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退屈とポスト・トゥルース SNSに搾取されないための哲学 集英社新書
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 集英社 |
| 発売年月日 | 2021/01/15 |
| JAN | 9784087211535 |
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退屈とポスト・トゥルース
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退屈とポスト・トゥルース
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商品レビュー
3.5
6件のお客様レビュー
第一部を眺めて、これを知っているという感じを受けた。 私たちが頭の先まで浸かっているホルマリン液を成分分析した内容だからだと思う。 私にとって、生活は果てしなくデンジャラスだ。簡単に行えないことがたくさんある。子どもの頃からむしゃくしゃさせられてきた儀式的な水掛け論、要は反芻が...
第一部を眺めて、これを知っているという感じを受けた。 私たちが頭の先まで浸かっているホルマリン液を成分分析した内容だからだと思う。 私にとって、生活は果てしなくデンジャラスだ。簡単に行えないことがたくさんある。子どもの頃からむしゃくしゃさせられてきた儀式的な水掛け論、要は反芻がここにある。自分が何を欲して、どうなることを望んで、どのような手続きに挑む必要があるのか理解できず、言い表せないこと。近ごろようやくなんとかまとめて飲み込むようになってきたばかりだ。 だから、私はまだ目の下程度にとどめて、つま先立ちでホルマリン液に浸かっているはずだ。時々息継ぎをしながら。これが頭の先まで浸かったらと思うとぞっとしないわけだが、数年後にはもう忘れているかもしれない。 著者は私たちがいる世界観の共通事項となる入口を、インターフェースに見定めている。 インターフェースの意味内容は、大雑把な理解でたとえれば、飲み干したあとグラスに残った氷をストローの先でつつくあのしぐさと軌道を同じにしている。 もっとわかりやすいのは就活・ポイ活などの○活だろうが、たとえとして適切なのか判断材料がなく、単純な私の思い付きに過ぎない。 インターフェースの前で釘付けに(磔に?)ならざるを得ない状況は、大号令に従う前線兵士と言った方がわかりやすいと思う。この切り口は、たしかレヴィナスだ。こちらの方が説得力はあるだろう。 ただ、私はその倦怠に浸かりつつある。学校に通いたくなくても通っていたあの頃の倦怠へ戻っていく。自ら望んでそこへ入り、そう動かされている。自覚はあるが止まらない。これが経済活動だと自分を慰めている。 まだ幸福なことに、私はカミュをきっかけにもう一度浸かる選択をした。なぜなら趣味を自覚して、そこに取り組む自分という側面を見つけたからだ。趣味は人生の一面に過ぎないが、経済活動もまた一つの側面だ。 ただそうであることを忘れた頃に読み直せるよう、ここに書き残しておいた。 それはそれとして、いま印象に残った箇所を本書から引用してみる。 「我々はいかにして自分自身にとっての幽霊であることをやめられるのか?」(253p) 同じような雰囲気がある。文章の意味はどうだろう。文脈は? ゴーギャンのものらしい言葉を思い出した。――我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか 大雑把に読んでしまったのはもったいなかった気がする。本書はアジテーションで締めくくられる。その余韻の反響は? インターフェースを外れる時間を生きることについての表現は、私がただ知らないだけで、すでに世界のどこかに、歴史のどこかに必ずある。それが過去にあったのか、未来に生まれるのかを知っているわけではないが、私たちは焦らず、それを探せばいいと思った。 そこへたどり着くには、センシティブな問題を見分け、その問題に関しては自分以外の体験(論述)や判断(結論)には一定の留保を置いておく。この方法は、接近しすぎずに広範で良質な情報収集を実践することがコツだと思う。 たとえば『どうすればよかったのか?』という映画には、そうした実践が見える。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
退屈という感覚は単なる個人の心理状態ではなく、政治的・経済的に構築された構造の一部として生み出されているのだと思った。退屈は、仕事と余暇の分断、そしてそれを支える資本主義的イデオロギーのなかで制度的に再生産されている。 ギグエコノミー(インターネットを通じて単発の仕事を受注する働き方のこと)に見られるように、現代の労働は短期的かつ不安定であり、アルゴリズムや他者の評価に左右され続ける。その結果、労働は自己実現の手段ではなく、主体性を弱めるものとなり、常に刺激に晒されながらも満たされない退屈を生み出している。これは暇だから生じる退屈ではなく、常に不足を感じさせられる構造から生じる退屈である。この構造は消費の場面にも当てはまる。SHEINの児童労働問題が繰り返し指摘されながら解消されないのは、消費者がその事実を知っていても、それを自分の問題として引き受けず、安さや即時的な満足を優先した消費行動を続けているからではないか。搾取の責任を企業や国家だけに帰すことはできず、消費者個人もまたこの構造に組み込まれている。重要なのは、退屈であることそのものではなく、退屈を退屈として認識し、立ち止まって考える時間を持てないことだと思う。退屈を即座に刺激で埋めてしまう行動の積み重ねが、モノの価値や労働の重みを考える機会を奪っている。手間をかけることは、手間をかけないことより価値が低いわけでも高いわけでもないが、作られる過程や投入された労働が見えることで、正当な対価について考える余地が生まれる。その対価を支払うかどうかは消費者の選択に委ねられているが、その選択は、考える時間があってはじめて成立する。退屈を排除するのではなく、退屈と向き合う時間を取り戻すことが、消費や労働のあり方を見直すための重要な手がかりになると感じた。
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メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1789580658249228514?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
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