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富岡日記 ちくま文庫
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富岡日記 ちくま文庫

和田英(著者)

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富岡日記 ちくま文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 筑摩書房
発売年月日 2014/06/12
JAN 9784480431844

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商品レビュー

3.7

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2022/06/05
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※このレビューにはネタバレを含みます

維新から5年目に群馬県の富岡に蒸気機関を使った製糸工場ができ、日本各地からそこで働く工女たちが集められ、技術を学び、日本各地に設立された製糸工場で、その地域で集められた工女たちにその技術を伝えていった。 この富岡日記はその伝習工女の一人和田(旧姓横田)英の日記である。2部構成で、第一部は富岡製糸工場での日々、第二部では、地元信州に日本人により設立された製糸工場でリーダーとして働いた日々が描かれている。 富岡では「女工哀史」や「あゝ野麦峠」で描かれた女工たちの苦労話ではなく、フランス人の経営を取り入れた非常に優遇された生活であった。集められた若い女性たちは士族や豪農の娘たちであった。色々と苦労はしながらも習練を乗り越えて徐々に給料が上がっていったり、いろんなイベントがあったり、楽しい日々であったようである。 彼女の勝ちきな性格が表れた非常に面白い内容になっているが、私が感動したのは、富岡工場を何回か訪れ、図面を取り寄せただけで、信州で日本人達だけで蒸気機関を使った近代的な製糸工場を立ち上げてしまった事である。 これはやはり江戸時代から築き上げた技術の蓄積があってこそのことであろう。

Posted by ブクログ

2022/03/17

014年に世界遺産に登録された富岡製糸場は、バイクツーリングで向かうのに最適な観光地であった。富岡インターで降りてほどなく現地に到着し、無料でオートバイを停められる市営の宮本町駐車場も富岡製糸場のそばにある。 少々早く到着したので、駐車場から製糸場までの商店街を散歩する。お店の方...

014年に世界遺産に登録された富岡製糸場は、バイクツーリングで向かうのに最適な観光地であった。富岡インターで降りてほどなく現地に到着し、無料でオートバイを停められる市営の宮本町駐車場も富岡製糸場のそばにある。 少々早く到着したので、駐車場から製糸場までの商店街を散歩する。お店の方からの朝の挨拶が気持ちよい。そして、富岡製糸場には開場5分前に到着した。レンガ造りの大きな建物を向かいにし、古い門柱や古い円筒の赤いポストをまんじりと見ながら開門まで待った。 ● 富岡製糸場、保存状態の良い産業遺産として魅力ある建物たち ● 西置繭所の斬新な展示方法 ● 屋内各所にあるパネル展示 ● 創業当初の工女の日記『富岡日記』和田英著 を読む 「富岡日記」という明治時代の工女の日記があり、日記文学に目がない自分は飛びついた。ページをめくると、まるで和田英さんのFacebookを読んでるかのように明治時代の富岡製糸場内の風景が広がる。それほど生々しい工女たちの日常が仔細に描かれている日記だ。 時折出没するという寮内のお化けの話やフランス人婦人の服装など、工場内のたわいもない事柄まで細かく描かれており、この時代にSNSがあれば工場のインフルエンサーとして脚光を浴びていたであろうような面白さである。 和田英さんが工女として寝泊まりした1873年の寮は今はないようだが、1918年に建てられた寄宿舎「榛名寮」は今も残る。ここの住居は20畳の大部屋であり、日記を読むと和田英さんも同じような寮に住んでいたことがうかがわれる。 一方、その横にある「首長館」と呼ばれるフランス人ブリュナ氏とその家族の為の住居やフランス人スタッフの為に建てられた建物との格差は著しい。こうした彼等を賄う費用のため富岡製糸場の採算は当初はかなり苦しかったと言う。 製糸場の入口を入ってすぐ左手にある洋館2つは「検査人館」「女工館」と呼ばれ、ともに1873年(明治6年)に建てられ、各々フランス人男性宿舎、フランス人女性宿舎用途の建物であった。ベランダに囲まれて東南アジアでよく見られるコロニアル様式となっている。工女たちに比べるとなんとも優雅な暮らしぶりだったことがうかがわれ、富岡日記から彼女たちへの憧れを少々感じた。 日記には、ブリュナエンジンを設置したブリュナ氏の夫人についての記述がある。1日置きくらいに氏と手を引き合って場内を歩いたらしく、その服装がたいそう麗しかったようだ。大礼の際の彼女の服装などは「神々しい」と詳細を描かれており、こういった服装への嗜好からも工女たちが西洋人に憧憬する様がうかがわれる。 詳細はコチラから↓ https://jtaniguchi.com/tomioka-silk-mill-wadaei/

Posted by ブクログ

2019/12/08

 富岡製糸工場に働きに来ていた女工の一人が,当時を思い出してしたためた文章である。だから,「日記」というよりも「回想記」といった方が適当だろう。  著者の和田英(当時は,横田英)は,信州松代生まれ。1873年(明治6年)に同郷の15名と共に富岡製糸場の工女となった。1年間,富岡製...

 富岡製糸工場に働きに来ていた女工の一人が,当時を思い出してしたためた文章である。だから,「日記」というよりも「回想記」といった方が適当だろう。  著者の和田英(当時は,横田英)は,信州松代生まれ。1873年(明治6年)に同郷の15名と共に富岡製糸場の工女となった。1年間,富岡製糸場でしっかり技術を身につけたあと,地元に帰り,民営の製糸場(のちの六工社)の技術教師となって働いた。六工社でのことについても「富岡後記」として本書に収録されている。  明治初頭の日本人女性が,工場で働くことに対してどのように思っていたのか,そしてその中でどのようなことを感じていたのかが,よく伝わってくる。自分たちの後から入ってきた元長州藩のメンバーが自分たちを飛び越えて「いい仕事」についた時には,お頭達に対して抗議を起こすなんて,たいした行動力だ。また,六工社時代の時にも,工場管理者の姿勢に対して,ストまがいのことまで起こし,自分たちの要求を通している姿も見ることができる。  製糸工場での女工物語といえば,『女工哀史』や『あゝ野麦峠』など,使い捨てられるイメージとして女工が語られているが,本書を読めば,最初からそのような待遇だったわけではないことが分かる。それは,富岡製糸場が,当初は採算を度外視して政府主導で行われていたことも関係しているようだ。労働時間も1日7時間45分。休憩時間もあったのである。フランスの影響もあったのだろう。しかし,その後の製糸工場が持ち込んだ〈働き方〉は,女工たちにとって悲惨なものだった。それは,明治維新後,西洋に負けまいとして,日本の資本主義が急速に進んで行く途上で起きていったことなのだろう。  このあたりのことは,本書の斎藤実奈子氏による解説『近代の女子労働から見た「富岡日記」』に詳しく書いてあるので,合わせてお読みいただきたい。

Posted by ブクログ