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神と肉 日本の動物供犠 平凡社新書730
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神と肉 日本の動物供犠 平凡社新書730

原田信男(著者)

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神と肉 日本の動物供犠 平凡社新書730

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 平凡社
発売年月日 2014/04/17
JAN 9784582857306

神と肉

¥550

商品レビュー

3.8

7件のお客様レビュー

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2023/07/06

2014年の新書。 以前、近代に肉食が入ってくるまで、日本人は、古来、肉を食べない民族と見なされてきた。いわゆる「四つ足」は食べないとする禁忌である。 一方で、薬食いなどと称して病気のときに食したり、猪を山くじらと称して食べたりする抜け道もあった。 抜け道があるということは、か...

2014年の新書。 以前、近代に肉食が入ってくるまで、日本人は、古来、肉を食べない民族と見なされてきた。いわゆる「四つ足」は食べないとする禁忌である。 一方で、薬食いなどと称して病気のときに食したり、猪を山くじらと称して食べたりする抜け道もあった。 抜け道があるということは、かつては食べられていたことを暗示する。 著者は、古代国家が米を重視し肉を貶める選択をしたため、肉食が禁じられたとする。 かつてはアジアの他地域と同様に、農耕のために動物供犠が行われていたが、徐々に殺生禁断が重視され、肉食が穢れとされる。 その歴史を、沖縄に残る動物供犠、アジアにおけるもの、日本に見られる考古学的な痕跡から探ってみようというのが本書の主旨。 農耕はまとまった作物をもたらしうるが、同時に、天候に左右されることも多い。 豊作か否かは、人知を超えた何者かによるものである。したがって、豊作を願うには、それらに「祈り」を捧げる必要がある。 神饌と呼ばれる神への食べ物はこのために捧げられる。動物の肉は栄養価も高く、それにはうってつけのものである。こうして捧げられた肉は、その後、直会と称する人の会合に下げられて、参加者が食べることになっていた。つまり、人は神が食べた肉を相伴するわけである。 こうした供犠の名残は沖縄に見られ、そのルーツをたどると中国・朝鮮の儀式とのつながりが見えてくる。農耕が大陸からやってくるとともに、供犠もやってきたというところだろう。 日本本州でも行われていた痕跡は文献に見られる。各地の風土記に狩猟動物を捧げたり、弓矢で豊作・凶作を占ったりといった記述が見られる。 但し、日本では古代のある時点で、「穢れ」により重きを置き、豊作を願うために供犠を行うよりも、殺生を禁ずる方に方針が変わっていく。このあたりの理由が本書だけではいまひとつよくわからないのだが、著者の別の著作ではこの辺りにもう少し詳しく触れているのかもしれない。農耕に牛馬を使うこととも関わりはあるのだろう。猪や鹿などの野生動物ならよさそうにも思うが、そこを許すとなし崩し的に家畜も供犠に用いられる可能性があるということだったのかもしれない。 いずれにしろ、表向きは殺生が禁じられる。国家の意向に加え、宗教的にも供犠を禁ずる価値観が形成されていく。 神饌自体は風習としては残るが、その中身から獣肉は徐々に消えていった。 「穢れ」が重視されたのは、日本の湿潤で物が腐敗しやすい気候とも関わりがあったものだろうか。そもそも供犠を行えば豊作になるという発想はどうして生まれたのか。 さまざま、謎は尽きないが、あれこれと思いを巡らせるところが、こうした本を読む1つの楽しみではあろうか。

Posted by ブクログ

2022/01/10

アカデミアではほぼ無視されていたらしい日本における動物供犠についての考察。 日本文化に影響を与えた中国や朝鮮半島の例、また各地にわずかに残る伝承から日本での穀物の豊穣を祈る目的の動物供犠の痕跡を見る。 狩猟期の人と動物の対等な関係が大陸からもたらされた農耕によって変化し、植物の...

アカデミアではほぼ無視されていたらしい日本における動物供犠についての考察。 日本文化に影響を与えた中国や朝鮮半島の例、また各地にわずかに残る伝承から日本での穀物の豊穣を祈る目的の動物供犠の痕跡を見る。 狩猟期の人と動物の対等な関係が大陸からもたらされた農耕によって変化し、植物の実りのサイクルから一度死に再生するという死生観を獲得する。そしてその死生観によって祭祀としての女神殺しが行われるというアドルフ・イェンゼンの説をひいて、狩猟文化における弔いとしての意味が強い祭儀と区別して論じられている。 印象深いのが日本の古代国家が米を聖なるものとしそれに対して肉食を禁忌としたことがくり返し「異様」と表現されていることで、これが著者の本論なんだろうなあと…それはわかった。先に読んどいたほうがよかったな。 古代国家による肉食禁止令以前であり道教の「穢れ」観念の流入以前の、魏志倭人伝に描かれる日本にすでに肉食忌避の文化が見られたというのはとても興味深い。 やまと言葉に土着信仰の贄を意味すると思われる神籬(胙)があり、胙の神人共食を通じて人びとは神の恩恵を受ける。しかし同時に肉食を忌避する土着思想が存在し、それが穢れの観念と結びついてさらに国家による禁止によって強化され、それが肉食忌避が本流として連綿と続くことになった、ということだろうか。古代国家が家畜でない野獣の供犠を禁じることができなかったということも、農耕国にある狩猟文化の実態のややこしさを際立たせる。 四国に首無し馬の伝説が残るのは馬の頭を供犠していた名残ではないかと考察されている。あるわ!おらが地方、首無し馬が出る神社ある! 郷土史によると首無し馬伝説のある神社の近くに山伏が居て、近くの山で雨乞いを行っていたとされる。もしかしたらその雨乞いに馬の頭を捧げていたのかもしれない。動物供犠の禁止と穢れ思想の肥大によって貴重な動物を神々に捧げるという目的が忘れ去られ、血を流しておくとその穢れを清めるために雨が降るという謎理論が発生したとのこと。神様にお掃除大好き設定を盛ったのか。 また、肉食を穢れとする割に血の穢れを凝視しないのが日本の特徴であるとか、中国では肉食の穢れよりも産穢のほうがより強く忌避されたなどの違いも面白かった。近世以前は地方に文書がないからよくわからんそうだけど、土着文化ってなかなか根強そうだしそれでみんな沖縄と北海道目指すんだな……そういえば西表島の本で読んだ「シマフサラ」も取り上げられていた。

Posted by ブクログ

2019/10/26

・弥生時代、稲作と一緒に中国からシカの血を撒く儀礼が到来したのではないか。はじめは家畜であるブタだったが、ブタが欠落すると、イノシシやシカが主流となった。

Posted by ブクログ

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