1,800円以上の注文で送料無料

  • 中古
  • 書籍
  • 文庫

南朝全史 大覚寺統から後南朝へ 講談社学術文庫

森茂暁(著者)

お気に入りに追加 お気に入り 追加 追加する お気に入りに追加 お気に入り 追加 追加する に追加 に追加する

定価 ¥1,177

¥935 定価より242円(20%)おトク

獲得ポイント8P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2020/02/12
JAN 9784065187746

南朝全史

¥935

商品レビュー

4

8件のお客様レビュー

レビューを投稿

2023/07/09

南朝の生まれから、歴史から消えていくまでを描く。 吉野の山奥まで遁れ何とか命脈を保ってきたか弱い存在といった私の歴史観が、北朝と同様の統治組織を持っていたという記述で覆された本。

Posted by ブクログ

2022/05/29

鎌倉時代から室町時代に亘った約200年の歴史を持つ、南朝。 大覚寺統の始まりから建武の新政、そして消滅までを解き明かす。 第一章 鎌倉時代の大覚寺統  第二章 建武の新政 第三章 南朝の時代  第四章 南朝を読みとく 第五章 後南朝とその終焉 研究文献目録、南朝年表、索引有り。適...

鎌倉時代から室町時代に亘った約200年の歴史を持つ、南朝。 大覚寺統の始まりから建武の新政、そして消滅までを解き明かす。 第一章 鎌倉時代の大覚寺統  第二章 建武の新政 第三章 南朝の時代  第四章 南朝を読みとく 第五章 後南朝とその終焉 研究文献目録、南朝年表、索引有り。適宜、略系図や図表有り。 始まりは兄と弟。 それぞれの子孫、大覚寺統と持明院統の両統迭立と、 鎌倉幕府の調停と斡旋が重要だったのだが、 子孫は増えるし、同じ系統だっていろいろあるしで、 天皇、上皇、法皇、東宮、親王が入り乱れての、皇位継承争奪戦。 そこに登場したのが「一代の王」後醍醐天皇。 「王権至上主義」と倒幕への執念で鎌倉幕府滅亡へ。 建武の新政の夥しい綸旨の発行と皇子派遣による全国制覇の夢。 だが、武家社会の支配、綸旨万能主義での混乱と失墜。 離反した足利尊氏+持明院統=室町幕府と北朝の成立に。 そして後醍醐天皇は三種の神器を抱えて吉野へ。 ついに南朝と北朝が併立する事態に。 後醍醐天皇が築いたその朝廷は、彼の遺言に縛られる。 表舞台の京へ・・・彼の執念と怨念の凄まじきこと。 観応の擾乱での幕府のごたごたで、正平の一統で北朝を廃し、 京都を制圧した南朝の、半年の束の間の夢へ。 その後、満を持しての足利義満による南北朝の合体だが、 皇位の両統迭立の不履行は、旧南朝側の皇位の 問題への不満となり、諜叛を引き起こすことになる。 幕府の将軍たち、義満、義持、義教と、代が替わるにつれての 後南朝へ対する厳しい状況・・・隔離と出家での忍従と服属。 対して、禁闕の変では三種の神器の一つ、神璽の奪取。 更に応仁の乱にまで関わり、徐々に南朝の者たちは消えていく。 「闇の歴史、後南朝 後醍醐流の抵抗と終焉」を読んで、 更に南朝に興味を持っての選書です。 後南朝だけでなく、南朝時の代を重ねる毎に乏しくなる史料。 それらを粘り強く読み解き、推察する過程が垣間見えます。 特に「新葉和歌集」から読み解ける南朝を構成した、 公家や僧侶たちの存在、朝儀や儀式。 綸旨等から分かる武者所や訴訟制度の聴断の存在。 政治や軍事、宗教、文化の実体を備えた朝廷であったこと。 九州の制西府と日明貿易や倭寇との関係、 地方との関係も推測されていきます。 南朝とは、思ってた以上に複雑で、一筋縄では語れない 存在だったのだなぁと、感じました。

Posted by ブクログ

2022/04/16

南朝研究は、明治以来の南朝正統史問題、資料の少なさという二つの大きな問題を抱えている。 鎌倉中期頃、後嵯峨天皇の後継者を巡り親王兄弟が大覚寺統、持明院統に分派。幕府は両統併立の立場。 後醍醐は後宇田の謀略により31歳という異例の高齢で天皇となったが、後宇田の嫡孫への践祚のための中...

南朝研究は、明治以来の南朝正統史問題、資料の少なさという二つの大きな問題を抱えている。 鎌倉中期頃、後嵯峨天皇の後継者を巡り親王兄弟が大覚寺統、持明院統に分派。幕府は両統併立の立場。 後醍醐は後宇田の謀略により31歳という異例の高齢で天皇となったが、後宇田の嫡孫への践祚のための中継ぎであった。ところが後宇田の発言力が低下し死んだため、後醍醐新政が可能となった。中継ぎを保証したのは幕府であったため、後醍醐は独裁的な新政を行い幕府に対抗した。持明院統は幕府についた。 建武の新政では綸旨が乱発され、土地問題などに混乱が生じた。特に軍事に関する綸旨に権限を持たせた点に特徴がある。天皇自ら軍事指揮をすることは稀有である。分身として皇子を大いに使った点も特徴である。 尊氏は後醍醐に廃位されていた持明院統の光厳と結託し、その宣旨を受け後醍醐討伐を行う。後醍醐は神器を持ち吉野に逃れ南北朝時代が始まる。 観応の擾乱により南朝は漁夫の利を得て延命する。正平の一統により南朝が北朝を摂取するも、尊氏により短期間で北朝が再興され再び分裂。南朝三代の長慶天皇は大正時代まで即位が疑問視されていた程資料に乏しい。義満の仲裁で和議がなり南北朝時代は終わる。南朝延命の理由の一つに反幕府の地方軍事勢力の協力がある。条件は両統の併立と南朝側への経済的保証であった。 しかし条件は履行されず南朝残党は後南朝として政治的に敗北する。両統併立もされなくなる。

Posted by ブクログ

関連商品

最近チェックした商品