ビスマルク の商品レビュー
・マキャベリスティック&近代的政治手法&政治的反射神経の良さ ・ビスマルクの脱神話化、等身大のビスマルク ・鉄血演説、普仏戦争後の対応、ルクセンブルク危機、エムス電報事件、ドイツ皇帝即位宣言式、植民地政策の理由らへんが面白い
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「ドイツ統一を成し遂げた英雄」「ヒトラーの先駆者」など、様々な評価がなされてきたビスマルク。現在その評価はある程度落ち着いているものの、著者は神格化でも断罪でもない、等身大のビスマルク像に迫ることを目的としている。 ビスマルクはユンカーの父と、官僚一族の母との間に生まれた。この生い立ちが、後のビスマルクに多大な影響を与えることになる。ベルリン大学で破天荒な学生生活を送った後、ビスマルクは官吏への道を歩み始める。しかし、失恋や母の死を機にユンカーの世界へと足を踏み入れる。だがそこでも物足りなさを感じたビスマルクは、代議士となり政界へと進出していく。ちょうどこの頃、生涯の伴侶となるヨハナと結婚する。 1848年パリで二月革命が起きると、自由主義の波はドイツにも達しベルリンで三月革命が発生する。ドイツ国民の間にナショナリズムとドイツ統一の機運が高まる中、ビスマルクはこの「下からの統一」にあくまで「反革命の闘士」として立ち向かう。だが、保守的な思想を掲げながらも議会や新聞など革新的なものを巧みに利用するところが、ビスマルクの優れた点だった。 プロイセン首相となったビスマルクは当初、ドイツ統一に否定的だった。だが、オーストリアとの対立が高まる中で、ビスマルクは民衆のナショナリズムや統一の機運を利用する道を選んだ。フランスのナポレオン3世とも巧みに渡り合いながらデンマークと戦いシュレスヴィヒとホルシュタインを手に入れると、ついにオーストリアとの対決に臨む。オーストリアを下したプロイセンはオーストリアを締め出し、北ドイツ連邦を形成する。こうしてビスマルクは、自由主義勢力主体ではないあくまで「上からの革命」を達成したのだった。 オーストリアとの対決に臨むうえで「小ドイツ主義」をとったことは、図らずもビスマルクにドイツ統一を目指させることとなった。そのうえで障壁となるのがバイエルンを中心とする南ドイツとフランスだった。スペイン王位継承問題に端を発する対立からフランスとの間で普仏戦争が起こると、プロイセンを中心としたドイツはナポレオン3世を引き摺り下ろし、フランスを破った。バイエルンのルートヴィヒ2世らを説得して南ドイツも併合し、名実ともにドイツ帝国が成立する。だが、このときフランスから奪ったアルザス・ロレーヌが、その後の両国に禍根を残すこととなる。 ヴィルヘルム1世を皇帝として船出したドイツ帝国において、ビスマルクは帝国宰相として内政・外政で辣腕を振るう。 内政においては各種社会保険制度を整える一方、社会主義者・カトリックを弾圧した。彼の政策が「アメとムチ」と呼ばれる由縁であり、「国家の敵」を生み出すことが「ヒトラーの先駆者」と評される由縁となる。 外政については、「誠実な仲買人」を自認し、網の目のような同盟関係を築いていく。フランスの孤立化を目的として主にロシアを繋ぎとめるこの政策はヨーロッパの勢力均衡に寄与する反面、ドイツ自身をがんじがらめにするものでもあった。この同盟関係は考え抜かれた「緻密なもの」であるか「急場しのぎなもの」であるかは、意見の分かれるところである。 ビスマルクは最終的にヴィルヘルム2世との対立により辞任することになるが、その後急速に民衆の支持を得て神格化が進んでいく。それは特に、第一次世界大戦へと突き進んでいく中で強まったと言える。ビスマルクがいなくなったことでタガが外れ、世界大戦へと突き進んでいったという見方がある一方で、ロシアに対する接し方に見られるように、ビスマルク時代に世界大戦の萌芽がつくられていたという見方もある。
Posted by
2025.10.19読了。中公新書らしく原史料の引用が多く読み応えがあった。 ビスマルクの研究的な本は初めて読んだが、史料からビスマルクはあくまでもプロイセン王国への愛国心とオーストラリアに対抗した北ドイツでの覇権を指向していたが、結果的にナショナリズムを利用したがために望まない...
2025.10.19読了。中公新書らしく原史料の引用が多く読み応えがあった。 ビスマルクの研究的な本は初めて読んだが、史料からビスマルクはあくまでもプロイセン王国への愛国心とオーストラリアに対抗した北ドイツでの覇権を指向していたが、結果的にナショナリズムを利用したがために望まないドイツ帝国成立に至ったという点は非常に面白かった。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
鉄血演説がビスマルクにとってはマイナスだったと言うのは驚き。鉄血宰相と呼ばれるイメージから重厚で全て計算ずくで動いていたのかと思っていたけど、実は危機をなんとか凌いでいた感じだったのは意外。ビスマルクのイメージが大分変わった読書だったけど、なんとなく物足りないと言うか微妙な感じではあった。
Posted by
ドイツ帝国国家、明治維新の政治家(特に西郷隆盛、伊藤博文)がこぞってビスマルクの行革や軍備の近代化を模倣した、と言われる。伊藤博文の国家統一では帝国議会、法律など中央集権国家構築であり、西郷隆盛の軍事統制もその例だ。ビスマルクと言えば「鉄血宰相」鉄と血による解決を演説し、三つの戦...
ドイツ帝国国家、明治維新の政治家(特に西郷隆盛、伊藤博文)がこぞってビスマルクの行革や軍備の近代化を模倣した、と言われる。伊藤博文の国家統一では帝国議会、法律など中央集権国家構築であり、西郷隆盛の軍事統制もその例だ。ビスマルクと言えば「鉄血宰相」鉄と血による解決を演説し、三つの戦争で勝利:デンマーク戦争(1864年)、普墺戦争(1866年)、普仏戦争(1870-1871年)からドイツ帝国国家を構築したのは有名だが、帝国議会での政局では思うような賛同を得れなかった。だが、フランスとの勝利では50億フランを課すことで様々な国内での政策、法律を制定し通貨の統一、社会保険保障政策も実りを見せた。また対外的政策では隣接するロシア、オーストリア(ハンガリー)、フランス、イタリアなどとは互いの領域を確保するべく同盟を結び、晩年にはイギリスとの対峙から植民地政策にも乗り出した、とある。ビスマルクの皇帝に対する忠誠と行動力、決断力、更に政策を次々に打ち出す天才的な発想には驚くばかりだ。 日本の政治家と比較しても始まらないが、平凡でマンネリ化した政治から変化に対応した活動的な政治家を期待したい。
Posted by
高校で世界史選択以外の人でも耳にしたことがあるかと思われる「ビスマルク」。名前は知ってるけど実際何をしたかは意外と知らない人も多いかと思う。ドイツ統一を果たした偉人だというイメージが私にあった。 本書の中で随所に筆者がビスマルクの政治的手腕に賞賛している箇所がある。ビスマルクは本...
高校で世界史選択以外の人でも耳にしたことがあるかと思われる「ビスマルク」。名前は知ってるけど実際何をしたかは意外と知らない人も多いかと思う。ドイツ統一を果たした偉人だというイメージが私にあった。 本書の中で随所に筆者がビスマルクの政治的手腕に賞賛している箇所がある。ビスマルクは本来であれば対立する概念である「伝統」(右派)と「革新」(左派)の両輪を兼ね備えた人物である。ビスマルクはプロイセン人でありプロイセンの覇権を拡大した一方で19世紀で社会保険制度を導入している。しかし、失敗も多かったのが意外だった。
Posted by
ビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術 著:飯田 洋介 中公新書 2304 プロイセン(プロシア)がなぜ、ドイツになったかがよくわかる1冊です おもしろかったです プロイセンの豪農(ユンカー)であった、ビスマルクが、いかにして、ドイツ帝国の宰相になったのか ビスマルク(1...
ビスマルク ドイツ帝国を築いた政治外交術 著:飯田 洋介 中公新書 2304 プロイセン(プロシア)がなぜ、ドイツになったかがよくわかる1冊です おもしろかったです プロイセンの豪農(ユンカー)であった、ビスマルクが、いかにして、ドイツ帝国の宰相になったのか ビスマルク(1815-1898)以来、ドイツは、西欧世界の焦点の1つとして、二つの大戦をはじめとして様々な戦争をおこしてきた強国になった。 気になったのは、以下です。 中世以来ドイツの地は、 神聖ローマ帝国 プロイセン ナポレオンが、ドイツに統一国家建国のきっかけとしてナショナリズムを持ち込んだ ビスマルクは、伝統的要素、革新的要素を併せ持つ二面性を有していた 小ドイツ主義、ビスマルクは、オーストリアを除く、ドイツ連合を目指していた 反墺、反仏、親露、新生ドイツは、微妙な外交上のバランスのもとに、ビスマルクが調整を重ねてきている <ドイツ連邦> 1815 ウィーン会議で神聖ローマ帝国に代わって発足した国家連合組織である 1848 パリで革命が勃発 ドイツ連邦でも革命が起きた、いわゆる三月革命である 1849 ビスマルク プロイセン議会下院選挙に当選、代議士としてのキャリア始まる 1851 ビスマルク ドイツ連邦議会のプロイセン代表として、フランクフルトに参事官⇒公使として赴任 ビスマルクは、オーストリアの格下としてプロイセンが処せられるのを良しとしなかった 以後、反オーストリアとなる 1853 クリミア戦争 ドイツ連邦は関与せず、プロイセンは中立を保つことに 1859 イタリア統一戦争 1862 国難にあたって、プロイセンへ帰国、プロイセン首相ビスマルクが誕生、「鉄血宰相」 1863 アルヴェンスレーベン協定 プロイセン、オーストリア、ロシア ⇒ポーランドの封じ込め シュレースヴィヒ・ホルシュタイン問題:デンマークとの領土問題 1864 ドイツ・デンマーク戦争 1866 普墺戦争 ⇒ プラハ講和会議 ドイツ連邦から解体、オーストリアから離脱、北ドイツ連邦創設 <北ドイツ連邦> 1868 スペイン革命 フランスを封じ込めに 1870 エムス電報から、独仏戦争が始まる 1871 パリ陥落 フランクフルト講和条約 アルザス・ロレーヌをドイツに割譲、賠償金50億フラン <ドイツ帝国> 1871 ヴェルサイユ宮殿で、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が即位、ビスマルク体制が始まる ドイツ帝国とは、22の君主国+3つの都市国家の連邦国家である 1873 三帝協定 ロシア、オーストリア・ハンガリー、ドイツにおける友好条約 1875 ヘルツェゴヴィナ農民蜂起 1876 セルビア、モンテネグロ、ロシアがオスマン帝国に宣戦、露土戦争 1878 露勝利、ベルリン会議 セルビア、モンテネグロ、ルーマニアの独立 オーストリア・ハンガリーは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの管理権 イギリスは、キプロス島の管理権 ロシアは、サラビナ地方の領有 ⇒ しかしロシアの大ブルガリア抗争はついえた ⇒三帝協定は破棄され、ロシアはドイツを恨むことに 1879 独墺同盟 1881 三帝協定復活 1882 ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアの三国同盟 1890 新皇帝ヴィルヘルム2世と衝突し、ビスマルク引退 以後、ビスマルクは、ドイツの英雄として、ビスマルク神話が生まれる ビスマルクは、強国ドイツを創始した、宰相となった ドイツは以降、ヨーロッパに大きなプレゼンスを発揮することとなる。 目次 まえがき 第1章 「破天荒なビスマルク」として―ある若きユンカーの苦悩 第2章 代議士として―政治家ビスマルクの「修業時代」 第3章 外交官として―外交家ビスマルクの「遍歴時代」 第4章 プロイセン首相として―革命を起こされるよりは起こす 第5章 北ドイツ連邦宰相として―「プロイセンの政治家」から「ドイツの政治家」へ 第6章 ドイツ帝国宰相として―ビスマルク体制下のドイツ帝国 第7章 「誠実なる仲買人」として―ビスマルク体制下のヨーロッパ 第8章 カリスマ的存在へ―フリードリヒスルーでの晩年 あとがき 参考文献一覧 ビスマルク年譜 ISBN:9784121023049 出版社:中央公論新社 判型:新書 ページ数:272ページ 定価:860円(本体) 2015年01月25日発行
Posted by
恥ずかしながら、ビスマルクなる人物を 深く知らなかった。 ちらっと、歴史の授業で習ったか、 どこかの書籍で登場してて、 名前を知ってる程度の知識。 なるほど、今のドイツの礎を 築いた人だたんですね。
Posted by
本書を読むまではビスマルクに関する基礎知識がほとんどない身でした。帯にも書いてあるとおり、ビスマルク=鉄血宰相、というイメージしかなかったのですが、本書を読んで全然違うイメージを持つようになりました。本書によればビスマルクはドイツ統一を政治目的として掲げていたわけではなく、あくま...
本書を読むまではビスマルクに関する基礎知識がほとんどない身でした。帯にも書いてあるとおり、ビスマルク=鉄血宰相、というイメージしかなかったのですが、本書を読んで全然違うイメージを持つようになりました。本書によればビスマルクはドイツ統一を政治目的として掲げていたわけではなく、あくまで保守的な価値観からプロシアの強大化を目指し、プロシア強大化の帰結(あるいは手段)としてドイツ統一がなされたという解釈です。また本書を読む限りにおいてはビスマルクが最も卓越していたのは政治外交術ということで、その反対に内政面では全然思惑通りに事が進まなかった、といった話も記述されていて興味深く読みました。 なるほどこういう風にビスマルクを解釈できるのか、と納得できた反面、おそらくビスマルクという人物は、批評家が簡単に表現できるような人物ではなく、本書で記述されているビスマルク像も「ワン・オブ・ゼム」なのだろうなという印象は持ちました。違う批評家が書けば違うビスマルク像が説得力を持ってあらわれる、という具合に。本書の冒頭に、ビスマルクは性格が全く異なる父と母のもとで育ち、その両方の特質を引き継いだ、というような記述がありますが、まさにこれこそがビスマルクを1つの枠にはめて語ろうとすることを困難にしているのではないでしょうか。それゆえにどのビスマルク像が他よりも「正しい」ということはなさそうである、というのが本書を読んだあとの印象です。
Posted by
鉄血宰相というのはマスコミが誤って作ったフレーズであり、本当は違う。誤解。 ビスマルクは作られたイメージがある。 激動の時代、一つの決定が陳腐化するのも早かった。 というようなことが記載されており、ビスマルクに関する流れも同様だった。 読了60分
Posted by
