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飛ぶ教室 児童文学の冒険(52 2018WINTER) 特集 「飛ぶ教室」的世界一周旅行!
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 光村図書出版 |
| 発売年月日 | 2018/01/25 |
| JAN | 9784813800071 |

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飛ぶ教室 児童文学の冒険(52 2018WINTER)
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呉明益の短編が飛ぶ教室に載っていることを知り、呉明益読みたさにこの号だけを買って読んだ。そのため、今のところ読んだのは、呉明益の「十元アゲハ」だけである。呉明益を読むなら、他の連作短編長編(という言い方であってるのか分からないけど)の方をおすすめすると思う。 語り手の「ぼく」は...
呉明益の短編が飛ぶ教室に載っていることを知り、呉明益読みたさにこの号だけを買って読んだ。そのため、今のところ読んだのは、呉明益の「十元アゲハ」だけである。呉明益を読むなら、他の連作短編長編(という言い方であってるのか分からないけど)の方をおすすめすると思う。 語り手の「ぼく」は、台湾先住民族の中で唯一の海洋民族、タオ族が住む蘭嶼(らんしょ)の島へ、友人のMとともに珍しい蝶とガを見に観光でやってきた。「三日間というわずかな滞在期間の間に、できるだけこの島を知ろうと歩き回った(p22)」二人は、現地で目にする景観と人々との交流の中で、蘭嶼の歴史と現在島が置かれている厳しい現実を垣間見る。 こういう風にまとめてしまうと、物語としては、よくある話という印象が強くなってしまうが、面白いのは、蘭嶼の景観と人々の話のディテールである。 朗島小学校の校長先生が魚図鑑を片手にやってきて、麺屋のおやじさんになにか質問したかったようだけど、ぼくらが注文をしたあとで、店も狭かったから、あきらめて帰ってしまった。きっとたくさんの魚の謎が、解明されないままになっているだろう。 「校長はよく来るんだ。この海の魚たちの、中国語の名前と蘭嶼での名前は違うからね。タオ族の言葉で教えてあげるんだ」おやじさんはそう言った。(p17) 冒頭にある、この1シーンひとつとってもみても、なんか面白い。あるいは、日本でも島に行けば似た光景はあるのかもしれないが、校長先生が子どもたちに魚について教えるのに、タオ族の言葉で教えてあげたいと思って近所の麺屋に来る。この光景は、さすがにあるのだろうか。外国人の子どもたちへの教育を専門としていた身としては、子どもたちへの教授において、言葉を大切にしようとするその姿勢に感動してしまう。 同じタオ族の描写として印象に残るところとして、「観光客たちは、ふんどし姿のタオ族の男性と記念撮影を撮るためにやってくる(p23)」のところも、さらっと読み流されてしまいそうだけれども、印象的だった。先住民の文化が、観光資源化している様は、麺屋のおやじさんとの対比も相まって、うーん……と考えさせられてしまう。 中盤の蝶の描写は、正直、若干読み飛ばし気味であった。蝶々とガの固有名詞が多く、国語の教科書の「少年の日の思い出」みたいだなという雑な感想を持った。タイトルが「十元アゲハ」であることを思えば、けっこう大事な部分なのではないかという気もするが。 コウトウキシタアゲハは、蘭嶼にのみ生息している珍しいチョウであり、「ぼく」たちは、それを見に蘭嶼にやってきたのである。宿泊先の主人周牧師にそのチョウの話を出したときに、「ああ、君が言っているのは『十元アゲハ』だね(p22)」と言われるのである。チョウとガの撮影という一見なんの変哲もない趣味にも、日本人と漢民族によって貨幣経済がもたらされた歴史と繋がってしまう。それだけ、何気ない生活の中に、先住民族たちが外来の権力者たちにその文化を商品にされたことの影響が深く根付いているのだとも言える。 とはいえ、最初に言ったように、呉明益の小説を読むなら、他のが好き。蘭嶼のタオ族の歴史の話と、核廃棄物の処分上にされている話と、チョウの話と………、どうしてもちょっと取って付けた感が………。呉明益の小説が、好きなのです。
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『若いころは十分以上の潜水ができたという彼だが、ぼくはとても信じられず、お愛想で褒めたものの、彼の大きな目がまっすぐこちらを見たとき、自分のおべっかを見抜かれていると思った』 天野健太郎翻訳の呉明益を読みたくて「飛ぶ教室No.52」を手に入れる。これは「自転車泥棒」に連なる話で...
『若いころは十分以上の潜水ができたという彼だが、ぼくはとても信じられず、お愛想で褒めたものの、彼の大きな目がまっすぐこちらを見たとき、自分のおべっかを見抜かれていると思った』 天野健太郎翻訳の呉明益を読みたくて「飛ぶ教室No.52」を手に入れる。これは「自転車泥棒」に連なる話であることを理解する。蝶を巡る過去と現在の混交。もっと続きが読みたいのに、あっという間に読み終えてしまうのが寂しい。もう、この翻訳で呉明益を読むことはできないのだな。 聞き慣れぬ蝶の名前がわざわざカタカナで書き下してある。言葉の切れ目を探して慎重に音に変換する。それらの蝶の名前については文末にややマニアックな原注があり蝶の特徴なとが解説されているのだが、そこには漢字の名前も記されていて、もちろんそれを「見れば」カタカナの音は必然的にそう読めることはまさに「一目瞭然」なのだが、それを意図的にカタカナで通している翻訳の向こう側で原文ではどう記されているのだろうと思いが漂う。漢字を回避した表現がそこにはあった筈だと勝手に想像してしまうのは、もうお馴染みとなったこの翻訳者ならではのこだわりがある筈だと推察するから。 蝶だけではない。台湾の離島の地名も、漢字で補足してはあるもののカタカナで記されている。それは、著者の言葉へのこだわりを丁寧に受け止めて、台湾の読者が感じるであろう小さな違和を、日本の読者にも解ってもらえる形に変えて、翻訳されている、というからくりなのだ。そんなこだわりをゆっくりと楽しむ。タオ族の言葉の響きは南方特有のリズム感があり、それが何だかアイヌ語のリズムのようでもあり、見知らぬ人々の文化的背景を勝手に身近なものに引き寄せて、妙な親近感を喚起する。 もちろん作家の独特の世界が堪能できることは言うまでもないない。台湾史をベースに置きながら、静かな口調で語る視線は為政者に向けられた鋭い眼差し。しかしそれは批判ではない。あくまで現在が過去の延長上にあるという事実を忘れるなという訴えだ。「歩道橋の魔術師」ではそれを郷愁と感じたけれど、「自転車泥棒」ではその描写に込められた意図は鮮明だった。きっとその理解の仕方で自分の足元や当たり前のように見慣れたものをもう一度見つめ直す必要があるのということなのだな、と妙な感想にたどり着く。
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