商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 勁草書房 |
発売年月日 | 2018/10/30 |
JAN | 9784326654147 |
- 書籍
- 書籍
マンゴーと手榴弾
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
マンゴーと手榴弾
¥2,750
在庫あり
商品レビュー
4.4
15件のお客様レビュー
社会学における「質的調査」についての論考集。 筆者は生活史調査を専門にしている。生活史調査とは、個人の語りに立脚した、総合的な社会調査。 こうした質的調査が、どうあるべきか、どう正しさを保証すべきか、何のためにあるのか。 ポイントは以下 ・質的調査はその場限りのものではないと...
社会学における「質的調査」についての論考集。 筆者は生活史調査を専門にしている。生活史調査とは、個人の語りに立脚した、総合的な社会調査。 こうした質的調査が、どうあるべきか、どう正しさを保証すべきか、何のためにあるのか。 ポイントは以下 ・質的調査はその場限りのものではないということ。 →「語り」が始まるのは、語るための関係構築からの段階かもしれないし、インタビューのアポイントを取るときからかもしれない、あるいは語る人がその体験をしたときからかもしれない。 ・「語り」の鉤括弧を外すこと。 →「語り」には誤りがあることもある。そうした誤りに対してどう対応するか?ある研究者は「鉤括弧を外さない」ことを提唱している。つまり、「何を語ったか」ではなくて、「いかに語ったか」を重視する、一般化して語ることを禁じている。しかし筆者はそれとは反対の立場である。事実へと至る回路を閉ざしてはいけない、と主張している。そもそも事実というものも、社会的に構築されるものなのであるから。 ・質的調査のディティールは、読者との間で「理解」を再現しようとする試みである。 → ホームレスが寄る「ブックオフ」、部落差別を受け、結婚相手の親に食べてもらえなかったプリン、DVの彼氏の家に行く時に父親から渡されたクワガタ、こうしたディティールがあることで、言葉には表せない理解が再現される。 ・量的調査と質的調査は同じくらい正しい →質的調査は、「興味深いが曖昧」とみなされてしまう。一方で量的調査は「つまらないけど確か」とみなされる。しかし実際は、質的調査も常に公共空間における相互作用に晒され「介入」され、常に何らかの修正がかかる。逆に量的調査は、データを収集する段階で、どこから回答を集めるか、回答の取り扱いをどうするか、という点で「ブラックボックス」がある。それを考えると、量的調査と質的調査は同じくらい正しいのである。 ・「人間に関する理論」について → 「人間に関する理論」とは何か。それは、そのような状況であればそのような行為をおこなうことも無理はない。ということの「理解」の集まりである。あるいは、そのような状況でなされたそのような行為にどれほどの責任があるだろうか、ということを考え直させるような「理解」の集まり。そしてその理解を作り上げる作業に終わりはない。常にそうした理解を積み上げ続けるのである。(タバコのエピソード→沖縄戦の中、逃げ延びながらタバコを自作する。過酷な状況でもひとは喜びや楽しみを見つける ココアのエピソード→不良の中学生のグループにいた少女が、半ば強制的に犯されたされた不良仲間にシャワーと温かいココアを提供する。) 感想としては、興味深かった。研究者ではないので、この本から得られた知識をどう活かせばいいのかはわからないが。 質的調査と量的調査の違いについては、目から鱗の感じ。確かに質的調査、本当に正しいの?と思っていたが、量的調査にもブラックボックスはある。データを示されて、統計的にこう言えるから、正しい、と言われると、確かにそうだな、と思ってしまう。しかし、データの取り方一つとっても、そこには人間の意思が介在する。特に、筆者が部落へのアンケート調査をした際に、もらった回答をどう扱うか(例えば、なぜこの部落に来たか、と言うアンケートに対して、いくつか選択肢を示していたが、そこに当てはまらない回答をどう扱うか)と言う議論を、研究期間の間し続けていた、と言う話を読み、タフだな…と思ったし、まあでも確かに、社会学におけるデータって、必ずしも定量的に取れる物でもないのだよな、と改めて実感した。そしてそのうえで、量的調査が正しくないというわけではない、と言うことも心に留めておきたい。 あとは、この筆者の「自己責任論」に対する立場も心に留めておきたい。悪い状況に陥っているのは、そう選択したお前らが悪い(本の中で言及されているのは、例えば普天間基地の側に住む人)という「自己責任論」に対して、筆者は 「人間に関する理論」で述べているように、そのような状況であればそのような行為をおこなうことも無理はない、ということを「理解」すべきである。 すごく乱暴に言ってしまうと、「想像力」なのかなとも思う。インターネット上では、自分の見える範囲のことだけ見て、そこからレッテルを貼ることは簡単。でも、実際その人一人一人の生活に迫った時に、そんな乱暴なこと言えるの?と言われると、多分多くの人は答えに窮するんじゃないかと思う。 でも、政策とかの話になるが、変化の早いこの社会で、一般化をせずに話を進めることも難しい。一人一人の生活に迫っていては、例えば施策も打てないのも事実。そこのバランスをとることが、重要なんだろうと思う。じゃあどうしろ、と言う話だとも思うが、
Posted by
本書は、生活史調査の方法論と理論について書かれた本である(「はじめに」より)。次に「定義」が書かれているが、その次の文章が具体的で分かりやすい。 「生活史調査は、人びとの人生のなかに実際に存在する、生きづらさ、しんどさ、孤独、幸せ、悲しさ、喜び、怒り、不安、希望を聞き取る調査で...
本書は、生活史調査の方法論と理論について書かれた本である(「はじめに」より)。次に「定義」が書かれているが、その次の文章が具体的で分かりやすい。 「生活史調査は、人びとの人生のなかに実際に存在する、生きづらさ、しんどさ、孤独、幸せ、悲しさ、喜び、怒り、不安、希望を聞き取る調査である。それは、調査の現場で聞き取られた語りを通じて、その人びとはどのような歴史的状況のなかで、どのような社会構造のなかで生きてきたのかを考える。」 そのようにして行われる生活史調査の「正しさ」とは何なのか、「語り」と聞き取りとはどのような関係にあるのか、「語り」から調査者は何を読み取り、どう分析し、その結果何を書くべきなのか、といったことについて、著者の考えが述べられていく。 実際の聞き取りと語りの記述を具体的に示しながら考察が述べられているので(その記述自体読んでいてとても興味深いが)、社会調査について専門的知見のない著者の言わんとしていることのおおよそは理解できると思う。 調査する者に対して自らの人生を語ってくれる語り手の思いに応えるために、質的調査を「より正しい」ものにしていこうとする著者の熱い思いが感じられるのが、本書の醍醐味だと思う。 ただ、自分の勉強不足もあって、特に理論的色彩の濃い第2論文「鍵括弧を外すことーポスト構築主義社会学の方法」に出てくる「ストーリー」とか「括弧に入れたまま」という表現の意味するもの、あるいは紹介されているドナルド・デイヴィドソンの概念相対主義批判の議論について消化不良だったのが反省点。
Posted by
あらかじめ聞き取り内容など決めず取り止めのない話を通じてそこに生きる人の民俗を記録に残す生活史。ヤンキー文化や、地元の友人との繋がりは日本どこでもそんな気がするけど、戦争にまつわることや基地の騒音は沖縄ならでは…と思う。フィルターを通さない調査の難しさもわかる。書籍としては意味付...
あらかじめ聞き取り内容など決めず取り止めのない話を通じてそこに生きる人の民俗を記録に残す生活史。ヤンキー文化や、地元の友人との繋がりは日本どこでもそんな気がするけど、戦争にまつわることや基地の騒音は沖縄ならでは…と思う。フィルターを通さない調査の難しさもわかる。書籍としては意味付けや注目箇所は書いても研究としてはただ記すのだろうか?いやそんな論文ないよなぁ…?本件の場合回答者がこちらの意図に合わせてしまうことのむつかしさも際立つ。直前読んだ心理学の本とも思いがけずつながった。
Posted by