重奏テーマ。アディクションからDVに関わり、それが家父長的な、そしてジェンダー問題を背後に抱えていて、結局は戦争問題が解決ついてい...

「個人的なことは政治的なこと」というのは有名なスローガンである。それと同様のことである「家族的なことは政治的なこと(国家)」というのが本書に常に流れる重奏テーマ。アディクションからDVに関わり、それが家父長的な、そしてジェンダー問題を背後に抱えていて、結局は戦争問題が解決ついていないことから起こっていることを日常の臨床現場から解き明かす目から鱗の話。近年流行りのレジリエンスでなく、レジスタンスで、というのも臨床的には大事な視点と思った。

Posted by ブクログ

2025/05/25
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

とても面白かった。著者の口調がどこかいい意味でふてぶてしく、パンクな感じにすごく好感を持った。大きなものに萎縮せず、堂々と啖呵を切るような感じで、こういう知識人があと100人くらいいたら、日本社会のナラティブが変わるのになと思う。 臨床心理士と精神科の領域の棲み分けやアプローチの違いなど、あまり知らなかったことがわかり面白かった。 また、アメリカではベトナム戦争後の復員兵のトラウマ、その家族のDV被害から、精神科で診断基準ができ治療が進み始めたこと、一方日本では、戦後同様に復員兵とその家族に大きなトラウマと暴力の問題があったのに、全て家族に対応を押し付け国として医療面からの対策は取らなかったこと、医学でトラウマを扱うようになったのは阪神大震災が契機であったことも興味深かった。 日本の戦争のトラウマは、戦闘より日本軍内部のリンチ、いじめによるものが多かった、というのは、やはりとは思いつつ、衝撃だった。 DV被害者への支援者は主にフェミニストが担い、加害者アプローチは無駄、とにかく逃げることを勧めるが、加害者へのアプローチも必要、家族解体や子どもへの影響を防ぐ有効な実践(p191)という部分は、確かにそうかもしれないと思った。 人は被った耐えられない被害や苦しみが無意味であることに耐えられない。意味を与える信念体系を再建せねばならず、それには多大なエネルギーが必要で、ケアという言葉から想起させるやさしさや慰撫とは程遠い作業、これが被害者支援の中心、(p172あたり要約) 国家と家族の共謀関係についてのp218くらいからのくだりはゾクっとした。 家長の暴力、性暴力を無かったことにする、目をつぶるのと、戦争で傷ついたトラウマを無かったことにする(日本兵は恐怖など感じず、死を厭わず勇敢に戦う)のとは、同じ機序ではないのか、という。 被害者権力という言葉が出てきた。 正義を振りかざすな、とマジョリティが自分の特権性もかえりみず、マイノリティの口を閉ざそうとするのがウンザリと思っていたので、あれれと思って読んだ。 重要な観点だなと思ったので抜粋。 p237 DVや虐待の被害者たちにとって、「正義」の持つ意味は何だろう。家族をめぐる絆や愛情といったマジョリティの言説に抵抗するために、その言葉は存在する。無謀とも見える抵抗・レジスタンスの足場である砦を深部で支えるために、「正義」は必要なのだ。 自分を被害者なんて言っていいのか、これをDVと呼んでいいのか、というためらいと迷いは、「わたしたち、間違ってないよね」という自問自答を呼び起こさずにはいられない。その問いかけに対して、「大丈夫だよ」「間違ってないよ」と安心を与える根拠として正義がある。被害者と自己定義したレジスタンスによって生まれるつながりがある。DV被害者同士が「自分だけじゃない」「同じ経験してるひとがこんなにいる」と確認しあえるために、正義という言葉があるのだ。 しかしこれが時に暴走することがある。これまでも私は、被害者権力に警鐘を鳴らし続けてきた。先に述べたように、DVが正義の問題であり、許せない不正義を礼すのが被害者支援だ、という図式化がしばしば生まれる。 DV加害者は悪、被害者は善といった正邪論によってDVがすり替えられることを、何より避けなければならない。 p238 革命後の政権が「正しさ」「正義」を後ろ盾にすると、どれほど権力化していくかもよく知られている。 DVにおいても同じである。被害者は正しい、被害者の言うことは正しいと考えるのではなく、あくまでレジスタンスを駆動するための根拠という限定がそこには必要となる。 抵抗の対象である加害者と別れる、もしくは加害者が自らの暴力を認め、謝罪や償いを行って変化した場合も、抵抗する必要がなくなる。DVを長いプロセスでとらえると、権力関係が解決されれば、抵抗も必要なくなるのだ。独裁政権が崩壊したり、亡命したりすることによってレジスタンスの必要がなくなるように。 とすれば、DV被害からの回復とは、被害者という自己定義を脱することを意味するのだ。始まりがあり、そこから脱するという長いプロセスの一時期、レジスタンスのために必要なのが正義なのである。正義によりかかることで味わう「正しさ」という力に、時として被害者は眩惑されることがある。この危険性を十分自覚するためにも、砦という比喩は役に立つ。城跡を訪れるテレビ番組を見ると、そこに残っているのは礎石だけである。 点在する石が示すように、砦はいつか必要なくなるのだ。

Posted by ブクログ

2025/05/24

信田さよ子著書ははじめての読書。これまでになく、カウンセリングという分野が身近に感じられた。レジスタンスあるいは「砦」という、正義を自身を守ることと定義しようとするところが、自分自身に必要なことだと感じた。 正義とはそれを振りかざすだけでは、加害者ともなりうる。だからこそ責任を...

信田さよ子著書ははじめての読書。これまでになく、カウンセリングという分野が身近に感じられた。レジスタンスあるいは「砦」という、正義を自身を守ることと定義しようとするところが、自分自身に必要なことだと感じた。 正義とはそれを振りかざすだけでは、加害者ともなりうる。だからこそ責任を伴うものとして理解されてきたはずだ。しかしそれでは被害者のために駆動する社会的なアプローチが生まれないようだ。そこで著者は、加害に利用されず、被害者を助けるために、そして社会的復帰を目指す過程に、心を守る「砦」の建設を提案している。

Posted by ブクログ