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自由の条件 スミス・トクヴィル・福澤諭吉の思想的系譜 叢書・知を究める8
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | ミネルヴァ書房 |
発売年月日 | 2016/09/01 |
JAN | 9784623077922 |
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自由の条件
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商品レビュー
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著者が語る福沢諭吉の解説を別著で読み、福沢諭吉の為人にはまだ共感せざるものがありながらも新たな境地を得た思い。今回、それも立脚点としつつ、本書の主役はトクヴィルであり、デモクラシーがテーマだ。ワクワクしながら読む。 先ず、この整理がポイントかと思う。トクヴィルは、自由は道徳なし...
著者が語る福沢諭吉の解説を別著で読み、福沢諭吉の為人にはまだ共感せざるものがありながらも新たな境地を得た思い。今回、それも立脚点としつつ、本書の主役はトクヴィルであり、デモクラシーがテーマだ。ワクワクしながら読む。 先ず、この整理がポイントかと思う。トクヴィルは、自由は道徳なしには成り立たないとし、その公共精神を涵養するための装置が、アメリカ社会に埋め込まれていると考えた。四点。地方自治、陪審制、結社、それと宗教。道徳や宗教のような共同善を根拠とすべきというのがトクヴィルの根本的な考えで、その通りなのだろう。普通に考えて、悪の自由は、他者の自由を奪う。従い、共同善、善っぽいものへの共通認識がなければ、成立しない。故に、道徳や宗教、あるいはそれをはみ出さないように自治や結社、陪審制が機能を果たす。 例えば、結社は、マイノリティーの権利を守り、人々が共同の利益あるいは共同善へ順応するための訓練を受ける場にもなるのだという。つまり、連携する事は、文明が野蛮に回避しないためにも不可欠な仕組みである。 ー 個人をアトム化しバラバラにしてしまう。そのアトム化した「平等社会」の個人がかろうじて保持しようとする「自由」こそ、個人間の相互依存の感情を再び目覚めさせ、結果として政治的な相互依存の感情を喚起させうると見る。トクヴィルは「平等」と「自由」のトレード・オフだけでなく、「自由」と「相互依存の感情」のアイロニーに目を向けるのである。このアイロニーを認識し、そのディレンマから脱け出すために、アメリカ社会は先に論じた地方自治だけでなく、陪審制度、結社などの社会装置を必要としたとトクヴィルは看破する。 善に対し、平等も自由の前提になりそうだ。しかし、これは放っておくと、強きものの自由に、弱きものが収奪され格差が広がる。この強弱は、そのまま善悪という意味にはならないが、しかし、強弱と善悪のいずれも極端ならば、誰かは自由でも誰かは不自由である。なんとなくこの辺から、中庸こそ最強、とした福沢諭吉に継承される感じも受ける。 ー このように労働の分業の原理が広く産業の場に浸透すると、労働者は力を失って視野を狭め、より隷属的にならざるを得ない。技術は進歩するが、職人は退歩するとトクヴィルは見た。他方、資本規模は大きくなり生産物は安価になる。そして賢い人間が、要領の悪い労働者が作り出す生産物を搾取するために力を発揮し始める。産業の知識は絶えず確実に労働者階級の地位を低下させる一方、雇い主の階級を上昇させる。かくて労働者は窮乏化し、産業の支配者は富裕化すると見る。 この論理はマルクスの搾取理論と類似している。トクヴィルも労働者階級と支配階級の差は日に日に拡大してゆくと予想していた。そしてこの現象を産業の場における「工場貴族制」の誕生と捉えたのである。しかしトクヴィルは、この新しい貴族制がこれまでの伝統的な貴族制と全く異なることを見逃さない。 結局、自由を労働力や商品として売り買いしているため、資本主義は自由の奪い合いであり、資本によるメリトクラシーで序列化された世界だ。人間は、その序列を見抜こうと、肩書きや金銭的スコア、ブランドやルックスなどを瞬時に識別する。皮肉だが、最大の自由は、その序列化主義に逆らって、社会との関わりを必要最小限、いや、中庸に留めた時に巡り合うものなのだろう。
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要旨は、「デモクラシーのもとで、自由と平等とは究極的には両立しない」であると理解した。 アダム・スミス、トクヴィル、福沢諭吉を猪木氏が改めて読み解いていく。 個人は自分の自由を追求する。そこで生まれうる格差をコントロールして平等を実現しようとすれば、「専制」を生む可能性がある。...
要旨は、「デモクラシーのもとで、自由と平等とは究極的には両立しない」であると理解した。 アダム・スミス、トクヴィル、福沢諭吉を猪木氏が改めて読み解いていく。 個人は自分の自由を追求する。そこで生まれうる格差をコントロールして平等を実現しようとすれば、「専制」を生む可能性がある。 共同体に前向きな関心を持つにはどうしたらいいか。そこには正義に基づく共感・同感の感情が必要になる。トクヴィルは、米国は地方自治を充実させて訓練する方法を採った、と見抜いた。福沢諭吉は慧眼で、わが国には「徒党はあっても衆議がなく、意思決定はしばしば嫉妬に流される」という趣旨のことを書いている。今もまったく変わっていない。 かといって、アンチデモクラシーに陥っても対案はない。自由を制限し平等を提供する、そのバランスのために「自由を譲り渡す相手は・・・『国家』であり、『多数』なのである」(P338)。 お堅いテーマにも関わらず相応の読者を集めているようだ。 「デモクラシーのもとで、自由と平等とは究極的には両立しない」。こういう基本認識のもと、衆議を重ねることに関心を深めている人が徐々に増えているということだろうか・・?
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経済思想史の大家による自由に関する本。トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」の内容をもとに、アダムスミス、福沢諭吉の思想との関連性を研究し成果をまとめている。JSミルやハイエクなど自由主義者との関連、功利主義との相違など多角的にかつ学術的に述べられており、参考になった。 「(ト...
経済思想史の大家による自由に関する本。トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」の内容をもとに、アダムスミス、福沢諭吉の思想との関連性を研究し成果をまとめている。JSミルやハイエクなど自由主義者との関連、功利主義との相違など多角的にかつ学術的に述べられており、参考になった。 「(トクヴィル(以後記載なきはトクヴィル))自由な労働は賃金を受け取る。奴隷は教育を受け、食料をあてがわれ、保護を受け、衣服を支給される。主人が奴隷の保持のためにする金の消費は少しずつ、細々と続き、なかなか気づかない。労働者に支払う賃金は一時的に出ていき、受領者を豊かにするだけのように見える。だが実際には、奴隷の方が自由な人間を雇うより高くつき、奴隷の労働の方が生産性が低い(奴隷の仕事が結局は高くつくことは、アダムスミスが「国富論」の中で指摘している)」p8 「平等の時代には、ちょっとした特権も強く嫌悪されるため、あらゆる政治的な権利は徐々に国家の代表者の手に集中していくのである」p12 「デモクラシーの下では、あらゆる信仰と愛着の対象が個人の私的判断にゆだねられる結果、物質的な安逸を追求し、公的事柄への関心を弱め、私的な福祉が生の最終的な目標となり、卓越性、公徳、偉大さへの情熱が衰える」p13 「豊かさは、競争力を弱め、人々の間の厳しい利害対立を緩和させる力がある」p15 「一般に人間の愛着は、力あるところにしか向かわない。愛国心は征服された国では長く続かない。ニューイングランドの住民がタウンに愛着を感じるのは、そこに生まれたからではなく、これを自らの属する自由で力ある団体とみなし、運営に労を払うに値すると考えるからである」p44 「(アダムスミス)正義のルールを犯さない限り、個人の自己利益の追求は知らず知らずのうちに社会福祉の増進につながる」p45 「フランスの大革命では「平等」がその旗印となっていたのに対し、英国の革命は「自由」を大義としてきた」p65 「(マルクス)歴史は階級闘争によって発展するのであって「国家間の闘争」によって決定されるのではない」p98 「言論は、少数であればあるほど、力を発揮するという特性を持つ。弾圧されればされるほど、その思想や言論が広く支持を集めることは、帝政ローマ時代のキリスト教をはじめ、宗教改革時代のプロテスタントへの弾圧、その後のさまざまな歴史上の思想運動を思い浮かべれば明らかだ」p170 「(言論出版の自由のパラドックス)出版の洪水は、結局、言論内容の質の低下と百家争鳴の状態を生み出し、個々の言論の重みを奪い去る」p172 「(カーネギー)(市場競争)結果の不平等は避けられないから、その不平等を公的部門ではなく私的部門が再配分機能を果たすべき(寄付など)」p192 「デモクラシーが人々を個人主義に走らせ、あげくは利己心のみのバラバラの個人を生み出し、「公」の道徳を衰えさせる危険をはらんでいる」p199
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