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眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | フィルムアート社 |
発売年月日 | 2018/07/26 |
JAN | 9784845917044 |
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眼がスクリーンになるとき
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商品レビュー
4
4件のお客様レビュー
内容は難解だけど数回読めばわかるようになる。 問題は『シネマ』を読まないと『シネマ』の議論と福尾の解釈との見分けがつきづらいこと… この本を手掛かりに『シネマ』も読むかあ
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ただ見るとは。 映画はモンタージュの集合体であり、それ自体が隠喩であると信じていた自分には、あまりにも逆説的な出だしで困惑した。だが、映画は映画でありスクリーンであり自分が見ている世界でもある。目の前で流れている存在そのものが自分の眼であると考えるのも面白い。
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"たんに「見る」ことの創造性”などの言葉にシンパシーと挑発的なものを感じて、著者と本書に興味をもった。 ドゥルーズ「シネマ」の運動イメージと時間イメージ、そしてベルクソンのおもに「物質と記憶」を段階的に参照・比較しながら、ドゥルーズの“リテラリティ”と革新性を明らかに...
"たんに「見る」ことの創造性”などの言葉にシンパシーと挑発的なものを感じて、著者と本書に興味をもった。 ドゥルーズ「シネマ」の運動イメージと時間イメージ、そしてベルクソンのおもに「物質と記憶」を段階的に参照・比較しながら、ドゥルーズの“リテラリティ”と革新性を明らかにしていく。 3章「運動と時間」がとても味わい深く、4章はスリリングに駆け抜けるようだった。 p144「眼は眼であり、カメラはカメラである。....」の2段落によって、前後がスパークしていく。 引用と説明が重ねられていくシンプルなスタイルの中に、アイデアを伝えようとする著者の身振りが見えるようで、「超」読解でありながら、気さくに楽しく読みすすめられる。 そして、5-1「私に身体を与えてください」ではじまる最終章が美しい。 身体が、身体こそが、バラバラにほどけてゆく際限なき断片化への抵抗の拠点となる。 * p249 生の諸々のカテゴリーのほうへと思考を投げ込むことが問題なのだ。生のカテゴリー、それはまさしく身体の諸々の態度、姿勢のことだ。 p280 貧しい者たちは仮構作用によって「おのれの民衆を発明する」...仮構作用とは、「本当かどうかわからない話」としての伝説をその場でおこない、記憶にすることだ。 人物は以前と以後から分割されるのではなく、ある状態から別の状態へと移りゆくなかで以前と以後を結びつける。 彼は決して虚構的であることなく仮構するとき、他者に生成する」。 * 取る態度や方法が実験的で自然な印象。今後の書き物もとても楽しみだ。
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