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大江戸死体考 増補 人斬り浅衛門の時代 平凡社ライブラリー837
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 平凡社 |
発売年月日 | 2016/02/01 |
JAN | 9784582768374 |
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大江戸死体考 増補
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人斬り山田浅右衛門の時代・・・江戸時代は死体の臭いが漂う。 第一章 屍都周遊 第二章 様斬(ためしぎり) 第三章 ヒトキリアサエモン 第四章 胆(きも)を取る話 第五章 仕置人稼業-浅右衛門の弟子たち 付論 人斬りの家・女の家 注有り。 付録 山田浅右衛門の代々 主な参考文献と...
人斬り山田浅右衛門の時代・・・江戸時代は死体の臭いが漂う。 第一章 屍都周遊 第二章 様斬(ためしぎり) 第三章 ヒトキリアサエモン 第四章 胆(きも)を取る話 第五章 仕置人稼業-浅右衛門の弟子たち 付論 人斬りの家・女の家 注有り。 付録 山田浅右衛門の代々 主な参考文献と史料 江戸時代の“死体”事情と、据物師・山田浅右衛門の存在を語る。 お江戸の死体事情。川や堀、井戸への身投げ。 首吊りと、死体の存在が身近にあったこと、同心等の検死をする 「検使」をする者たちには、検使マニュアルが存在したことが 示されています。時代劇の同心たちの検死風景が浮かびます。 戦国~江戸初期の武士たちの試し斬りについて。 武家文化での、刀剣は武家の魂。試し斬りでその価値を見出す。 だが、江戸の太平の世に移行するにつれて、武士にとって 直接関わることが不仁、穢れとなり、試し斬りのプロが登場。 山田家以前の御様御用(おためしごよう)を拝命された者たち。 芸者と称される試し斬りの技の難解さと、仕事に対する罪悪感。 そして、山田浅右衛門(朝右衛門)の事。 何故、御様御用を代々拝命されたのか?何故、浪人だったのか? 将軍家御様御用の他、大名や旗本諸家の刀剣の鑑定(試し斬りも)。 刑死体から採取した人の胆により製薬した、丸薬の販売。 死体の販売まで行っていたという。 巷では、人体の一部を薬として用いる民間療法があったそうな。 山田家の弟子たちは、藩士もしくはその子弟で、試し斬り修行の ため。藩の御用と他の藩からの死刑執行の外注も行った。 山田家の、男は芸を受け継ぎ、女は家の継承。 最期に、明治維新以降の山田家のその後。 フランスの死刑執行人一族サンソン家からの繋がりで、 日本の御様御用の一族山田家について知りたいと考えての読書。 国の違い、文化の違い等の比較も出来て、興味深い内容でした。 しかも読み易い文章。史料の提示や引用も、適材適所の感です。 だけど、スプラッターが苦手な人にはお勧め出来ません(^^;
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・氏家幹人「[増補]大江戸死体考」(平凡社ライブラリー)の 第一章は「屍都周遊」である。歌舞伎がらみでエピソードを抜き出す。まづは砂村隠亡堀である。「東海道四谷怪談」の戸板返し、民谷伊右衛門がお岩と小仏小平を打ち付けた戸板にばつたり遭遇する場面である。ここで伊右衛門は戸板を再び川へ押し流す。私は自分の殺した2人を見たくもないから川へ押し戻したと思つてゐた。「この場面に、今日の観客の多くは伊右衛門の悪逆非道を感じてしまうことでしょう。なんて残虐な、と。」(19頁)私もかういふこともあらうかと思ふ。ところが江戸の実態に即すと、この場面は別の様相を帯びるらしい。つまり、当時の観客は「このシーンを“普通の情景”と見たのではないでしょうか。すくなくとも、伊右衛門が『川へつき出した』行為に残忍さや非道を感じはしなかった」(同前)のではないかといふことらしい。現代の演出者にとつてそ れではおもしろくないと言へさうであるが、しかし、当時の「江戸の町は水死体で溢れていた」(18頁)のが実情で、いくら伊右衛門でも、そして見つけたのがお岩や小平であつても、そんなのには一々かまつてゐられないといふほどに水死体に溢れてゐたらしい。これは下々のみのことではない。真山青果の有名な 「元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿」は御殿内のみの物語で時代的にも古い。本書には天保6年(1835)、11代将軍家斉のエピソードが載る。家斉の乗つた船 が正に御浜御殿に着かうとする時、「縄でグルグル巻きにされた男女一対の水死体がポッカリ浮上しました。……押し黙ってしまったおそばの人々。一方、公方 様は見て見ぬふり。何事もなかったかのように御茶屋の座敷に上がられました。」(17頁)現在の浜離宮は家斉の時代にできたらしい。東京湾の海水を引く潮 入の池といふのが浜離宮恩賜公園の特徴である。潮入りの池、そして地、つまり園内に東京湾の海水が入るのである。家斉の時代は川も海も死体に溢れてゐた。 だから園内に海水が入るのであれば、死体が紛れ込むことぐらいは当然ありえよう。「そんなに恐縮しなくてもいいのだよ。私はこの目で確かに男女の浮き死骸を見たが、見たと言って事を荒立てては関係者の責任問題になるから、見ぬふりをしていたのだーー。」(17~18頁)さう、家斉はそんな事情を知つてゐたのである。それほど江戸は上から下まで、真ん中から外れまで、どこにでも水死体が漂つてゐた。だからその処理も実態に即して行つたらしい。例へば「水死体が流れ着いても、『汐入』の堀では突き流しても良い。」(16頁)のであつた。一々片付けない。潮の流に任せるといふわけである。御前に将軍様のゐる御浜御殿ではさうはいかなかつたのかもしれないが、しかし、実際はさうではなかつたか、将軍不在ならば同様に処理されたのであらう。第一章の初めだけでも、歌舞伎がらみでこんなのがある。水死体に限らず、江戸は死体に溢れてゐた。正に屍都であつた。 ・本書の中心は、実は死体の種々相を語るものではない。試し切りである。刀の切れ味を試す試し切り、これを行ふ人々がゐた。第一章の終はりの方に「据物師 山田浅右衛門」といふ節がある。この浅右衛門が「罪人の死体などで刀剣の切れ味を試す据物(居物とも)の技。」(38頁)の言ふならば家元である。以下、本書の大半はこの試し切り事情である。これはもちろんおもしろい。私は時代劇を読まないのでかういふのを全く知らない。いかなる人々がいかなる事情で据物師になるのか、据物の具体的な内容はとか、いろいろなことがある。だから本書は、本当はほとんど「大江戸試し切り考」なのである。
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