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ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生
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ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生

ジョルジョ・アガンベン(著者), 高桑和巳(訳者), 上村忠男

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ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 以文社
発売年月日 2003/10/01
JAN 9784753102532

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商品レビュー

4.4

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2023/07/21

フランスのポスト構造主義の次は、イタリア現代思想ということで、現代思想業界ではこれを読んでなきゃ始まらない的な重要な本らしい。 フランス現代思想の訳のわからなさにだんだん慣れつつも、また新しい思想家の本を結構大変そうな気がして、これまで読んでなかったんだけど、アーレントの全体主...

フランスのポスト構造主義の次は、イタリア現代思想ということで、現代思想業界ではこれを読んでなきゃ始まらない的な重要な本らしい。 フランス現代思想の訳のわからなさにだんだん慣れつつも、また新しい思想家の本を結構大変そうな気がして、これまで読んでなかったんだけど、アーレントの全体主義論とか、フーコーの生政治とかに興味ある場合は、必読らしい。 というわけで読んでみたが、これはとても刺激的だった。 フランス現代思想にくらべると、論旨は明確で、説明は丁寧な感じがする。もちろん、細部の面倒臭い議論に入っていくと難しくなっていくところはあるのだが、全体の論旨は十分に理解できる気がする。 これは、まさにフーコーの生政治論を引き継ぎ、それを先に進めるとともに、アーレントの全体主義論を統合していく。そして、シュミットの政治哲学で全体の議論を構造化するみたいな話しだな。 具体的な事例、文書の読解にもとづくフーコーと比べると、ある意味、抽象的な概念性で切り込んでいく感じかな?そのあたりが、全体が見晴らしやすい理由の一つなのかもしれない。(もちろん、さまざまな事例は紹介されているので、単にロジックだけではないリアリティは伝わる) 原著は95年の出版ということで、まだ911とか、イラク戦争は起きていない。この時点で、そうしたことが理解するためのフレームを与えてくれているし、当然、ウクライナ戦争を考えるにあたっても、一つの視点を与えてくれる。 フーコーの生政治は基本「性の歴史」の「知への意志」をベースに議論されているようだが、95年時点では、まだコレージュドフランスの講義録は出ていなかったのかな? この辺りでは、生政治が死政治(全体主義)にひっくり返ることとか、新自由主義的な資本主義が、生政治とどう関連するか、みたいな議論をフーコーはしているので、そのあたりの議論がリンクされるとさらに面白くなるのに、と思ってしまった。 もちろん、アガンベンもその後の著作では、そのあたりも議論していると思われるので、もう少し読んでみることにしたい。

Posted by ブクログ

2022/04/03

ホモ・サケル。文字通りの意味は「聖なる人」だが、古代ローマ文献によれば、それは二重の意味で排除された人ということになる。まず、その者を殺しても罪に問われないという社会的法的な意味で排除されている。そして、その者を供犠によって殺してはならぬという宗教的意味でも排除されている。人間社...

ホモ・サケル。文字通りの意味は「聖なる人」だが、古代ローマ文献によれば、それは二重の意味で排除された人ということになる。まず、その者を殺しても罪に問われないという社会的法的な意味で排除されている。そして、その者を供犠によって殺してはならぬという宗教的意味でも排除されている。人間社会は法律および宗教によって規律が保たれたものであるから、そのいずれからも排除されるというのは、人として生きるな、と宣告されたも同然であり、端的に村八分、永久追放を突き付けられた状態といえる。人間として生きられない存在という意味で「聖なる」が冠せられるわけだ。 その起源は、古代ローマの父権の絶対性にある。父親は、自ら認知した息子をいかようにもでき、殺すことすら可能な絶対的権能がある。この折衝与奪権にこそホモ・サケルの元型がある。 この絶対的権利、折衝与奪権の前にむき出しにされた生が、近代において注目された。それが生権力である。 本書を読んでいるとき、入管で殺されたといっても過言ではない、ウィシュマさんの事件で世間は持ち切りだった。まさに、このウィシュマさんこそ、むき出しの生そのものであり、生身の人間をいかようにでも扱って構わない、という薄汚い意識丸出しの日本の旧内務省的権力層が抱える闇そのものである、と感じた次第だ。

Posted by ブクログ

2017/09/01

ギリシア人は、我々が生という語で了解しているものを表現するのに、単一の語をもっていたわけではない。彼らが用いていたのは二つの語で、その二つは共通の語源に帰することもできるが、意味の上からも形態の上からもはっきり区別されたものだった。ゾーエーとビオスである。ゾーエーは、生きているす...

ギリシア人は、我々が生という語で了解しているものを表現するのに、単一の語をもっていたわけではない。彼らが用いていたのは二つの語で、その二つは共通の語源に帰することもできるが、意味の上からも形態の上からもはっきり区別されたものだった。ゾーエーとビオスである。ゾーエーは、生きているすべての存在(動物であれ人間であれ神であれ)に共通の、生きている、という単なる事実を表現していた。それに対してビオスは、それぞれの個体や集団に特有の生きる形式、生き方を指していた。

Posted by ブクログ

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