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夜のみだらな鳥 フィクションのエル・ドラード
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 水声社 |
発売年月日 | 2018/02/01 |
JAN | 9784801002678 |
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夜のみだらな鳥
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夜のみだらな鳥
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商品レビュー
4.2
6件のお客様レビュー
本書の説明やあらすじでやたらと取り沙汰される「畸型の王国」はいうほどメインではなく、それこそ《ムディート》の手術後と同じく全体の20%ほどに過ぎない。 『ドン・キホーテ』の内容の代名詞「風車に突撃」シーンは、実際に読んでみると一瞬で終わってあんまり印象に残らないのと似ている。未読...
本書の説明やあらすじでやたらと取り沙汰される「畸型の王国」はいうほどメインではなく、それこそ《ムディート》の手術後と同じく全体の20%ほどに過ぎない。 『ドン・キホーテ』の内容の代名詞「風車に突撃」シーンは、実際に読んでみると一瞬で終わってあんまり印象に残らないのと似ている。未読者に向けたキャッチーな要素が必ずしも小説の大部を占めていない例。 お婆ちゃんの存在感がある小説が好みであることに最近気付いたのだけど、この小説も、とにかく大勢のお婆ちゃんズが元気に喋って老いて子育てして遊んで歌って死んでの大活躍を繰り広げるので、好き。 「自分」というアイデンティティがぐらぐらしている方が安心感を覚える無我論者なので、その点でも非常に自分好みであった。(そういう奴ばかりが登場し、あまつさえ語り手の座に居座っていやがる小説が読み易いかといわれれば当然そんなことはないのだが。) 途中二度の「寝かせ」の時期を挟んで1年半かけて(だいたい3分の1ずつに分けて)読み終えた。 読み始めた当初のメモには「めちゃくちゃムズい…」とビビりまくっている様子が残っているが、終盤3分の1を五日間で一気に駆け抜けてられたのは、レサマ=リマ『パラディーソ』漬けの2ヶ月のあとだったからだと思う。正直なところ、『パラディーソ』のあとでは、『夜みだ』の文章はなんて読みやすいんだろう!と感動するほどだった。(じっさいドノソの文体は端正で正統派なほうだとは思うけど。) そもそも文体からヤバい鈍器本のあとでは大抵の「難解と言われる傑作」が霞んでしまう現象は、4年くらい前にギャディス『JR』の次に『百年の孤独』を読んでしまったときとまったく同じだ。 とはいえ、むろん、「ヤバい」ものがすなわち良い文学作品、好きな小説というわけでもなく、それぞれに得難い読書体験ではある。 ちなみに、『パラディーソ』と『夜のみだらな鳥』は、対照的ともいえるし、根本的/最終的にはかなり近いものを体現しているのではないかとも思う。 両作の「属性」を雑にいうと、『パラディーソ』は圧倒的に光属性で、『夜みだ』はタイトル通りに闇属性だろう。(より厳密には、闇というよりも「負」属性というほうがしっくりくるけど。あとは「冥」とか。) で、直喩などの修飾の過剰性を全開にしたネオバロック文体の『パラディーソ』が、それによって言語・言葉そのものの価値/世界を創り出そうとしているのに対して、『夜みだ』は、同じ人物名でも指示対象が入れ替わったり判然としなかったりと、言葉のある種の無力さ、無価値さを表現していると解釈してみる。しかし、そういう言葉の無力さを照射する基盤となっているのもまた言葉の集積(=小説)であるために、逆説的に、言語はそれ自身の存在価値を崩壊させてしまうほどの力があることを示してもいる。ドノソの文体が意外とふつうにちゃんとしている点もここに効いてくる。端正な文章でアイデンティティおよび言語の価値を融解させる物語を創り上げるからこそ成立する文学作品であるということ。 そして、直喩の過剰さによってもはや言葉そのものが破綻を来している『パラディーソ』もまた、言語の万能さと無力さが究極的には一致することを示していると考えれば、『夜のみだらな鳥』とテーマは共通する。 まぁ、こうやってレトリックをこねくり回せば大抵の文学作品に当てはまっちゃうんですけどね……(台無し) 最後に、もっとも『夜のみだらな鳥』で個人的に刺さったのは、修道院に帰ってきたイネス夫人が老婆たちと始める賭けドッグレースの描写。彼女が選んだ黄色い犬のコマが、ページをめくった次の文章からは本物の牝犬として疾走する様子が流れるような文章で描かれる。そして、リンコナーダ屋敷での「あの夜」に、茂みから目を光らせていたあの犬へとシームレスに繋がっていく。 ここは、ゲーム/遊戯という虚構と現実が融和している点で、ドノソ文学の本質を象徴している場面だし(『別荘』然り)、それを抜きにしても文章がめっちゃエモいので好き。泣きそうになった。こういうのに弱いんだよ……
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こんな小説を書けたら死んでもいい、というか、こんな小説を書いて死にたい。 冒頭の「シスター・ベニータからの電話で、もといた女中のブリヒダが昨夜死んだと知らされて、ラケル・ルイス夫人ははさめざめと泣いた」という一文で、いきなり三人も外国人が出てくるとわけがわからんと混乱に陥り、しか...
こんな小説を書けたら死んでもいい、というか、こんな小説を書いて死にたい。 冒頭の「シスター・ベニータからの電話で、もといた女中のブリヒダが昨夜死んだと知らされて、ラケル・ルイス夫人ははさめざめと泣いた」という一文で、いきなり三人も外国人が出てくるとわけがわからんと混乱に陥り、しかしこの混沌は、のちの他者との境界が入り乱れる展開を予感させるものですらあったと思わせられる。 で、ブリヒダの死→過去→挿話と展開するなかで「二ヶ月前から」の一語で話を戻すあたりがうまいなあと思ってると、だんだん語り手への不安(「おれ」とは?)が募っていき、それは物語(といってもあってないようなものだが)が進むにつれ増してゆく。 中上の『日輪の翼』を思い出したけれども、とにかく老婆がたくさん出てきて、そこに修道院、畸型、ともう悪夢のような世界観がたまらない。 短文で積み重ねてゆく狂気、悪夢のなかで、いよいよだれがなにをしたのかという事実までもが揺らぎはじめ、いったいなにが現実で虚構か?と気が狂いそうになる。 ほんとうに地獄のような幸せな読書だった。
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作者が見かけてショックを受けた光景が2つあり、そのイメージを作品にしてるそう。その2つの世界はフリークスと、廃墟化した修道院にたむろす老修道女。自分は話の筋とかあまり気にしないので抵抗は少ないと思うのですが、読み進め積み上げた情報がすぐに粉砕される。あれ、これは時系列でいうと昔の...
作者が見かけてショックを受けた光景が2つあり、そのイメージを作品にしてるそう。その2つの世界はフリークスと、廃墟化した修道院にたむろす老修道女。自分は話の筋とかあまり気にしないので抵抗は少ないと思うのですが、読み進め積み上げた情報がすぐに粉砕される。あれ、これは時系列でいうと昔の話なの?そういうわけでもねえ。最後につながるのかな?そうでもねえ。 その?が気になり、自分ははよ!次はどうなるねん、ととにかく夢中になって読みました。560ページ位。
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