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カメラの前で演じること 映画「ハッピーアワー」テキスト集成
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 左右社 |
発売年月日 | 2015/12/01 |
JAN | 9784865281347 |
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カメラの前で演じること
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カメラの前で演じること
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商品レビュー
4.9
10件のお客様レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
カメラはすべてを映し出す。映画製作上の制約(時間やコスト)によるOKテイクはどうもぎこちない(らしい)。演者の言いづらさによる「間」すら捉えてしまう。 言い換えれば、制作態度や制作準備、それまでの生活や演者・スタッフの関係性をすべて投影する。フィクションのなかに圧倒的なリアルがそこにある。そのリアルの中において、演者は何をするのか。 ただ演技をするのではない何かがそこにあるからこそ、映画を撮り続けているのではないか。カメラの前で演技するとは何なのか。 この本において提出される濱口の解は、「カメラの前で演技をするというその条件下において、恥というべきその人らしさ(社会規範や関係性を取っ払った先にある自分の価値基準というべきもの)が表出して記録される。その記録は将来無限の人たちに届け続けるという希望だから」だとする。ただ、将来無限のひとたちに自分の一挙手一投足を隈なく届けられてしまうのは恐ろしいものでもある。その恐怖に打ち勝つために「聞く」ことが求められる。 「聞く」こととは演者同士やスタッフ・演者間の信頼関係と言っていいだろう。「社会規範には準じない行動をとっていいものか、この人達がいるなら、やってみようか」といった風に。それを構築するためのWSであり、サブテキストであり、本読みなのである。 では、カメラで撮影すればいいのであれば、ドキュメンタリーという手法もあるのでは。 そこはキャラクターを演じるからこそ到達できる恥があるとする。 キャラを演じるために演者は台本を覚える、まず演者自身によって台本は吟味される。自分にとってそれを言えるのか。ただ、言えなさをすべて無くすことは不可能だ、映画のメッセージ/ゴールがあるからだ。そのギャップにこそ恥がある。限りなく演者のからだに沿って作られた台本だが、最終的には演者から離脱する部分が生じる。限りなく自身に沿って組まれた台本とそこまで辿ってきた演技によって、その分岐点で演者自分(キャラクターではなくその人自身)でも想定していなかったような「そうせざるを得なかった」行動を取ってしまう。そしてそれこそ最深部の恥であり、その人本来の魅力である。その導出のためのフィクションなのだと。 限りなく自分でありながら、他人であるそのキャラクターがいるからこそ、恥を導出できる。 誰にも言えないこと、言わないことは誰にでも存在する。だが、時間をかけて作られた関係性をもった友人にこそ、ポロっと話してしまうこともある。そこで表出してしまった恥も受け手からしたら、魅力的に映っているだろうか。 友人だけにではなく、演技という装置を通じれば、もう少し自分の恥も差し出すことができるのだろうか。
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ハッピーアワーの補助テキストとして最高の資料 本当に読んでよかったし面白かった。 おそらく単体で読んでも面白いが、ハッピーアワー後の世界に来てしまっているのでハッピーアワー前の世界で読んだ人がどう感じるかはわからない
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ようやく「ハッピーアワー」観られて、この本も読めた。映画の裏設定「サブテキスト」 で4人の出会いのシーンが読めるなんて最高。
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