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倭の五王 王位継承と五世紀の東アジア 中公新書2470
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2018/01/01 |
JAN | 9784121024701 |
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倭の五王
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商品レビュー
3.9
15件のお客様レビュー
主に中国と朝鮮半島との関係から倭の五王の時代に迫る。讃珍済興武と天皇との対照については、そもそもあまり意味がない、との立場。
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五世紀に日本から中国に使節を派遣した王がいた。それも五人もの王が。宋の史書に倭の五王、讃、珍、済、興、武が中国に外交使節を派遣してきたと書かれている。この五王はそれでは一体誰なのであろうか?その謎解きの面白さがあるが、結論から言うと、その謎は解けていない。これからも解けないかもし...
五世紀に日本から中国に使節を派遣した王がいた。それも五人もの王が。宋の史書に倭の五王、讃、珍、済、興、武が中国に外交使節を派遣してきたと書かれている。この五王はそれでは一体誰なのであろうか?その謎解きの面白さがあるが、結論から言うと、その謎は解けていない。これからも解けないかもしれない。しかし、今までの各天皇に対応していた五王が、見方を変えれば違ってくるという面白さがある。また、考古学的に古墳群の成立時期とかを考慮する見方とか、「武」をタケルと読んでいたが、当時に訓読みは存在していなかったという話で、武だからワカタケルと呼ばれた雄略天皇ということにはならないのではないかとか。面白かった♪
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倭の五王について、これまでは記紀と中国史書の突合で、記紀の天皇との比定を行うことにエネルギーが注がれていた。 本書では、記紀は八世紀における王権確立のためのナラティブ(全て正しいわけではない)との視点から、(間違いもあるにせよ)記録である中国史書を中心に、朝鮮史書や、広開土王碑...
倭の五王について、これまでは記紀と中国史書の突合で、記紀の天皇との比定を行うことにエネルギーが注がれていた。 本書では、記紀は八世紀における王権確立のためのナラティブ(全て正しいわけではない)との視点から、(間違いもあるにせよ)記録である中国史書を中心に、朝鮮史書や、広開土王碑や古墳群のような考古学的物証を活用しつつ、倭の五王がどの天皇かという点はさておき、五王の時代の国際関係や五王の遣使の意図などについて分析を試みている。 意図としては、高句麗の南進という国際情勢の中で百済と同盟してこれに当たるという中で、国際的に宋から中国官位を得て正統性を得る必要があったこと(百済も同盟国ながら高い官位を求め合うライバルだった)。また、古墳群の分立が示すように王権が絶対では無かった中で、中国の官位を権威の源とし、更に下位の中国官位を部下に配分することで権威を確立していたこと。の二つが主な理由となっている。後者については、倭珍の時代に珍と同格やや下の地位に倭隋が任命されており、倭王権の中に王と同種の格の人間が居たことを宋への任命要請から導き出している。 また、五王で派遣が終わった点については、国際的には、将軍号の獲得で相対的な優位を高句麗・百済と争うよりは、朝鮮半島における高句麗対百済・新羅の熱戦や任那への波及があり、称号獲得に意味が無くなったことが挙げられている。また、国内で雄略後に、武烈に至るまでに内乱が続き、王統が離れる継体天皇の成立に至り、王権基盤が強化され、親子承継が基本になり、外部権威に依存する必要が無くなったことも挙げられている。 その上で、天皇との比定については、様々な問題点を論じて比定は行っていない。乱暴に理解すれば、継体以前は、継体後の視点に基づいたナラティブであり、ナラティブ内の主人公に比定しても仕方がないといったところだろう。 以前読んだ倭と日本の関係を論じる本で、日本書紀は倭内部の弱小勢力であった日本国の歴史で、乙巳の変で一気に歴史の舞台に躍り出た、古事記は倭国全体を捉えたものと推測を立てていて、荒唐無稽だがなるほどと思ったことがある。筆者の言わんとするところも、概ね似たようなことなのかなと。確かに、天皇との比定に全力を挙げるよりも、史書や考古学的資料の分析と奥の深い思慮こそが歴史の実相に近づいていける道だなと思った。
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