帝国議会 の商品レビュー
書いた人の苦労が偲ばれる一冊である。 内容は近年の中公の維新ものと同様、幕末動向から明治のある一点までを追う記述で構成されるが、その他のものよりも議会・公議というテーマで貫徹して描けているという印象。そのため、筋が追いやすく、事実が把握しやすいため、率直に勉強になる。 加えて、と...
書いた人の苦労が偲ばれる一冊である。 内容は近年の中公の維新ものと同様、幕末動向から明治のある一点までを追う記述で構成されるが、その他のものよりも議会・公議というテーマで貫徹して描けているという印象。そのため、筋が追いやすく、事実が把握しやすいため、率直に勉強になる。 加えて、ところどころに、現代議会への警鐘を促す記述も行きすぎておらず、自省を嫌でも促される。 最近、特に中公の維新ものを短期間のうちに複数読んでいる中で思っている(どうも同じ編集者の方のようだ)のが、やはり、この時期を明治という国家を作り出した人々の成長過程として見たときにそれらが魅力的であることだ。そして、その過程は、国家自身の成長過程であるともいえよう。 筆者にとっては、この一冊がひどく悩みながら書かれたことが記されているが、これはまさに明治の先達と同じ悩みではないだろうか。 多くの記述を割いている伊藤博文にも同じ悩みがあったのではないだろうか。 そう思うと、この一冊が筆者にとって代え難い経験であったことは疑い得ない。 先に述べた内容に加え、筆者の成長過程に触れられた一冊で読後の満足度は高い。
Posted by
社会主義国家の崩壊と共に「社会運動」の歴史研究は停滞しているらしい。他方、所謂「講座派の歴史観」からは脱却しつつあるとはいえ、文学部系の歴史研究者は政治史を敬遠し、民衆史や社会史への興味関心を強めてきたと言える。このような状況の中、法学部系の歴史研究者である80年代生まれの30代...
社会主義国家の崩壊と共に「社会運動」の歴史研究は停滞しているらしい。他方、所謂「講座派の歴史観」からは脱却しつつあるとはいえ、文学部系の歴史研究者は政治史を敬遠し、民衆史や社会史への興味関心を強めてきたと言える。このような状況の中、法学部系の歴史研究者である80年代生まれの30代の著者により、イデオロギーから脱却した実証主義に基づいた政治史研究が登場してきた事は、歴史研究の転換点を象徴しているようにも思える。今後、この路線の研究が隆盛する事に期待したい。 難点は売り方で折角の好著を『帝国議会』という地味で無味乾燥な題名にしてしまったため、副題で内容類推する必要があるという事。せめて「帝国議会の誕生」にできなかったのだろうか?他方、帯には「志士たちの理想は実現したか」という安っぽいコピーになっているのはどういう事なのか?相互に打ち消しあっていて、非常にバランスが悪いように思えるが。
Posted by
「公儀公論」は、明治維新の理念の大きな柱の一つであり、また維新後の新政府においても五箇条の御誓文の第一条に「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とある通り、議会開設は明治政府における一貫して推進すべき課題であった。 しかし、実際に第一回帝国議会が召集されるには明治23年(1890...
「公儀公論」は、明治維新の理念の大きな柱の一つであり、また維新後の新政府においても五箇条の御誓文の第一条に「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とある通り、議会開設は明治政府における一貫して推進すべき課題であった。 しかし、実際に第一回帝国議会が召集されるには明治23年(1890年)まで待たねばならず、その間総論では議会開設が支持されながらも、様々な路線対立があり、また議会政治という未体験の制度設計を行うにあたり膨大な情報収集と研究・検討が行われた。 本書は、新書一冊を費やして、その間の歴史を振り返るものである。 路線対立とは、主に、急進的に民選議院設立をす主張する民権派と、まだ機が熟していないとそれを抑えようとする政府の間のものであり、民権派に対する弾圧的な政策も採られたことが記される。 制度設計においては、伊藤博文自身が渡欧してドイツなど立憲君主国の制度を学びに行った件り、師事しようとしたグナイストに冷たくあしらわれた伊藤が不満を表明した記録が残っているあたりなどがなかなか興味深い。 それにしても、国会開設の勅諭が発布されたのが明治14年で、9年後に議会開設することが謳われているという点、現代ではとても考えられないスピード感。 時代が違うといえばそれまでだが、それだけ壮大な制度設計・機関設計・利害調整を伴う大事業であった(何といっても憲法を作るのとセットであったのだから)ことが改めて偲ばれる。 今の日本であれば、立憲君主制をやめて大統領制に変えるくらいの大改革か。 いや、基礎がなかった分それ以上だろう。 これだけのことを成し遂げるには、ある程度強力なトップダウンが必要で、民権派に配慮していては実現できなかったというのもわからなくはない。
Posted by
幕末維新期を席巻した「公議」という理念の延長線上にあるものとして帝国議会の開設史を描く。従来、在野の自由民権運動の側からの議会開設史が多かったが、本書の視点は、どちらかというと、明治政府の側である。公議所、集議院、左院、元老院といった「公議」を実現するための政府の模索を丁寧に振り...
幕末維新期を席巻した「公議」という理念の延長線上にあるものとして帝国議会の開設史を描く。従来、在野の自由民権運動の側からの議会開設史が多かったが、本書の視点は、どちらかというと、明治政府の側である。公議所、集議院、左院、元老院といった「公議」を実現するための政府の模索を丁寧に振り返っている。 ないものねだりではあるが、帝国議会が開設されてからの、帝国議会の有様ももっと知りたかった。
Posted by
帝国議会そのものは日本史の中においてマイナーな部類に入ると思う。どうしても伊藤博文といった人物や事件に目を奪われる。しかし、その伊藤博文をはじめとした幕末・明治期の人々の求め続けたものこそが「公儀」であり、その結晶こそが「帝国議会」。 幕府老中・阿部正弘が広く諸大名に意見を求...
帝国議会そのものは日本史の中においてマイナーな部類に入ると思う。どうしても伊藤博文といった人物や事件に目を奪われる。しかし、その伊藤博文をはじめとした幕末・明治期の人々の求め続けたものこそが「公儀」であり、その結晶こそが「帝国議会」。 幕府老中・阿部正弘が広く諸大名に意見を求めた事が源流の一つだが、遂に幕府では実現できなかった。帝国議会を設立できるか否かが、幕府と明治政府の明暗を分けたのだろう。そして曲がりなりにも西洋以外で議会を運営できた事によって、列強の一角に上り詰めたと言える。
Posted by
序章 発見―西洋の議会と維新の理念 第1章 始動―民選議院の要求、元老院の開設 第2章 抗争―自由民権運動、明治一四年の政変 第3章 西洋―英仏とは異なる議会の模索 第4章 設計―欽定憲法下の議会とは 第5章 完成―帝国議会の開会 終章 軌跡―日本にとっての議会とは 著者:久保...
序章 発見―西洋の議会と維新の理念 第1章 始動―民選議院の要求、元老院の開設 第2章 抗争―自由民権運動、明治一四年の政変 第3章 西洋―英仏とは異なる議会の模索 第4章 設計―欽定憲法下の議会とは 第5章 完成―帝国議会の開会 終章 軌跡―日本にとっての議会とは 著者:久保田哲(1982-、東京都、政治史)
Posted by
明治維新から20数年を経て、明治憲法発布、帝国議会誕生となるが、それまでの歴史は意外と知られていないように思う。ドイツ憲法を範にしたというが、伊藤博文たちがドイツに留学し、大家グナイストから講義を受けようとしたが、その無名の若手弟子モッセの講義を受け、伊藤はそれが不満だったという...
明治維新から20数年を経て、明治憲法発布、帝国議会誕生となるが、それまでの歴史は意外と知られていないように思う。ドイツ憲法を範にしたというが、伊藤博文たちがドイツに留学し、大家グナイストから講義を受けようとしたが、その無名の若手弟子モッセの講義を受け、伊藤はそれが不満だったという。そしてシュタインの講義。それらの成果と別途、山形有朋がモッセを日本に招いたことから、憲法の枠組みが出来ていった!その中での伊藤の果たした役割の大きさを今更ながら感じるし、それが明治天皇から大きく評価された様子。日本には天照大神以来独裁はなく、会議を決定してきた歴史があるとの説明は面白い。実は日本は議会がなじむ風土だったのだ!民間にあった福沢諭吉が実際には政治に現実に影響を及ぼしていたことも初めて実感した。加藤弘之が国民に自由への自覚が足りず議会制は時期尚早と主張し、福沢が場を提供することで人民が洗練されていくと主張する論争が行われたらしい。これは現代の日本を考えると何とも皮肉な話である。
Posted by
西洋で200年を要した議会設立が、明治維新後約20年でどのように創られたか。人々の構想と試行錯誤の軌跡を追い、全貌を明らかに
Posted by
- 1