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〈子どもという自然〉と出会う この時代と発達をめぐる折々の記
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | ミネルヴァ書房 |
発売年月日 | 2015/01/01 |
JAN | 9784623072521 |
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〈子どもという自然〉と出会う
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商品レビュー
4
2件のお客様レビュー
数年前に購入したときは、少し読んでピンとこなくて積読していた本。今開いてみると、内容がどんどん入ってきてあっというまに読了。 ・「自然」とは、自分の力ではどうしようもできないこと。そして子どもは限りなく「自然に近いもの」ーー ”どうしようもないと分かれば、子どもも断念せざるを得...
数年前に購入したときは、少し読んでピンとこなくて積読していた本。今開いてみると、内容がどんどん入ってきてあっというまに読了。 ・「自然」とは、自分の力ではどうしようもできないこと。そして子どもは限りなく「自然に近いもの」ーー ”どうしようもないと分かれば、子どもも断念せざるを得ないのだが、親とのかけひきでなんとかなると思うと断念は難しい。文化というものが「どうしようもない」自然を克服して「なんとかなる」ように努力した結果だとすれば、じつは文化が進めば進むほど、断念は難しいということになる。現代の子育ての悩ましさは、そこに起源があるのかもしれない” →日々関わる子どもたちのことを思い浮かべて、頷いた箇所。 ・学力を競争させる教育における「構造的暴力」の話。 ”どんなに学力が低くても、どんなに重い障害があっても、人はその身体に備わった力で生きていく以外にない。学力とは、しゃにむに努力して競争に勝つなどというようなものではなくて、どうであれ身につけたその力を使って、たがいに生きあっていく、そのためのものである。我が身に与えられた「身の程」をたずさえて、「ともに生き合う」ことを抜きに、学ぶことの意味はない” →「身の程」の話をするのに、東日本大震災や原発事故の話が引き合いに出されていて、かけ離れた連想のように見えて、今の自分にはしっくりきた。 ・「発達」の時代への疑問について ”世の中が「発達」という名の大きな錯覚にとらわれてしまうと、明日にばかり目がいって、子どもたちの「ここのいま」が見えない。「発達」ということばには、次にやってくる将来に向けての「準備」という発想がついてまわる。略・子どもは子どもの本番を生きているのであって、それはおとなになるための準備ではない。そして子どもの本番を生きることが、結果としておとなになるための基礎となるのである。” →身につまされる言葉。間違いを正して指導する前に、その子の心底の思いを受け止めるようにしたい ・他にも、「大人と子どもの見えない権力構造・強いられた自発性」「生活者としての子ども・共苦がないこと」などキーワードが多かった。
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※このレビューにはネタバレを含みます
ワロンの本を探している中で出会った研究者です。出会ったと言っても本の世界でのことです。 本書は,著者が子ども情報研究センターの月刊『はらっぱ』に連載してきた文章を再編集したものです。期間は,2007年~2012年まで隔月です。 「子どもの世界,おとなの世界」と題されたその連載の話題には,冤罪事件にからんだ話がたくさん出てきます。一瞬,これまでのワロンの話とつながらなくて「なんでだろう」と思ったのですが,読み進めていくうちに,合点がいくようになってきました。 一般に冤罪を生む原因の一つに「自白」があります。冤罪のときには,明らかに,本人はやっていないわけで,自白できるはずはありません。なのに,なぜ人は「自白」してしまうのか? 「それは,取調官に自白を強要されたからだ…」で終われない〈被疑者が置かれている現状があるからだ〉と著者は言います。 犯罪者にしたてられ,世間だけではなく身内とも隔離されて1人になった人は,これまで当然あった〈世界とのつながり〉が切断されてしまいます。人が,世界とのつながりが切れるという恐怖に耐えることはともてむずかしいのです。そんな状況に置かれている時に,うその自白であっても,それを話すことで,目の前にいる取調官が優しく接してくれるようになる。もう一度世界とのつながりが感じられるようになるのです。こういった人間の心理の中で,自白は作られていくのです。 著者は「強いられた自発性」といった言葉も示してくれます。 今の学校は,まさに,「強いられた自発性」を要求されているのではないか。学校で,自分の本当の気持ちを押し殺しながら〈積極的に生きているよう〉に見せる子どもたちの姿は,世界とつながりたいがためにわらを藻つかむ気持ちでうその自白を話し出す被疑者の姿とオーバーラップして見えてきます。 発達心理学の研究者であるにもかかわらず,「発達」という言葉に違和感を示す著者。 「今の流れが〈錯覚の流れ〉だということに気づいて,自分だけ走るのをやめたら,いつの間にか少数派になっていた」とも。 少数派は少数派として,堂々と,そして,結論を急がず,子どもたちの現状を見ながら生きていきたい…そう思いました。 まさに「優等生になることを拒否しつつ,自信を持って生きる」ことが大切ですね(本書にはこんな言葉はありません)。 大人たちは,もっともっとしっかり学ばねばならない…と思いました。 大人たちには,流れの中で立ち止まったり,流れから外れたりできなくても,せめて,〈錯覚の流れ〉の中にいることだけでも,気づいていて欲しい…。
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