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夜のみだらな鳥 フィクションのエル・ドラード
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 水声社 |
| 発売年月日 | 2018/02/01 |
| JAN | 9784801002678 |
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夜のみだらな鳥
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夜のみだらな鳥
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商品レビュー
4.3
8件のお客様レビュー
修道院で働く唖の小男ムディートは自らの過去を語る。 作家を志す青年、国会議員の秘書、奇形の園の管理者、そして修道院に逃げ込むまで。 オールタイムベスト。 奇形の園を作るところがキャッチーなのでその紹介のされ方が目立つが、本質は決して手に入ることのないものを求める人々のコンプレッ...
修道院で働く唖の小男ムディートは自らの過去を語る。 作家を志す青年、国会議員の秘書、奇形の園の管理者、そして修道院に逃げ込むまで。 オールタイムベスト。 奇形の園を作るところがキャッチーなのでその紹介のされ方が目立つが、本質は決して手に入ることのないものを求める人々のコンプレックスの物語である。 主人公は家柄もよく容姿端麗な国会議員のことを深く羨み、どうにか彼の一部分となりたい。 国会議員のほうもムディートによって男性性を奪われ、彼がいないと不能となる。 それぞれの登場人物ごとに持つ者持たざる者のグロテスクな関係性が描かれ、誰一人満たされない。 まさに骨太の傑作である。 月5000円のお小遣いの中で、4000円近くしたこれをタイトル買いした当時のおれを永遠に褒め称えたい。 お金持ち大嫌いで親の七光りを唾棄すべき悪徳と考えていた当時のおれは、自分よりも遥かに醜悪な嫉妬心をまざまざと見せつけられていくらか冷静になれた。
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結局3週間くらいかかったのか。読み終わるのに。 いやあ、これは大変だった。 取り壊しが予定されている、大量の老婆と数人の孤児のみが所属している修道院を舞台に、「ムディート」と呼ばれる唖の男が自分語りをする。 ムディートはもともと修道院の所有者で有力者であるヘロニモ・アスコイティ...
結局3週間くらいかかったのか。読み終わるのに。 いやあ、これは大変だった。 取り壊しが予定されている、大量の老婆と数人の孤児のみが所属している修道院を舞台に、「ムディート」と呼ばれる唖の男が自分語りをする。 ムディートはもともと修道院の所有者で有力者であるヘロニモ・アスコイティアの秘書であり、この修道院では聾唖の「ふり」をしている、という設定になっている。本当のところはよくわからない。本当によくわからない。 彼の自分語り、これが作品の9割を占めるわけだが、まあすごい。当時の南米文学で流行ったマジックリアリズムに妄想というスパイスを振りかけた上に、自由自在な視点と時系列の無視という文学的レトリックをふんだんに散りばめているものだからいとも容易に振り落とされる。 しかもこのムディート(秘書時代はウンベルト)は、物書き志望の青年で、この自分語りが彼の作品なのかもしれないと思うと、さらに混迷を極める。多重メタ構造に対して、自分はどの階層で読めばいいのか。2階で降りたと思ったら、実は地下1階だったり。 本当に大変。読むの本当に大変だった。 そして面白いとか面白くないとかで判断するような作品ではない。 これは紛れもなく、南米「文学」であり、文学だからこそ許される表現、文学だからこそ許されるルールで既成概念を覆しにくる。 「畸形」と呼ばれる人々が楽園を作る。そして彼らが美醜の概念をひっくり返す。 今なら文学だからと言ったって許されないかもしれない。でもこの形式を取ったからこそ生まれるパワーはやはりこの作品でしか出せない。 すごい発想。すごいエネルギー。我々日本人は「ラテン」というと能天気なイメージが先行するけど、この知的さよ。到底かなわない。 やーすごかったなあ。疲れたけど、すごかった。 だーれにもお勧めしない。この作品は。 でもついうっかりこれを手にとってしまい、うっかり最後まで読んでしまった人はきっと、同じ感想を抱くに違いない。
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本書の説明やあらすじでやたらと取り沙汰される「畸型の王国」はいうほどメインではなく、それこそ《ムディート》の手術後と同じく全体の20%ほどに過ぎない。 『ドン・キホーテ』の内容の代名詞「風車に突撃」シーンは、実際に読んでみると一瞬で終わってあんまり印象に残らないのと似ている。未読...
本書の説明やあらすじでやたらと取り沙汰される「畸型の王国」はいうほどメインではなく、それこそ《ムディート》の手術後と同じく全体の20%ほどに過ぎない。 『ドン・キホーテ』の内容の代名詞「風車に突撃」シーンは、実際に読んでみると一瞬で終わってあんまり印象に残らないのと似ている。未読者に向けたキャッチーな要素が必ずしも小説の大部を占めていない例。 お婆ちゃんの存在感がある小説が好みであることに最近気付いたのだけど、この小説も、とにかく大勢のお婆ちゃんズが元気に喋って老いて子育てして遊んで歌って死んでの大活躍を繰り広げるので、好き。 「自分」というアイデンティティがぐらぐらしている方が安心感を覚える無我論者なので、その点でも非常に自分好みであった。(そういう奴ばかりが登場し、あまつさえ語り手の座に居座っていやがる小説が読み易いかといわれれば当然そんなことはないのだが。) 途中二度の「寝かせ」の時期を挟んで1年半かけて(だいたい3分の1ずつに分けて)読み終えた。 読み始めた当初のメモには「めちゃくちゃムズい…」とビビりまくっている様子が残っているが、終盤3分の1を五日間で一気に駆け抜けてられたのは、レサマ=リマ『パラディーソ』漬けの2ヶ月のあとだったからだと思う。正直なところ、『パラディーソ』のあとでは、『夜みだ』の文章はなんて読みやすいんだろう!と感動するほどだった。(じっさいドノソの文体は端正で正統派なほうだとは思うけど。) そもそも文体からヤバい鈍器本のあとでは大抵の「難解と言われる傑作」が霞んでしまう現象は、4年くらい前にギャディス『JR』の次に『百年の孤独』を読んでしまったときとまったく同じだ。 とはいえ、むろん、「ヤバい」ものがすなわち良い文学作品、好きな小説というわけでもなく、それぞれに得難い読書体験ではある。 ちなみに、『パラディーソ』と『夜のみだらな鳥』は、対照的ともいえるし、根本的/最終的にはかなり近いものを体現しているのではないかとも思う。 両作の「属性」を雑にいうと、『パラディーソ』は圧倒的に光属性で、『夜みだ』はタイトル通りに闇属性だろう。(より厳密には、闇というよりも「負」属性というほうがしっくりくるけど。あとは「冥」とか。) で、直喩などの修飾の過剰性を全開にしたネオバロック文体の『パラディーソ』が、それによって言語・言葉そのものの価値/世界を創り出そうとしているのに対して、『夜みだ』は、同じ人物名でも指示対象が入れ替わったり判然としなかったりと、言葉のある種の無力さ、無価値さを表現していると解釈してみる。しかし、そういう言葉の無力さを照射する基盤となっているのもまた言葉の集積(=小説)であるために、逆説的に、言語はそれ自身の存在価値を崩壊させてしまうほどの力があることを示してもいる。ドノソの文体が意外とふつうにちゃんとしている点もここに効いてくる。端正な文章でアイデンティティおよび言語の価値を融解させる物語を創り上げるからこそ成立する文学作品であるということ。 そして、直喩の過剰さによってもはや言葉そのものが破綻を来している『パラディーソ』もまた、言語の万能さと無力さが究極的には一致することを示していると考えれば、『夜のみだらな鳥』とテーマは共通する。 まぁ、こうやってレトリックをこねくり回せば大抵の文学作品に当てはまっちゃうんですけどね……(台無し) 最後に、もっとも『夜のみだらな鳥』で個人的に刺さったのは、修道院に帰ってきたイネス夫人が老婆たちと始める賭けドッグレースの描写。彼女が選んだ黄色い犬のコマが、ページをめくった次の文章からは本物の牝犬として疾走する様子が流れるような文章で描かれる。そして、リンコナーダ屋敷での「あの夜」に、茂みから目を光らせていたあの犬へとシームレスに繋がっていく。 ここは、ゲーム/遊戯という虚構と現実が融和している点で、ドノソ文学の本質を象徴している場面だし(『別荘』然り)、それを抜きにしても文章がめっちゃエモいので好き。泣きそうになった。こういうのに弱いんだよ……
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