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マンゴーと手榴弾 生活史の理論 けいそうブックス
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マンゴーと手榴弾 生活史の理論 けいそうブックス

岸政彦(著者)

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マンゴーと手榴弾 生活史の理論 けいそうブックス

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 勁草書房
発売年月日 2018/10/30
JAN 9784326654147

マンゴーと手榴弾

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商品レビュー

4.3

17件のお客様レビュー

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2025/08/24

街角アンケートの類いが、いかに制作者側の意図を含むかということを考えさせられた本でした。 何が正しいのか、は、わからない。

Posted by ブクログ

2025/02/13

和光大学図書・情報館の所蔵 https://libweb.wako.ac.jp/opac/opac_link/bibid/SS01117699

Posted by ブクログ

2024/10/26

社会学における「質的調査」についての論考集。 筆者は生活史調査を専門にしている。生活史調査とは、個人の語りに立脚した、総合的な社会調査。 こうした質的調査が、どうあるべきか、どう正しさを保証すべきか、何のためにあるのか。 ポイントは以下 ・質的調査はその場限りのものではないと...

社会学における「質的調査」についての論考集。 筆者は生活史調査を専門にしている。生活史調査とは、個人の語りに立脚した、総合的な社会調査。 こうした質的調査が、どうあるべきか、どう正しさを保証すべきか、何のためにあるのか。 ポイントは以下 ・質的調査はその場限りのものではないということ。  →「語り」が始まるのは、語るための関係構築からの段階かもしれないし、インタビューのアポイントを取るときからかもしれない、あるいは語る人がその体験をしたときからかもしれない。 ・「語り」の鉤括弧を外すこと。  →「語り」には誤りがあることもある。そうした誤りに対してどう対応するか?ある研究者は「鉤括弧を外さない」ことを提唱している。つまり、「何を語ったか」ではなくて、「いかに語ったか」を重視する、一般化して語ることを禁じている。しかし筆者はそれとは反対の立場である。事実へと至る回路を閉ざしてはいけない、と主張している。そもそも事実というものも、社会的に構築されるものなのであるから。 ・質的調査のディティールは、読者との間で「理解」を再現しようとする試みである。  → ホームレスが寄る「ブックオフ」、部落差別を受け、結婚相手の親に食べてもらえなかったプリン、DVの彼氏の家に行く時に父親から渡されたクワガタ、こうしたディティールがあることで、言葉には表せない理解が再現される。 ・量的調査と質的調査は同じくらい正しい  →質的調査は、「興味深いが曖昧」とみなされてしまう。一方で量的調査は「つまらないけど確か」とみなされる。しかし実際は、質的調査も常に公共空間における相互作用に晒され「介入」され、常に何らかの修正がかかる。逆に量的調査は、データを収集する段階で、どこから回答を集めるか、回答の取り扱いをどうするか、という点で「ブラックボックス」がある。それを考えると、量的調査と質的調査は同じくらい正しいのである。 ・「人間に関する理論」について  → 「人間に関する理論」とは何か。それは、そのような状況であればそのような行為をおこなうことも無理はない。ということの「理解」の集まりである。あるいは、そのような状況でなされたそのような行為にどれほどの責任があるだろうか、ということを考え直させるような「理解」の集まり。そしてその理解を作り上げる作業に終わりはない。常にそうした理解を積み上げ続けるのである。(タバコのエピソード→沖縄戦の中、逃げ延びながらタバコを自作する。過酷な状況でもひとは喜びや楽しみを見つける ココアのエピソード→不良の中学生のグループにいた少女が、半ば強制的に犯されたされた不良仲間にシャワーと温かいココアを提供する。) 感想としては、興味深かった。研究者ではないので、この本から得られた知識をどう活かせばいいのかはわからないが。 質的調査と量的調査の違いについては、目から鱗の感じ。確かに質的調査、本当に正しいの?と思っていたが、量的調査にもブラックボックスはある。データを示されて、統計的にこう言えるから、正しい、と言われると、確かにそうだな、と思ってしまう。しかし、データの取り方一つとっても、そこには人間の意思が介在する。特に、筆者が部落へのアンケート調査をした際に、もらった回答をどう扱うか(例えば、なぜこの部落に来たか、と言うアンケートに対して、いくつか選択肢を示していたが、そこに当てはまらない回答をどう扱うか)と言う議論を、研究期間の間し続けていた、と言う話を読み、タフだな…と思ったし、まあでも確かに、社会学におけるデータって、必ずしも定量的に取れる物でもないのだよな、と改めて実感した。そしてそのうえで、量的調査が正しくないというわけではない、と言うことも心に留めておきたい。 あとは、この筆者の「自己責任論」に対する立場も心に留めておきたい。悪い状況に陥っているのは、そう選択したお前らが悪い(本の中で言及されているのは、例えば普天間基地の側に住む人)という「自己責任論」に対して、筆者は 「人間に関する理論」で述べているように、そのような状況であればそのような行為をおこなうことも無理はない、ということを「理解」すべきである。 すごく乱暴に言ってしまうと、「想像力」なのかなとも思う。インターネット上では、自分の見える範囲のことだけ見て、そこからレッテルを貼ることは簡単。でも、実際その人一人一人の生活に迫った時に、そんな乱暴なこと言えるの?と言われると、多分多くの人は答えに窮するんじゃないかと思う。 でも、政策とかの話になるが、変化の早いこの社会で、一般化をせずに話を進めることも難しい。一人一人の生活に迫っていては、例えば施策も打てないのも事実。そこのバランスをとることが、重要なんだろうと思う。じゃあどうしろ、と言う話だとも思うが、

Posted by ブクログ