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十四番線上のハレルヤ
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十四番線上のハレルヤ

大濱普美子(著者)

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十四番線上のハレルヤ

定価 ¥1,980

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 国書刊行会
発売年月日 2018/06/25
JAN 9784336062758

十四番線上のハレルヤ

¥1,705

商品レビュー

3.7

4件のお客様レビュー

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2022/09/24

最新作「陽だまりの果て」が凄かったので、その前に当たる第2作目を読んでみた。 実は刊行当時からカバーイラストが素敵だったり皆川博子の書評もあったりで、気になっていたのだ。 内容の幻想性、怖さもさることながら、文体の「とぼけた空恐ろしさ」が凄い。 描写も人物造形もいちいちユーモラス...

最新作「陽だまりの果て」が凄かったので、その前に当たる第2作目を読んでみた。 実は刊行当時からカバーイラストが素敵だったり皆川博子の書評もあったりで、気になっていたのだ。 内容の幻想性、怖さもさることながら、文体の「とぼけた空恐ろしさ」が凄い。 描写も人物造形もいちいちユーモラスなのに、全体として見ると嫌な感じ。 記憶や認知がどこか歪んでいるのに、ゆめまぼろしの世界に飛んでいかず、むしろ実生活が着々と進む。 単純に人が怖いというより、人が内面に溜め込む何かや、老いること、死ぬことが強烈に辛いので、人という存在が仕方なく怖くなってしまう、という流れ。 「補陀落葵の間」なんかはポプラ文庫あたりに潜ませて、中高生への劇薬として送り込みたい。 このたび知ったのは、作者の父親はフランス文学者の大濱甫(はじめ)。 なんとマルセル・シュオッブの訳者なのだ。 何かしら納得。 ■ラヅカリカヅラの夢 ■補陀落葵の間 ■十四番線上のハレルヤ ■鬼百合の立つところ ■サクラ散る散るスミレ咲く ■劣化ボタン

Posted by ブクログ

2019/08/21

日常の中に奇妙な出来事が交錯する幻想小説6篇。 うまく言えないけど装画のような雰囲気が好きな人はぴったりではないだろうか。 お耽美な世界というか夢と現実の境界が曖昧なところにいる感覚。薄暗い夜のイメージ。 個人的には表題作より後になる方が読みやすかった。最後の「劣化ボタン」が他...

日常の中に奇妙な出来事が交錯する幻想小説6篇。 うまく言えないけど装画のような雰囲気が好きな人はぴったりではないだろうか。 お耽美な世界というか夢と現実の境界が曖昧なところにいる感覚。薄暗い夜のイメージ。 個人的には表題作より後になる方が読みやすかった。最後の「劣化ボタン」が他の話と異色。

Posted by ブクログ

2019/08/08

『ちょっと、どうしたの。そう声をかけると、蒲の穂綿を取ろうとして落ちてしまったのだ、との答えが返ってきた。手首のところから曲げた指先まで、水から生えるように静かに立っていて、水面は波立たず泡の一つも浮かんでこなかった』―『ラヅカリヅラの夢』 現代社会における遠野物語。現実は堅実...

『ちょっと、どうしたの。そう声をかけると、蒲の穂綿を取ろうとして落ちてしまったのだ、との答えが返ってきた。手首のところから曲げた指先まで、水から生えるように静かに立っていて、水面は波立たず泡の一つも浮かんでこなかった』―『ラヅカリヅラの夢』 現代社会における遠野物語。現実は堅実な支えに寄って立ち得ているようで案外と脆い。硬い壁だと思って手を添えて歩みを進めていると、すっと手応えを失いよろめく。よろめいた先はあたかも壁一枚挟んだ向こう側の世界のよう。何もかも見知った世界そっくりだが、何か異質な存在を感じ取る。大濱普美子はその違和を巧みに物語る。少し不気味で、現実とはかけ離れた世界だが、そこに巣食う人々は誰もが汗臭い現実臭を強く放つ。架空の物語を通底する響きが、これは現実の世界の中の物語なのだと訴えてくる。 文体や設定、物語の長短は変わりつつも、ここに並ぶ物語はいずれも異質であるということと繋がる物語である。その異質さを悟られぬよう身の内に抱え込みながら生きる登場人物たち。そのことが、ふと、異質であるとはどういうことかと問うことを強いているようでもある。啓蒙思想以降、数々の超常現象的な出来事は科学的に説明できる出来事となり、魔女や妖怪の棲む領域はほとんど無くなったかに見える。それでも洋の東西を問わず、人々は何か常識的には理解できないものを想像上の存在と結びつけて考える。妖精しかり、UFOしかり。存在していると信じる心を誰も否定することはできない。 けれども問題の本質はそんなことではない。目に見えないけれど存在するというものが元々客観的な存在なのではなく人間の思考の癖の産物だとしたら、如何に科学が発達し蒙が啓かれたとしてもそれらが雲散霧消することはない。それどころか、現代ではむしろ在りもしない小さな差異をことさらに強調して魔女狩りのようなことすら行われる。そんな不合理な狩りの獲物にされた者に祝福を。表題作はそんな祈りのようにも見えてくる。 多様性と唇の端で嘯いて見せても、我々の薄暗い心の闇の奥底にはとてつもなく強い同調圧力が存在する。異質であることを自覚しながらそんな世界に巣食うこと。それが現代社会におけるクレドでないとしたら何を糧に生きるのだろう。

Posted by ブクログ

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