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戦争の記憶 コロンビア大学特別講義 -学生との対話- 講談社現代新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2019/07/17 |
JAN | 9784065154304 |
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戦争の記憶
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商品レビュー
4.4
11件のお客様レビュー
歴史を(特に「先の大戦」の歴史を)学ぶ意義を再認識させてくれる良書です。 本来は「事実」であるはずの歴史の「認識」をめぐる対立が、戦後80年近く経っても今なお続いているのは何故なのか。 「歴史」や「記録」とは異なる、当事国同士の/当事者の/政府の/国民の「記憶」に着目した切り口...
歴史を(特に「先の大戦」の歴史を)学ぶ意義を再認識させてくれる良書です。 本来は「事実」であるはずの歴史の「認識」をめぐる対立が、戦後80年近く経っても今なお続いているのは何故なのか。 「歴史」や「記録」とは異なる、当事国同士の/当事者の/政府の/国民の「記憶」に着目した切り口は新鮮でしたし、説得力がありました。 そしてその「記憶」がどのように形成され、どのように作用し、そしてどのように変化してゆくのか。 「過去から学ぶ」とはどういうことか、未来をどう形作ってゆくべきか、とても示唆に富んだ読書でした。 教授と学生の対話形式の講義を書籍化したものなので文章もわかりやすく、学生も韓国・日本・アメリカなど多様な背景を持つ人が集まってオープンな対話をしており、彼らの一つひとつの発言からも学ぶことが多かったです。 先の大戦、「第二次世界大戦」とはいうものの、各国の「記憶」では自国や直接の相手国だけに注目しがちで「世界」という視点が抜けているという指摘も目からウロコでした。 改めて、日本が経験した「世界大戦」がどのようなものたったのか、世界の潮流を見ながら学び直したくなります。
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歴史について考える際に歴史と記憶に分けるアプローチは新鮮でした。 歴史を自国に都合のいいように記憶として解釈するのは世界共通であり、簡単に他国の歴史認識を批判するが、歴史や記憶は相対的であり時代と共に変化し得るもの。 つい自分たちの理解が正しいと思ってしまうが、戒めのために歴史を...
歴史について考える際に歴史と記憶に分けるアプローチは新鮮でした。 歴史を自国に都合のいいように記憶として解釈するのは世界共通であり、簡単に他国の歴史認識を批判するが、歴史や記憶は相対的であり時代と共に変化し得るもの。 つい自分たちの理解が正しいと思ってしまうが、戒めのために歴史を学ぶ際に常に置いておきたい1冊。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
以前ネットの記事で読んで非常に興味深かったので、本化されたものを購入。 記事は確か部分的だったので、これが全編になるのか。歴史家の記述に、人々の記憶というものを別ファクターとして加えることは、いざここに出てきている教授の話を聞くと非常に重要なことがわかる。そしてそれが変わっていくプロセスであるという説明も非常に興味深い。まあ結局、先に読んだプロパガンダの法則と同じで、自分たちは悪くないということを強調したがるといったところか。しかしまあ映画やメディアの影響は大きいな。。 要点をまとめるとこんな感じかな。 歴史と記憶を分けて考える 歴史とは、歴史家が歴史書に書くもの 記憶とは、学校の教科書、国の記念館、映画や大衆文化などで人々に伝播するもの 2016年12月 ハワイのUSSアリゾナ記念館で日本の首相とアメリカの大統領が訪れ、和解について語り、それが共通の記憶となった。 4種の記憶の領域 オフィシャルな領域:公的機関による歴史/国立博物館、国定教科書など 民間の領域:映画、小説、メディアによって伝えられた歴史 個人の記憶:実体験者が語って伝えた記憶 メタメモリー:論争になっていることを知る記憶 記憶の変化は外的圧力か、下からの活動家たちの行動の結果で行われる しかし、中国に浸かってみると歴史というものは過去に起きたであろう事実をできるだけ正確に導き出すことではなく、どう政治の道具として使うかとなっているので、日本人の思う歴史(多分、事実をできるだけ正確に導き出そうとする)とは同じ単語でも意味が違う。そして中国だと歴史家が歴史の書き換えを担っている(と思う)。結局そこで議論をすることが出来ないのではないか強く思う。 P.5 国民の記憶へのそれぞれの思い入れの強さと、思いの強さによって異なる立ち位置にある者同士での冷静な対話が難しくなっている状況に、強い印象を受けた。(中略)すべての人々が過去の中でも時刻に特有する部分を記憶することに傾注していた。そして、彼らの間で交わされる緊迫したやりとりの中に、歴史についての知識が少ない事実に愕然とした。 P.94 記憶の変化が起きたのかを知るには、政治のクロノロジー(流れ)、または(中略)「時」を見ないといけません。私はこれをChronopoiticsと呼んでいます。まさに、「現在が過去を変える」ことがあるのです。 P.135 オフィシャルな領域というのは自発的に動いているというよりは何かに「反応」しているものなのですが、何に反応しているかが重要です。 P.141 慰安婦についての議論というのは「当時、それをすべきではなかった」という過去のことでもあり、「将来においてそれをしない」という未来に向けた話でもあります。 P.143 戦争の記憶はどれも「国民的な」ものであり、自国の経験に特化して語られるものだ。時間が経つなかでは、戦時中の敵国や同盟国など他国の味方を内包していくというように変化することもあり得る。しかしそのようなときでさえ、戦争と国家のアイデンティティーは切り離せるものではなくむしろ物語の中心に据えられる傾向にあり、その物語は戦争体験者だけではなく、戦後世代にも引き継がれていく。 P.150 私は歴史家として、政治家された記憶をよしとしない。記憶を政治家するときに、過去はいとも簡単に道具にされてしまうからだ。 P.181 時代によって教科書だけでなく先生の世代も変わりますし、世間の味方というのも変わるからです。もちろん、政権を含めて政治的文脈も変わりますね。自分の子供は全く別のことを学んでいるかもしれません。共通の記憶というのは「プロセス」であり、このプロセスに終わりはありません。終わりがないので、国内外の比較だけでなく世代間についても比較をしながら注視していくことが必要ですね。 P.193(原爆について) 日本とアメリカで語られる原爆についての一般的な記憶は、それぞれ半分ずつ抜け落ちている。「原爆は戦争を終わらせ、アメリカ人の命を救った」。そこで、アメリカ型の物語は一般的には終わる。日本の側では、原爆は戦後の日本の平和への使命と結び付けられ、そこからメインの物語が始まる。両方の国が、原爆の物語を半分しか語らない。まるで、日本はヒロシマ以前の出来事を軽く飛ばしているようであり、アメリカはナガサキ以後に起きたことにほとんど触れない。
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