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帝国議会 西洋の衝撃から誕生までの格闘 中公新書2492
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2018/06/20 |
JAN | 9784121024923 |
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帝国議会
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商品レビュー
4
8件のお客様レビュー
書いた人の苦労が偲ばれる一冊である。 内容は近年の中公の維新ものと同様、幕末動向から明治のある一点までを追う記述で構成されるが、その他のものよりも議会・公議というテーマで貫徹して描けているという印象。そのため、筋が追いやすく、事実が把握しやすいため、率直に勉強になる。 加えて、と...
書いた人の苦労が偲ばれる一冊である。 内容は近年の中公の維新ものと同様、幕末動向から明治のある一点までを追う記述で構成されるが、その他のものよりも議会・公議というテーマで貫徹して描けているという印象。そのため、筋が追いやすく、事実が把握しやすいため、率直に勉強になる。 加えて、ところどころに、現代議会への警鐘を促す記述も行きすぎておらず、自省を嫌でも促される。 最近、特に中公の維新ものを短期間のうちに複数読んでいる中で思っている(どうも同じ編集者の方のようだ)のが、やはり、この時期を明治という国家を作り出した人々の成長過程として見たときにそれらが魅力的であることだ。そして、その過程は、国家自身の成長過程であるともいえよう。 筆者にとっては、この一冊がひどく悩みながら書かれたことが記されているが、これはまさに明治の先達と同じ悩みではないだろうか。 多くの記述を割いている伊藤博文にも同じ悩みがあったのではないだろうか。 そう思うと、この一冊が筆者にとって代え難い経験であったことは疑い得ない。 先に述べた内容に加え、筆者の成長過程に触れられた一冊で読後の満足度は高い。
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社会主義国家の崩壊と共に「社会運動」の歴史研究は停滞しているらしい。他方、所謂「講座派の歴史観」からは脱却しつつあるとはいえ、文学部系の歴史研究者は政治史を敬遠し、民衆史や社会史への興味関心を強めてきたと言える。このような状況の中、法学部系の歴史研究者である80年代生まれの30代...
社会主義国家の崩壊と共に「社会運動」の歴史研究は停滞しているらしい。他方、所謂「講座派の歴史観」からは脱却しつつあるとはいえ、文学部系の歴史研究者は政治史を敬遠し、民衆史や社会史への興味関心を強めてきたと言える。このような状況の中、法学部系の歴史研究者である80年代生まれの30代の著者により、イデオロギーから脱却した実証主義に基づいた政治史研究が登場してきた事は、歴史研究の転換点を象徴しているようにも思える。今後、この路線の研究が隆盛する事に期待したい。 難点は売り方で折角の好著を『帝国議会』という地味で無味乾燥な題名にしてしまったため、副題で内容類推する必要があるという事。せめて「帝国議会の誕生」にできなかったのだろうか?他方、帯には「志士たちの理想は実現したか」という安っぽいコピーになっているのはどういう事なのか?相互に打ち消しあっていて、非常にバランスが悪いように思えるが。
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「公儀公論」は、明治維新の理念の大きな柱の一つであり、また維新後の新政府においても五箇条の御誓文の第一条に「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とある通り、議会開設は明治政府における一貫して推進すべき課題であった。 しかし、実際に第一回帝国議会が召集されるには明治23年(1890...
「公儀公論」は、明治維新の理念の大きな柱の一つであり、また維新後の新政府においても五箇条の御誓文の第一条に「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とある通り、議会開設は明治政府における一貫して推進すべき課題であった。 しかし、実際に第一回帝国議会が召集されるには明治23年(1890年)まで待たねばならず、その間総論では議会開設が支持されながらも、様々な路線対立があり、また議会政治という未体験の制度設計を行うにあたり膨大な情報収集と研究・検討が行われた。 本書は、新書一冊を費やして、その間の歴史を振り返るものである。 路線対立とは、主に、急進的に民選議院設立をす主張する民権派と、まだ機が熟していないとそれを抑えようとする政府の間のものであり、民権派に対する弾圧的な政策も採られたことが記される。 制度設計においては、伊藤博文自身が渡欧してドイツなど立憲君主国の制度を学びに行った件り、師事しようとしたグナイストに冷たくあしらわれた伊藤が不満を表明した記録が残っているあたりなどがなかなか興味深い。 それにしても、国会開設の勅諭が発布されたのが明治14年で、9年後に議会開設することが謳われているという点、現代ではとても考えられないスピード感。 時代が違うといえばそれまでだが、それだけ壮大な制度設計・機関設計・利害調整を伴う大事業であった(何といっても憲法を作るのとセットであったのだから)ことが改めて偲ばれる。 今の日本であれば、立憲君主制をやめて大統領制に変えるくらいの大改革か。 いや、基礎がなかった分それ以上だろう。 これだけのことを成し遂げるには、ある程度強力なトップダウンが必要で、民権派に配慮していては実現できなかったというのもわからなくはない。
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