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ヒロシマ消えたかぞく ポプラ社の絵本67
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ヒロシマ消えたかぞく ポプラ社の絵本67

指田和(著者)

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ヒロシマ消えたかぞく ポプラ社の絵本67

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 ポプラ社
発売年月日 2019/07/05
JAN 9784591163139

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商品レビュー

4.8

31件のお客様レビュー

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2024/09/01

原爆が落ちたときに広島に住んでいた鈴木さん一家。両親と子ども4人の一家で、お父さんの六郎さんが趣味のカメラで子どもたち、家族の写真を撮ってはアルバムを作っていた。原爆投下前に疎開させた荷物のなかにあり後世に残った写真の一部をもとにできたのがこの本。 一家は原爆で6人全員が亡くなっ...

原爆が落ちたときに広島に住んでいた鈴木さん一家。両親と子ども4人の一家で、お父さんの六郎さんが趣味のカメラで子どもたち、家族の写真を撮ってはアルバムを作っていた。原爆投下前に疎開させた荷物のなかにあり後世に残った写真の一部をもとにできたのがこの本。 一家は原爆で6人全員が亡くなった。特にお母さんのフジエさんは親類の家に避難できたものの子どもたちや夫が亡くなっていることを知り、井戸に飛び込んで自ら命を絶ったのだとか。 写真は楽しそうに安心しきって過ごしているかのようなものばかり。戦時中とはいえ、親やきょうだい、友だちと過ごす毎日は、子どもたちにとってはすばらしい日常だったことだろう。六郎さんはアルバムに言葉を添えていたようで、子どもたちが「エビすくひ」をする写真には「僕の子供時代ソックリだ 僕の二世も始めた その次の三世もソックリやるだろ」って書いている。でも書いたとおりにはならなかった。

Posted by ブクログ

2024/08/20

〈青少年読書感想文全国コンクール・小学校高学年の部 課題図書(2020) あの日、ヒロシマに落とされた、たった一発の原子爆弾が、笑顔にあふれた6人家族、鈴木六郎さん一家を消し去った。〉 なんてあたたかな笑顔の家族 床屋のお父さんの向けるカメラの前の子どもたち 元気な仲良しの兄...

〈青少年読書感想文全国コンクール・小学校高学年の部 課題図書(2020) あの日、ヒロシマに落とされた、たった一発の原子爆弾が、笑顔にあふれた6人家族、鈴木六郎さん一家を消し去った。〉 なんてあたたかな笑顔の家族 床屋のお父さんの向けるカメラの前の子どもたち 元気な仲良しの兄弟 公子ちゃんの背中でくつろぐ猫 その表情をみればこの一家がどんなに優しいか この家族を消し去ったものは…… 誰に問えばいいのだろう ≪ このいのち うばう権利は だれにもない ≫

Posted by ブクログ

2024/08/20

表紙の女の子の写真は元から知っていて、広島平和記念資料館でその家族のことも知って衝撃を受けたのだった。 図書館の特集コーナーにこの絵本が置かれていて手に取った。 家族には赤ちゃんが生まれたばかりで、家族のアルバムは生きる喜びに溢れている。 きっとこのアルバムは、その後も増えてい...

表紙の女の子の写真は元から知っていて、広島平和記念資料館でその家族のことも知って衝撃を受けたのだった。 図書館の特集コーナーにこの絵本が置かれていて手に取った。 家族には赤ちゃんが生まれたばかりで、家族のアルバムは生きる喜びに溢れている。 きっとこのアルバムは、その後も増えていく予定だっただろう。家族で遊びに行って、写真を残すつもりだっただろう。 鈴木六郎さんは、子どもたちが自分の少年時代と同じような遊びをするのを見て、きっと孫世代も同じように遊ぶのだろうと思いを馳せている。 でも、鈴木六郎さんも子どもたちも、その数年後には原爆により亡くなっている。 赤ちゃんの写真が、いまちょうどぷくぷく育っている娘と同じくらいの月齢で、鈴木さん一家と私たち家族を重ね合わせてしまって胸が苦しく、図書館の廊下で必死に涙を堪えた。 ピクニックの写真なんて、この令和の家族、子どもたちが楽しく過ごす写真とまったく同じなのだ。 同じような笑顔で、同じように子どもたちは楽しんで、同じように大人たちは子どもたちを慈しんでいる。 この家族は、私たちと同じなのだ、私たちだったかもしれないのだ。 こうして夏が来るたびに、私は戦争に関するインタビュー記事などを読み返して、苦しくなって、戦争は繰り返してはいけないと胸に刻む。 「戦争はいけない」とは思っていても、その思いは自分の日々を過ごすうちにどうしても薄れてぼやけてしまうから、定期的に傷をほじくり返すように、私は戦争に関するインタビューや書籍を読む。 とはいえ、こうして仲の良い家族やかわいい子どもたち以外でも悲惨な目に遭った人はいたことを考えると、家族や子どもに関する書籍を読んで自分と重ね合わせないと「戦争はダメだ」という思いを深められないところに、私の浅さを感じてしまう。 また、原爆について考えるとき、広島平和記念資料館でみた「N家の崩壊」という展示が必ず思い出される。 原爆を生き延びても、原爆の後遺症で働くことができず、しかし世間からそれを「ブラブラ病」だ、怠けているのだと冷たい目で見られた人たちの存在に、私はこの展示を見てやっと認識することができた。 日本の戦後の復興は目覚ましいものだっただろうし、その頃の勢いや賑やかさは当時の映像などから窺い知れるけれど、その影で、戦争による心身の傷をずっと抱えた人がいたと思うとやり切れない。 N家の崩壊について、広島平和記念資料館のHPに一部掲載されていたので転載する。 https://hpmmuseum.jp/modules/exhibition/index.php?action=DocumentView&document_id=295&lang=jpn

Posted by ブクログ

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