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怨霊とは何か 菅原道真・平将門・崇徳院 中公新書2281
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怨霊とは何か 菅原道真・平将門・崇徳院 中公新書2281

山田雄司(著者)

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怨霊とは何か 菅原道真・平将門・崇徳院 中公新書2281

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 中央公論新社
発売年月日 2014/08/23
JAN 9784121022813

怨霊とは何か

¥605

商品レビュー

3.4

19件のお客様レビュー

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2024/06/24

再読、昔の感想を貼っとく 世の中は科学の力で上手に回っている、ならば科学の存在しなかった世界は上手く機能しなかったのかといえば、そうではなかった。 科学ではない「基準」をもって過ごしていたから。極端に言ってしまえば、世の中には正確に測ることが出来るものは存在せず、人間は数字や科...

再読、昔の感想を貼っとく 世の中は科学の力で上手に回っている、ならば科学の存在しなかった世界は上手く機能しなかったのかといえば、そうではなかった。 科学ではない「基準」をもって過ごしていたから。極端に言ってしまえば、世の中には正確に測ることが出来るものは存在せず、人間は数字や科学、そして霊的観念を自ら考えて作り出し型にはめて、いかにも正確であるかのように生活しているだけであって、それは今も昔も変わらない考え方。 現代であっても解らないものは解らないままであり、科学ですら不確かな存在である内は、霊魂文化と大差がないのではと感じた。 それでも霊魂が存在するのかしないのかという問いの答えを一応出しているのが宗教という存在。 宗教の数だけ考え方があるけど、昔の日本人にとっての「基準」とは何かと言われたら、それは神道もしくは仏教。目に見えるものを信じたい私たちとは異なり、霊魂文化の色濃かった時代の日本人は目に見えないものに重点を置いて生きていた。神の存在の背後に霊魂は存在するという本の言葉はとても印象的であり、やはり恐ろしいものの対象でありながら、時が流れるにつれ人々が自然に敬い崇める対象にもなった日本の霊魂文化は「畏怖」という言葉でしか表現できない特別な文化であると強く感じた。

Posted by ブクログ

2023/11/21
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※このレビューにはネタバレを含みます

職場の上司が歴史好きで将門伝説のことなどをお話ししてくださる機会があり、三代怨霊に興味が湧いたところで本書を図書館で見つけました。。 本書は日本三大怨霊と呼ばれる道真、将門、崇徳院について、それぞれの生涯や死後怨霊として扱われるまでの経緯と鎮魂の経緯を解説したものです。 いろいろ興味深かったのですが近年における将門パワーがすごすぎるので詳細記載しておきます。。 将門首塚と呼ばれる大手町の一角に、大正12年の関東大震災のあと大蔵省の仮庁舎が建設されたのですが、その後官僚に病人が続出し、工事関係者にもけが人や死亡者が相次ぎ、2年間で14人の死亡が確認され、昭和3年に庁舎は取り壊され将門鎮魂祭が行われたという事実を知り驚きました。 しかも事はそれで収まらず、昭和15年には都内20か所余りで落雷があり、航空局をはじめ大手町付近一帯が延焼したそう。この年は将門没後1000年だったことから庁舎は直ちに移転され、一千年祭が挙行され、当時の大蔵大臣自ら筆をとって古跡保存碑が建立されたそうです。 その後も第二次世界大戦後の焼け跡の整地時に死亡も含むけが人が続出したことから、当時の町内会長がGHQに陳情し、GHQも了承したという経緯で現在まで将門塚は保存されているんだそう。 大正・昭和の時代に怨霊が原因で庁舎が移転とか、国やGHQが怨霊の存在を認めて実際の対策をしたとは・・・衝撃的でした。 崇徳院のことも、彼が保元の乱によって讃岐に流されて以降、世の中は武者の世に転換しました。それ以降政権が未だに天皇のもとに戻ってこないのは崇徳院の怨霊が原因であるという説が唱えられ、その結果明治改元に合わせて、京都に白峯家が建立されて神霊の還遷されたそうです。 日本の文化はつくづく霊魂の文化なんだなあと、とても興味深かったです。 怨霊に対しては、奈良時代の初めは密教の持つ呪術的力によって調伏するという在り方から、善珠、最澄、空海を経て三界をさまよい苦しんでいる怨霊に対して仏教から説いて聞かせ、成仏することを願う、という形式が確立されたようで、なので今でも祀る、という方法が採られているんですね。そこも日本らしいな。

Posted by ブクログ

2023/08/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

怨霊の扱いがその時の為政者の都合の良いようになされていたこと。戦国時代「神仏に祈願したとしてもその結果が変わるわけではなく…合理的な思考方法が優勢になるに従い神仏に対する絶対的信頼心は希薄になっていった…」なるほど。怨霊が政治に使われていたことがわかった。面白い。

Posted by ブクログ

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