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大隈重信(上) 「巨人」が夢見たもの 中公新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2019/07/19 |
JAN | 9784121025500 |
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大隈重信(上)
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商品レビュー
4.6
7件のお客様レビュー
伊藤之雄『大隈重信』中公新書 読了。なぜこれほど有名なのに功績がはっきりしないのか。幕末〜大正の政治情勢を交えつつ、膨大な文献からその人物像を紐解いていく。損な役回りに見舞われながらも藩閥に対抗して政党政治の礎を築くなど、日本政治の近代化に寄与してきた。にしても、群を抜くページ量...
伊藤之雄『大隈重信』中公新書 読了。なぜこれほど有名なのに功績がはっきりしないのか。幕末〜大正の政治情勢を交えつつ、膨大な文献からその人物像を紐解いていく。損な役回りに見舞われながらも藩閥に対抗して政党政治の礎を築くなど、日本政治の近代化に寄与してきた。にしても、群を抜くページ量w
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著者によれば、大隈重信に関する書物は多々あるものの、その実像、評価がはっきりしないとする。 ひとつの理由として、大隈が日記や直筆の手紙を残していないこともあるらしい。 本書では、大隈の実像をつかむため、その全生涯について、出来る限りの資料を読んだ上で、特定な分野や時期に限定せずに...
著者によれば、大隈重信に関する書物は多々あるものの、その実像、評価がはっきりしないとする。 ひとつの理由として、大隈が日記や直筆の手紙を残していないこともあるらしい。 本書では、大隈の実像をつかむため、その全生涯について、出来る限りの資料を読んだ上で、特定な分野や時期に限定せずに大隈を検討し、大隈が近代日本と国民にとって、どのような存在であったかを著している。 現在では、早稲田大学創設者としてのイメージが強いのだろうが、本著を読むことで非藩閥出身者として首相も経験し、近代国家創設を先導してきた人柄、思想に触れることができる。 ・唯一西洋に開かれた重要な港である長崎を警備する役目は、佐賀藩と福岡藩に任され、両藩は一年交代で任務に当った。祖父、父の仕事は、長崎を防備する大砲の責任者であった。 ・大隈は、好んで自分より年長の友人を選んだので、友人には5、6歳から10歳以上の年長者も少なくなかった。 ・当時の常識では、武士の家に生まれた者が商人と提携を考えるのは「異常の事」であり、批判されるべきことだったが、商業の初歩を理解しながら、大隈は、維新前に商人に対する偏見を捨てていった。 ・大隈と井上・伊藤の交流は、幕末に始まっていたらしい。坂本龍馬らとも交遊し、一緒に長崎の丸山花柳界に遊んだこともあるという。 ・パークスの相手は大隈しかいない。 ・東京専門学校の学生に、イギリスを中心とした政治・法律の基本を身に付けさせ、日本を藩閥政治から脱却させる自主・独立の精神を育成する。 ・(大隈が漸進主義だということに関して)大隈は、維新以来の日本での秩序破壊は、フランス革命によるものよりも甚だしいと見て、このまま経過すればその害はフランス革命以上になる、とも述べている。 ・大隈は、国は農業から工業、商業へと発展していくととらえ、商業が発達した国が最も発展した国であるとみる。商業についての大隈の主張は国内での取引もさることながら、海外との取引、貿易に日本の発展の可能性が握られているとみる。このため国民、とりわけ実業家(商工業者・金融業者)が自立した精神と、国際的な視野を持ち、生産と取引に力を発揮し、特にイギリスのように貿易で利益を上げて富を蓄積することを理想とした。 ・列強に対抗するためにも、さらなる教育の充実を主張した。日本の学者は発明を欧米に委ねて、その成果を模倣するという姿勢でいるが、もっと発奮すべきであると批判する。 ・日本の商業・貿易の発展のためには日本の商人の道徳を高めるのが必要と見る。 ・大隈が貿易の拡大を平和と関連づけてとらえた所は新しく、その後も同様を主張をしていく。また大隈は植民地拡大ではなく、自由貿易を中心とした通商国家を理想とすることが確認できる。 ・幕末には関東は水戸藩、関西は佐賀藩が人物養成の中心で各藩より留学生がたくさんあった。
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本書「はしがき」は「日本近代史上これほど有名で疑問に満ちた人物はいない。大隈を見直すことは、政治とは、政治家とはどうあるべきかを考える素材となり、また大隈に熱狂した人々を通し、明治維新から大正期までの日本の歩みを考え直す糸口にもなるであろう」(ivページ)と述べる。 上巻は大隈...
本書「はしがき」は「日本近代史上これほど有名で疑問に満ちた人物はいない。大隈を見直すことは、政治とは、政治家とはどうあるべきかを考える素材となり、また大隈に熱狂した人々を通し、明治維新から大正期までの日本の歩みを考え直す糸口にもなるであろう」(ivページ)と述べる。 上巻は大隈の少年期から隈板内閣期までのおよそ60年が描かれる。下巻はその後ということになるので、大隈が83歳で亡くなるまでの23年が描かれることになる。 経済史の側面から見れば、財政家大隈の描かれ方が気になるところであるが、著者は政治家・大隈を多面的な角度から綿密な資料考証に基づいて描く。とくに論争となっている点、なってきた点に関しては(*)で長めの注書きが付されており、勉強になった。たとえばp.173では井上財政と大隈財政を極端に緊縮から積極への転換という対照で捉えることは大隈理解を妨げるであろうなどという指摘は短いながらも重要な指摘であろう。 大隈の初期の経済に関する考え方は、基本的に政府による急速な近代化路線であった。それが転換するのは1875年1月の建議(「収入支出の源流を清まし理財会計の根本を立つるの議」)からであった。そこでは在野の創意工夫を活かし自発的な近代化を進めるべきであるという意見が述べられる(p.225-9)。通貨政策をおこなって経済の基盤整備はおこなうが、経済活動そのものへの介入は極力抑えて民間の自由におこなわせるという考え方は、福沢諭吉の考え方とも共鳴した(p.256)。ただし、大隈は福沢に出会う前から福沢の経済に関する考え方を読んでいた形跡はないので、大隈の経済についての考え方がどこから得られたものかはよくわからない。 いずれにせよ、1880年の官業払い下げに関する建議および5000万円外債募集の建議までに大隈は生涯持ち続けることになる「自由な中国市場」を前提とした自由主義的な経済観を持ち続けた(p.260-1)。 「明治14年の政変」後、大隈は立憲改進党を組織していく。改進党の主義・綱領のなかにも大隈の経済観ははっきりと現れる。著者はここで国権と民権の相違が従来の政治史研究では過度に強調され、対立したものとして捉えられているが、それは正しくないということをきっちりと指摘しており、共感するところである(p.305)。 在野の大隈は日清戦争前までには経済政策を含む政策体系を深めていった。もちろん理想とする英国流議会政治実現のためである。また松方デフレ後の国内産業の進展状況もあった。その政策体系を著者は「柔軟な「小さな政府」論」であるという(p.384-9)。これは渋沢や中野武営などの考え方と通じるものがあった(p.444)。また日清戦後の台湾統治のあり方についての大隈の考え方も総督府方式を批判して、イギリスによるアイルランド統治のあり方を範としていたという点も興味深いものがある。 経済政策面を中心にやや長く書いたが、もちろん本書の魅力は大隈の経済政策面の分析だけではない。しかし、こうした経済政策の一貫性、魅力は政治家大隈のヴィジョンを支え続け、財政通の大隈という立ち位置が固められていく一因となったことは間違いないであろう。
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