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はじめての哲学的思考 ちくまプリマー新書276
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2017/04/01 |
JAN | 9784480689818 |
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はじめての哲学的思考
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商品レビュー
4.4
56件のお客様レビュー
苫野一徳さんのvoicyを聞いてから本を読んだので復習する感じで読めました。voicyでの熱い語りがもう一度想起されて、一度聴いているだけでこうも違うんだなと、聴くことの凄さを感じながら読みました。本人の言葉を聞くってすごいんですね。 苫野さんから哲学の大事さを教えていただき、...
苫野一徳さんのvoicyを聞いてから本を読んだので復習する感じで読めました。voicyでの熱い語りがもう一度想起されて、一度聴いているだけでこうも違うんだなと、聴くことの凄さを感じながら読みました。本人の言葉を聞くってすごいんですね。 苫野さんから哲学の大事さを教えていただき、今見えてる課題をなんとかするだけを考えるのではなく、もうすでに考えていただいている先人たちの叡智を使わせてもらって、そこから私たちを考えていかなきゃだなと思わせてもらいました。 哲学は科学と同じで積み上げられている。科学と違うのは、積み上げが形で残ってないことなのかな!?哲学的バトンを私は繋げないかもしれないけど、バトンは受け取っていきたいと思います。 一般化の罠、問い方のマジック、事実から直接当為を導けない、など、対話の作法をしっかりと理解して、対話に臨みます。対話を通して、一人一人が考えていける良い社会を築いていきたいな。まずは自分の周りの人たちと。 自由を相互承認しよう 相互だよ!
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自分の経験を過度に一般化する=一般化のワナ。有識者会議でも多い。自分の経験にすぎないことを自覚する。=議論を建設的にする方法。 問い方のマジック=二元論的な問い、どこからが砂山でどこからが砂粒か、人間は平等か不平等か、など。 帰謬法=相手を言い負かすためだけの議論。相手の主張の矛盾や例外を攻撃する方法。 超ディベート=共通了解指向型対話=勝ち負けでなく共通の了解事項を探る。 意味とは欲望のこと。欲望の前には遡れない。何が欲望を抱かせるのか、はわからない。しかし、意味を見いだすのは、ある欲望があるから。 欲望に基づく信念が生まれる。信念=欲望の別名。信念ではなく欲望で話したらどうか。理解し合えるのではないか。=超ディベートの方法。 欲望を知れば自分と折り合える。 不幸とは欲望と能力のギャップである。 欲望を変えることができる=人間の希望。 欲望がわからない場合=自分が何をしたいのか、何を欲望しているのかわからない。その場合は、1,価値観、感受性を刺激するものにたくさん触れる、2、掃除する=何でもいいから行動する、ことでほんのわずかな意味を知る。 ~すべし、=当為、という。事実から当為は導かれない。事実からわかるのは解釈だけ。 客観的な事実に依拠して当為を導くのは、事実を都合よく要望の材料にしているだけ。 人を殺してはいけない、という当為は、自由の相互承認というルールを編み出したからこその当為。人間だから、という事実からではない。遺族のことを考えたら死刑を認めるべき、も成り立たない。 思考実験は問い方のマジック、であることが多い。中間の答えを探す。
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宗教、哲学、科学。現代にも強力な方向性を導く思想/学問であることは違いないが、近年特に「哲学」のあり方や価値が見直されている。 高度経済成長期の盛りに沸騰した資本主義社会の中では、ある種の「もたらされる必然的な事実」の海をありきたりに航海すればどうにかなる社会であったのかもしれな...
宗教、哲学、科学。現代にも強力な方向性を導く思想/学問であることは違いないが、近年特に「哲学」のあり方や価値が見直されている。 高度経済成長期の盛りに沸騰した資本主義社会の中では、ある種の「もたらされる必然的な事実」の海をありきたりに航海すればどうにかなる社会であったのかもしれない(当時の時代背景を蔑んでいる訳では決してないことを留意いただきたい)。 しかし現代はVUCAとも呼ばれるように「多様性」「不景気」「格差」などの極めて複雑かつ困難性が高い状況において、絶対的真実なるものは全く無く、先々の未来は各個人の意志に委ねられることが多いと思うのである。 その純然たる個々人の意志にあらゆるものを委ねるのであれば、「哲学」を軸とした思考は到底避けられるものでは無く、人類の内的問題を思考と対話によって解決・答えを導き出すことが現代社会に求められているのであろう。 「哲学」と聞いて多くの人々は小難しく、関わりを薄くしたい学問のように捉えられるかもしれないが、要は「あなたはこの問いに対してどのように考え、どのような結論を出しますか」というシンプルかつ本質的な問いを正面から突き続けている学問なのである。 すなわち、前提となる「問い」の質と、問いに対して誠実かつ深淵なるまでに至る「思考」、及び共通了解を導く「対話」という思考の交換作業によって成り立つのだが、哲学が勃興したギリシャ時代から現代に至るまで、知の巨人達が真理を求め続けて連綿と「問い」を繋いできた歴史がある。 現時点での結論を導き出し、それを世に新たな問いとして投げかけることで批評の海に晒す。さまざまな視点からの本質的な問いに曝され続け、そこに現時点での答えを更に出し続ける態度こそが複雑性が増す現代を生きる現代人の在るべき態度であると思うのだが、 一度出した答えに対しても、歴史的時間軸、文化軸、価値観軸、信条軸などの多様な角度での視点や認知から問い直すことも必要であろう。そうすれば「一般化のワナ」に陥ることもない。 一方で世の中には絶対的な真理など存在しない、もしくは人間が到底到達し得ないという事実も理解しておかなければならない(これは過去の知の巨人達が導き出した答えである)。 絶対的な真理がないのであれば、我々は主体的に意志を持ってこの世界に「意味」を付与していくしかないだろう。 この世界は二項対立で結論を導けるほど単純ではない。だからこそ問いて問いて問い続け、現時点での最良の答えを出し、それを対話によって互いが腹落ちする、いわゆる「共通了解」を真摯なまでに追求することがこれからの私たちに求められるのである。そうすれば二項対立を超えた未来に皆で到達できると思うのだ。
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