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ビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術 中公新書2304
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2015/01/24 |
JAN | 9784121023049 |
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ビスマルク
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商品レビュー
4.1
19件のお客様レビュー
ビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術 著:飯田 洋介 中公新書 2304 プロイセン(プロシア)がなぜ、ドイツになったかがよくわかる1冊です おもしろかったです プロイセンの豪農(ユンカー)であった、ビスマルクが、いかにして、ドイツ帝国の宰相になったのか ビスマルク(1...
ビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術 著:飯田 洋介 中公新書 2304 プロイセン(プロシア)がなぜ、ドイツになったかがよくわかる1冊です おもしろかったです プロイセンの豪農(ユンカー)であった、ビスマルクが、いかにして、ドイツ帝国の宰相になったのか ビスマルク(1815-1898)以来、ドイツは、西欧世界の焦点の1つとして、二つの大戦をはじめとして様々な戦争をおこしてきた強国になった。 気になったのは、以下です。 中世以来ドイツの地は、 神聖ローマ帝国 プロイセン ナポレオンが、ドイツに統一国家建国のきっかけとしてナショナリズムを持ち込んだ ビスマルクは、伝統的要素、革新的要素を併せ持つ二面性を有していた 小ドイツ主義、ビスマルクは、オーストリアを除く、ドイツ連合を目指していた 反墺、反仏、親露、新生ドイツは、微妙な外交上のバランスのもとに、ビスマルクが調整を重ねてきている <ドイツ連邦> 1815 ウィーン会議で神聖ローマ帝国に代わって発足した国家連合組織である 1848 パリで革命が勃発 ドイツ連邦でも革命が起きた、いわゆる三月革命である 1849 ビスマルク プロイセン議会下院選挙に当選、代議士としてのキャリア始まる 1851 ビスマルク ドイツ連邦議会のプロイセン代表として、フランクフルトに参事官⇒公使として赴任 ビスマルクは、オーストリアの格下としてプロイセンが処せられるのを良しとしなかった 以後、反オーストリアとなる 1853 クリミア戦争 ドイツ連邦は関与せず、プロイセンは中立を保つことに 1859 イタリア統一戦争 1862 国難にあたって、プロイセンへ帰国、プロイセン首相ビスマルクが誕生、「鉄血宰相」 1863 アルヴェンスレーベン協定 プロイセン、オーストリア、ロシア ⇒ポーランドの封じ込め シュレースヴィヒ・ホルシュタイン問題:デンマークとの領土問題 1864 ドイツ・デンマーク戦争 1866 普墺戦争 ⇒ プラハ講和会議 ドイツ連邦から解体、オーストリアから離脱、北ドイツ連邦創設 <北ドイツ連邦> 1868 スペイン革命 フランスを封じ込めに 1870 エムス電報から、独仏戦争が始まる 1871 パリ陥落 フランクフルト講和条約 アルザス・ロレーヌをドイツに割譲、賠償金50億フラン <ドイツ帝国> 1871 ヴェルサイユ宮殿で、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が即位、ビスマルク体制が始まる ドイツ帝国とは、22の君主国+3つの都市国家の連邦国家である 1873 三帝協定 ロシア、オーストリア・ハンガリー、ドイツにおける友好条約 1875 ヘルツェゴヴィナ農民蜂起 1876 セルビア、モンテネグロ、ロシアがオスマン帝国に宣戦、露土戦争 1878 露勝利、ベルリン会議 セルビア、モンテネグロ、ルーマニアの独立 オーストリア・ハンガリーは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの管理権 イギリスは、キプロス島の管理権 ロシアは、サラビナ地方の領有 ⇒ しかしロシアの大ブルガリア抗争はついえた ⇒三帝協定は破棄され、ロシアはドイツを恨むことに 1879 独墺同盟 1881 三帝協定復活 1882 ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアの三国同盟 1890 新皇帝ヴィルヘルム2世と衝突し、ビスマルク引退 以後、ビスマルクは、ドイツの英雄として、ビスマルク神話が生まれる ビスマルクは、強国ドイツを創始した、宰相となった ドイツは以降、ヨーロッパに大きなプレゼンスを発揮することとなる。 目次 まえがき 第1章 「破天荒なビスマルク」として―ある若きユンカーの苦悩 第2章 代議士として―政治家ビスマルクの「修業時代」 第3章 外交官として―外交家ビスマルクの「遍歴時代」 第4章 プロイセン首相として―革命を起こされるよりは起こす 第5章 北ドイツ連邦宰相として―「プロイセンの政治家」から「ドイツの政治家」へ 第6章 ドイツ帝国宰相として―ビスマルク体制下のドイツ帝国 第7章 「誠実なる仲買人」として―ビスマルク体制下のヨーロッパ 第8章 カリスマ的存在へ―フリードリヒスルーでの晩年 あとがき 参考文献一覧 ビスマルク年譜 ISBN:9784121023049 出版社:中央公論新社 判型:新書 ページ数:272ページ 定価:860円(本体) 2015年01月25日発行
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恥ずかしながら、ビスマルクなる人物を 深く知らなかった。 ちらっと、歴史の授業で習ったか、 どこかの書籍で登場してて、 名前を知ってる程度の知識。 なるほど、今のドイツの礎を 築いた人だたんですね。
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本書を読むまではビスマルクに関する基礎知識がほとんどない身でした。帯にも書いてあるとおり、ビスマルク=鉄血宰相、というイメージしかなかったのですが、本書を読んで全然違うイメージを持つようになりました。本書によればビスマルクはドイツ統一を政治目的として掲げていたわけではなく、あくま...
本書を読むまではビスマルクに関する基礎知識がほとんどない身でした。帯にも書いてあるとおり、ビスマルク=鉄血宰相、というイメージしかなかったのですが、本書を読んで全然違うイメージを持つようになりました。本書によればビスマルクはドイツ統一を政治目的として掲げていたわけではなく、あくまで保守的な価値観からプロシアの強大化を目指し、プロシア強大化の帰結(あるいは手段)としてドイツ統一がなされたという解釈です。また本書を読む限りにおいてはビスマルクが最も卓越していたのは政治外交術ということで、その反対に内政面では全然思惑通りに事が進まなかった、といった話も記述されていて興味深く読みました。 なるほどこういう風にビスマルクを解釈できるのか、と納得できた反面、おそらくビスマルクという人物は、批評家が簡単に表現できるような人物ではなく、本書で記述されているビスマルク像も「ワン・オブ・ゼム」なのだろうなという印象は持ちました。違う批評家が書けば違うビスマルク像が説得力を持ってあらわれる、という具合に。本書の冒頭に、ビスマルクは性格が全く異なる父と母のもとで育ち、その両方の特質を引き継いだ、というような記述がありますが、まさにこれこそがビスマルクを1つの枠にはめて語ろうとすることを困難にしているのではないでしょうか。それゆえにどのビスマルク像が他よりも「正しい」ということはなさそうである、というのが本書を読んだあとの印象です。
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