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藤原彰子 人物叢書 新装版294
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藤原彰子 人物叢書 新装版294

服藤早苗(著者)

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藤原彰子 人物叢書 新装版294

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 吉川弘文館
発売年月日 2019/05/22
JAN 9784642052870

藤原彰子

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商品レビュー

4.5

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2021/07/12

藤原彰子が国母として長く君臨したことを、史料(が豊富ではないため時に栄花物語も援用)に基づき具体的な事象を追うことによって証していると言えよう。それにより、摂関期と院政期が断絶的ではないこと(彰子が国母・女院として権力をふるったのが院政の原型であったとしている)、父院と母院が当時...

藤原彰子が国母として長く君臨したことを、史料(が豊富ではないため時に栄花物語も援用)に基づき具体的な事象を追うことによって証していると言えよう。それにより、摂関期と院政期が断絶的ではないこと(彰子が国母・女院として権力をふるったのが院政の原型であったとしている)、父院と母院が当時及び後世の貴族社会において同等とみなされていたことなど、従来の通説を革める知見を与える署といえる。ただし、国母がこのような権力を持ったのは彰子くらいなので(そんなに長生きした人もいなかったのと、何より、天皇家の家長であるのと同時に御堂関白家の家長でもあるという特異な条件ゆえ(頼通がどんなに年取っても姉を頼り続けたため))、院政のようにシステムとして確立されることはなかった。 道長や源氏物語のいわば背景知識として描かれがちであること、即ち若年期が取り上げられがちであることが、彰子の本領を見誤る原因となっていたのであろう。彼女の能力は、夫と父を亡くした後に発揮された。殆どカトリーヌ・ド・メディシスのようだ。 一方で、道長同様、いや実際王家の一員ゆえそれ以上に、公私混同が激しかったこと(私的なことに公費はもちろん、他の貴族からも財や役を徴したり、身内はもちろん、家司や乳人などの自分らのいわば手下を偏重した人事を行ったり)など、もっと批判してもよいのでは。道長の子孫以外の女性を強制的に女房にすることで女性を序列化し、后妃たるべき女を道長家で独占しようとしたことなども、すごくヤな感じなのに(いずれ院政期に破綻してザマミロだが)。 また、彰子の重要性を強調したいがためか、ちょっと依怙贔屓している印象も受ける。頼通が子師実を内大臣にした時に、能信を権大納言に据え置いたことについて(40年近く据え置き)、「頼通の冷徹さが際立とう。」と書いていて(p.217)、彰子のことに触れていないが、それまで、彰子の人事への関与についてさんざん語って、天皇も頼通も彰子の承認なくして重要な人事を行うことができなかったことを示唆しておきながら、なぜここで冷徹なのが頼通だけなのだろう。当然彰子も同意していた(冷徹なのは彰子も同じ)と考えるべきではないか。 後一条と威子について、「叔母と甥との近親婚ゆえ男児誕生率は低い。」(p.152)、「叔母と甥との近親婚ゆえ、男児は流産することが多かった。」(p.171)と非科学的としか思えないことを堂々と書いているのも理解しがたい。 「始めた」を「初めた」(p.127)、「借りる」を「貸りる」(p.118)と、誤変換でも出てこないような誤植もある。p.102 1行目の「一条天皇」は「後一条天皇」の誤記。

Posted by ブクログ

2019/12/04

在籍している大学で、テキストになっていたので読了。講義の方は体調不良で出ることが出来なかったけれど、せめて自習したかったので、丹念に読んだ。藤原彰子について、私達はどのくらいのことを知っているだろう。「源氏物語」の作者、紫式部の女主人。中宮定子と、一条天皇の愛を争った勝者で、藤原...

在籍している大学で、テキストになっていたので読了。講義の方は体調不良で出ることが出来なかったけれど、せめて自習したかったので、丹念に読んだ。藤原彰子について、私達はどのくらいのことを知っているだろう。「源氏物語」の作者、紫式部の女主人。中宮定子と、一条天皇の愛を争った勝者で、藤原北家の最大の成功者、道長の息女。このくらいだろうか。 その認識で、基礎的なところは間違っていない。この本を読むと、その後も、如何に道長が、自分が権力を握ることに腐心して、一条天皇以降、どの天皇にも、自分の都合で譲位を迫り、追い込んでいたかがわかる。その傍らにあって彰子は、定子の遺児であった敦康親王の即位を、代母として長く望み、自らの権威や実家の繁栄は尊重しながらも、道長の専横をたしなめる面もある、聡明な女性であった。幼帝を即位させた場合、母后が政治を見ることは、当時もあったらしく、なかなか老練な政治手腕も持っていたことが、当時の貴族の日記など、史実を裏付ける史料から読み取れる。そこにあるのは、私達が、なんとなく想像で埋めていた部分を補われた、生々しい政治・女性史の担い手としての彰子像である。 平安文学を入り口に、この時代の女性について学ぶ時、文化の担い手としての部分ばかり注目しがちだが、家族・政治・有職故実・様々な面から光を当てると、非常に立体的な人物像が浮かんで、優美なだけの世界でなかったことも見えてくる。その点が非常に新鮮だった。後の八条女院など、大きな経済基盤をもった女性皇族の嚆矢として学び直し、捉え直すと、さらに深い勉強が出来そうなので、他のご著書や資料にも、頑張って目を通してみたい。 読みやすく、平易で、よく整理された文章なので、興味のある方ならどなたでも、面白く読み進められると思う。

Posted by ブクログ

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