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解読 ウェーバー 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 講談社選書メチエ706
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2019/07/12 |
JAN | 9784065165928 |
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商品レビュー
3.6
7件のお客様レビュー
小室直樹先生の本に幾度となく出てくるマックス・ウェーバーと「プロ倫」。 以前から読んでみたいと思っていたのですが、原本は難解で読破する勇気もないので解説書から読んでみる。 プロ倫の急所は、「プロテスタンティズムの世俗内禁欲は…消費を、とりわけぜいたくな消費を抑制したのであった。...
小室直樹先生の本に幾度となく出てくるマックス・ウェーバーと「プロ倫」。 以前から読んでみたいと思っていたのですが、原本は難解で読破する勇気もないので解説書から読んでみる。 プロ倫の急所は、「プロテスタンティズムの世俗内禁欲は…消費を、とりわけぜいたくな消費を抑制したのであった。他方で、その心理上の効果としては、伝統主義的な倫理の制約を破って、財の獲得を解き放つことになった。すなわち、利潤の追求を合法化するだけでなく、それが神の意志にかなうこととみなすことによって、利潤追求に対する伝統主義の桎梏を破壊したのである。」という部分だと思います。 禁欲的行動が資本主義の発展につながった、ということは、人間の行動に及ぼす宗教の影響が大きかったということ。 小室直樹先生は、明治維新後の日本では天皇がキリストの役割を果たし二宮尊徳が勤勉の象徴となった、つまり疑似的な西洋的キリスト教的社会を作り出したことが近代化につながった、というようなことを論じておられたと思いますが、これはプロ倫の主張に当てはまる我が国先人のもの凄いアイデアだったんだな。 本書でプロ倫のエッセンスが少しは理解できたと思うので、原本に挑む勇気を育んでいきたいと思います。
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ウェーバーのあの名著を解説するありがたい本。ただあがめるでもなく、おとしめるでもなく、現代の視点から誠実に検証して分かりやすく説明してくれる。専門家でないなら、原著を読まなくてもこの1冊で十分といっても過言ではない。
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本書はマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を解読(解説ではない)しようという試み。第1章から第2章まではその前提を確認する作業となっている。 著者は第2章の終わりで「資本主義の精神」の狭義の定義と広義の定義をおこない、「私たちは「広義の資本主義の...
本書はマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を解読(解説ではない)しようという試み。第1章から第2章まではその前提を確認する作業となっている。 著者は第2章の終わりで「資本主義の精神」の狭義の定義と広義の定義をおこない、「私たちは「広義の資本主義の精神(「勤労ー反消費」の生活スタイルで「子孫の幸福」「自身の繁栄」「社会の繁栄」を追求するもの。対して狭義のそれは目指すところが「倫理的義務の遂行」となる)を含めて、さまざまな立場を検討してみる価値があるだろう」(p.101)とし、そして、第3章以下ではルター派、禁欲的プロテスタンティズムの各派における「倫理」の分析、理念型を剔出していく。この辺が「解読」と銘打つ本書の真骨頂。 そして、第6章では禁欲的プロテスタンティズムの「倫理」と「天職倫理」の『プロ倫』上の定義の断絶を確認しつつ、「天職倫理」と「資本主義の精神」がほぼ同じ倫理内容をもつと論じている。いささかややこしいのだが、その辺は6章の図5と図6で綺麗に提示されている。 第7章ではウェーバーの『プロ倫』のメッセージから現代の我々が読み解くべきところのものが、著者なりの解釈も交えて示される。著者は、『プロ倫』が新保守主義的な発想からとらえた新たなリベラリズムの方向性を包含したものとして読み解くべきだと考えており、それはそれとしてわかるのだが、それが本当に禁欲的プロテスタンティズムのみから生まれてくれるものなのか。思想や倫理の歴史の世界史的な探求がまさに必要とされているのではないか、と感じた。 ウェーバーの宗教社会学研究という壮大かつ遠大な構想の限界と可能性を考えてみなくてはならないだろう。
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