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無名の人生 文春新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 文藝春秋 |
発売年月日 | 2014/08/01 |
JAN | 9784166609826 |
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無名の人生
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商品レビュー
3.7
22件のお客様レビュー
亡くなられた時に、書店に置いてあり購入したが、今まで本棚のすみにしまわれていた。連休に取り出したらページが進み2日で読み終えた。今まで何度か取り出しては読み進めなかったのが不思議だ。 渡辺京二は石牟礼道子の「苦海浄土」の編集者として世に送り出し、「ゆきし世の面影」の作者ですが...
亡くなられた時に、書店に置いてあり購入したが、今まで本棚のすみにしまわれていた。連休に取り出したらページが進み2日で読み終えた。今まで何度か取り出しては読み進めなかったのが不思議だ。 渡辺京二は石牟礼道子の「苦海浄土」の編集者として世に送り出し、「ゆきし世の面影」の作者ですが江戸の昔は決して悪い時代ではなかったと田畑は庭園のように美しかったと書いてます。庶民の暮らしも近所付き合いも温かだった。中学生のころ体罰は受けたが暴力は決してよくないが良き思い出だとしてます。最近のイジメにもちょっと精神が弱いのではないかとも言ってるような。 水俣闘争を戦った人ですが、決して体制に反駁してばかりの人ではないようです。組織には上下の秩序は必要としてます。 180ページほどの本ですが、最終章の「無名のままで死にたい」項はたくさんの付箋と赤線を付けてしまいました。博学な多くの本を読まれた渡辺京二は先人として学ぶべきところが多いです。
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本書はエッセイ集であるが、不思議な感覚を持った本だった。 「あとがき」に、この本の成り立ちが書かれているが、筆者がインタビューを受けたものを文章に起こして新書化したもののようである。インタビューがベースになっているので、書いてあることが「軽い」感じがする。また、筆者が「自分の話し...
本書はエッセイ集であるが、不思議な感覚を持った本だった。 「あとがき」に、この本の成り立ちが書かれているが、筆者がインタビューを受けたものを文章に起こして新書化したもののようである。インタビューがベースになっているので、書いてあることが「軽い」感じがする。また、筆者が「自分の話したいことを話す」ということで出来ていると思うが、従って、テーマが割と広範にわたる。 全部で6章の構成となっている。1章は、筆者の生い立ち。2章はどちらかと言えば「年寄りの繰り言」的な話。3章は幸福論とでも言うべきもの。4章は江戸時代、5章は国民国家についての内容。最後の6章は「無名のまま生きたい」という題名であり、本書全体の書名とも重なっており、筆者の人生観を示している。面白く読める部分もあれば、あまり面白くは読めない部分もある。 私が本書を手にとったのは、筆者が書いた「逝きし世の面影」という本を10年前くらいに読んだことがあり、それがとても面白かったからである。10年ぶりの渡辺京二であるが、その間、筆者の他の本を読まなかったのは、この方の本を書店で見かけることがあまりないから。 渡辺京二は1930年8月1日生まれ。本書は2014年の8月20日の発行なので、筆者が80歳代前半の時のものだ。この本は、特に面白い本だとは思わなかったが、80代になってこのような本を出版出来ること自体が既に驚異的なことであり、敬意を払わざるを得ない。 筆者は昨年の暮れ、2022年12月25日に亡くなられている。92歳であった。亡くなられたという報道を読み、筆者の作品を読んでみようと思い立ち手にとったのが本書。他の著作も続けて読んでいく計画。
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渡辺京二著『無名の人生(文春新書)』(文藝春愁) 2014.8発行 2020.1.7読了 読友さん(読書メーター)のレビューを読んで購入した本。渡辺京二さんは1930年、京都生まれの人で、青春時代を当時の最先端都市だった大連で過ごしてきた。敗戦後、日本に戻ってくるが、1949...
渡辺京二著『無名の人生(文春新書)』(文藝春愁) 2014.8発行 2020.1.7読了 読友さん(読書メーター)のレビューを読んで購入した本。渡辺京二さんは1930年、京都生まれの人で、青春時代を当時の最先端都市だった大連で過ごしてきた。敗戦後、日本に戻ってくるが、1949年に結核を発症し、喀血。1953年まで結核療養所に施設入所していた。1948年から1956年のハンガリー事件の頃まで共産党に入党していたことがあり、水俣病問題にも熱心に取り組んでいた。一方で少年時代は大人顔負けの軍艦オタクだったそうで、本書を通読して得た私の渡辺京二像は左翼思想の愛国者である。この人の人生観は、戦時中の裕福な生活から敗戦後の凋落、そして結核療養所での間近な死の体験と切って離すことはできないだろう。「生きるとは、基本的には独りで生きていくことだ」という言葉の重みは、理不尽に命を奪われる戦争体験、結核療養所で一人また一人と黙って死んでいく仲間たち、水俣病で苦しむ市井の人々との関係を抜きにして語ることはできない。著者に尊敬の念を覚えるのは、そうした窮境にも関わらず、生きたいという強い意欲を失わなかったことだ。この娑婆世界は苦しいこと、辛いことだらけだ。それは今も昔も変わらない。むしろ、著者は、現在は社会福祉が充実して、却って人々から自立心を奪っているとさえ主張する。著者の楽天的とも言える江戸時代に対する時代感覚には、正直疑問を覚えるけれど、江戸時代の相互扶助を理想とし、分業化され、専門職化された現代のケアシステムが人間の共生する能力を奪っているという指摘は頷ける部分がある。彼の主張の根本には、サナトリウムに4年間も入所させられていたことがあるのだろうが、我々現代人もそうした後戻りできない現実の社会システムを前にして、それでも強く生きていかねばならない。どんな時代、どんな社会に生まれてきたとしても、自分が自分の一生の主人になる。社会や制度のせいにしても何も始まらない。この世に未練を残して死んでいくとしても、それは自分の生き方がそうあらしめたのだから仕方がない。他ならぬ自分の命を、他者の手にゆずり渡して死にたくない。現代を強く生きるためには、逆説的ではあるが、過剰な自己愛、自己執着を捨てろと著者は言っている。現代人は自己顕示に汲々としており、見せびらかしの大衆消費社会になっていると説く。自分の人生の主人になるとは、むなしい自己顕示競争に勝つことではない。自分のマイナス面を含めたありのままの自分から目を背けてはならない。強がって恰好をつけたり、見苦しい自分から目をそらしたり、立派になろうとしたりなどせず、耐えて生き抜く。人間は一人きりでは生きていけないから、家族や国家や社会保障が生まれてくるわけだが、根源的には孤独を抱えた自分が原点に存在する。生きるということは、その裏で必ず死ぬ者がいるということだ。好むと好まざるに関わらず、他者の居場所を奪って我々は生きている。それでも、自分の一生に誇りを持ち、自分なりの生の旅を歩みたい。著者の理想の死に方は、「野垂れ死に」だそうだ。せめて死ぬときくらい、地位も肩書も何もかも一切を払い捨てて、大地に還っていきたいらしい。それが無名の人生という生き方なのだろう。 URL:https://id.ndl.go.jp/bib/025623172
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