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与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記
定価 ¥1,760
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 光文社 |
発売年月日 | 2015/08/01 |
JAN | 9784334910426 |
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与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記
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与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記
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商品レビュー
3.7
15件のお客様レビュー
時は東大寺造営の時代、造営に携わる人々が主人公、約1300年も昔の事なのに、社会や政治など蠢く人々の様子が今と変わりなくあり面白かった。 大仏の製作工程の知識がないため、分かりづらい面があるのと、ルビが振られているものの字が難しかったが、ストーリーは起承転結がはっきりしていて良...
時は東大寺造営の時代、造営に携わる人々が主人公、約1300年も昔の事なのに、社会や政治など蠢く人々の様子が今と変わりなくあり面白かった。 大仏の製作工程の知識がないため、分かりづらい面があるのと、ルビが振られているものの字が難しかったが、ストーリーは起承転結がはっきりしていて良かった。 活気が伝わる。エジプトのピラミッド、万里の長城、日本のお城の石垣等々、大昔の建造物がいかに大規模に人の力で造られたかという事に想いを馳せながら楽しめた。 ‘’みちの奥‘’では人情を感じた。
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仏とはなにか、信心とはなにか。 宮麻呂の作る飯には真心があり、それで身体を満たせば活力が灯る。自分も家族のために宮麻呂のような存在でありたいと思う。
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副題にある通り、舞台は東大寺の大仏建立という大事業の工事現場の炊屋(食堂)。 主人公は仕丁(しちょう 国に命じられ労役に当たる役夫)として近江国からやってきた青年・真楯(またて)。彼の目を通して、神仏とは何か、大仏像は何なのかを描いていく。 仕丁は労役なので給金は無い。代わりに...
副題にある通り、舞台は東大寺の大仏建立という大事業の工事現場の炊屋(食堂)。 主人公は仕丁(しちょう 国に命じられ労役に当たる役夫)として近江国からやってきた青年・真楯(またて)。彼の目を通して、神仏とは何か、大仏像は何なのかを描いていく。 仕丁は労役なので給金は無い。代わりに一日二升の米が支給され、仕丁たちはそれを宿舎で自炊するか、炊屋で一定の米と引き換えに食事を作ってもらって食べるという仕組み。 広大な現場だけに炊屋と言っても部署ごとにあり、味の良し悪しも違う。真楯が働く造仏所の炊屋は炊男(かしきおとこ=調理人)宮麻呂の腕が評判で、他の部署からわざわざやって来るほどの人気だ。 真楯は毎日宮麻呂の炊屋に通ううちに親しくなるが、次第に彼の暗い過去が明らかになっていく。 仕丁の労役期間は三年。だが仕丁頭の猪養(いのかい)はさらに三年延長を命じられている。仕丁たちをまとめる能力を買われてのことだが、本人にすれば帰郷が叶わずたまったものではない。また真楯と同時期に労役についた小刀良(ことら)は故郷で疫病が起こり妻子を失うという悲報を聞いている。さらには陸奥からやってきた乙虫はその訛りと出身地から役人だけでなく同じ仕丁たちからまで差別されている。 もっと書けば仕丁たちの下には奴婢という金銭で売り買いされる、人ではなく財産扱いされる奴隷たちもいる。幸いこの造仏所ではあからさまな虐待シーンはないしむしろ女性の奴婢頭や少年の奴婢など仕丁たちとやりあったりもしているが、実際は酷い状況だったのだろうと想像する。 聖武天皇にとっては大仏建立は『国中の民をその霊威に与らせんとの志』の現れだが、真楯のように労役を課される民にはいい迷惑でしかない。 だがその厳しい労役により命が尽きようとしている仕丁・浄頭(じょうず)は『御仏の慈悲に縋れる』と信じている。 一方で宮麻呂は人を救うのは神仏ではなく人であると一貫して主張している。 鋳師で百済人の公麻呂は、今や時代遅れと蔑まれる百済の技術の評価をもう一度高めたいと必死だ。 官吏の安都雄足にとっては大事業の無事完了こそが一番であって、激しい私怨すら『大事の前の小事』と収める。 行基は『人は過ちを犯すがゆえに御仏を求め、その末に悟りを得る』『釈尊はもとは愚かな人であったがゆえに尊い』のだと言う。 様々な事件や人々の思いを見て、実際に大仏鋳造に携わって、真楯の大仏像や神仏への思いも変わっていく。 調べると聖武天皇による大仏建立の詔が発せられたのが743年、実際に工事が始まったのが745年(作品の舞台はこの二年後からスタート)、開眼供養会が752年だが仕上げ作業が完了したのは771年ということだから26年もの大工事。 真楯は途中で大仏が出来上がるまで見届けたいという思いに駆られているが、いつまで工事に携わっていたのだろうか。開眼供養まではいたのか。 当時の日本では金は産出されておらず輸入頼みだったらしい。だが工事期間中に陸奥国から砂金が見つかるという報があり鍍金が無事出来たということだが、この史実をこのような形で使うのは面白い。 『作事に携わった自分たちはみな、巨大なる仏の小さな欠片なのだ』 大仏像は人によって見方が違う。ただの像という見方もあるだろうし芸術的視点、宗教的視点、建築学的視点、政治的視点など様々あるだろう。 だが真楯のように命を賭して携わった人々や、直接携わらずとも宮麻呂のように様々な形で彼らを支えた人々などが『巨大なる仏の小さな欠片』となったことを思えば、大仏像が宗教的観点でなくともありがたいものに見えてくる。
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