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ウェブ社会のゆくえ “多孔化"した現実のなかで NHKブックス1207
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | NHK出版 |
発売年月日 | 2013/08/28 |
JAN | 9784140912072 |
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ウェブ社会のゆくえ
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商品レビュー
3.6
29件のお客様レビュー
【由来】 ・Flipboardの「書籍」で。 【期待したもの】 ・佐々木俊尚著の「レイヤー化する世界」の読了直後に目に入った。比較できそうな内容かと。 【要約】 ・Webテクノロジー、それも「ソーシャルメディア」の浸透により、現実世界の意味が上書きされ、「多孔化」した社会とな...
【由来】 ・Flipboardの「書籍」で。 【期待したもの】 ・佐々木俊尚著の「レイヤー化する世界」の読了直後に目に入った。比較できそうな内容かと。 【要約】 ・Webテクノロジー、それも「ソーシャルメディア」の浸透により、現実世界の意味が上書きされ、「多孔化」した社会となっている。これにより、従来型コミュニティの存在基盤や関係論が通用しなくなってきている。 【ノート】 ・佐々木俊尚の「レイヤー化する世界」を読んだ直後に本書の存在を知り、何となくそのつながりや違いを明確にしてみたいと思ったのが本書を読む動機。 ・「レイヤー化する世界」はウェブによって、個人のスキルやタレントのレイヤー化が可能になり、各員が緩やかで不安定なつながりを世界的に広げて活動してゆくという社会像を描いており、それはどちらかと言えば楽観的な肯定であるように感じられた。 ・それに対して本書は、ウェブによってもたらされる現実空間の多孔化を、危機感を持って捉えているのが出発点。例えばデート中に相手が目の前にいるにも関わらずソーシャルネットワークにアクセスするという振る舞いを、単なるマナーの問題ではなく、現実空間の意味合いがウェブによって上書きされているとし、現実の物理的空間が人間関係に対して持っていた制約が喪失していると分析する。つまり、かつては同じ空間にいるということが密接な人間関係と同義であったのに、それが単なる「近接」をしか保証しなくなったということである。 ・このことは従来型のコミュニティの成立条件を揺るがすことになる。同じ物理的空間にいても、その空間が持つ(あるいはその空間にいることの)意味が、人によって変わってしまうわけで、そのことを著者は「多孔化」と表現している。佐々木が「レイヤー化する世界」を「不安定」と表現しているのも、この、従来型パラダイムの動揺と通底しているように感じた。 ・本書は、そのような状況について単に警鐘を鳴らすだけではなく、あくまでも社会学からのアプローチらしく、新たなコミュニティの創出を提言している。そこでは、現実の多孔化を積極的に認め、取り入れた上で、「儀式」による新たなコミュニティの創出を提言している。この提言については、自分は今ひとつピンとは来なかったのだが、多孔化という視点は面白く感じた。 【目次】 第一部 現実空間の多孔化 第一章 ウェブが現実を侵食する 1 「情報空間」が現実を帰る 2 ソーシャルメディアが個人情報を買い叩く 3 現実と連動し、現実を侵食するウェブ 第二章 ソーシャルメディアが「私」を作る 1 ソーシャルメディアから抜け出せない人たち 2 「ソーシャル疲れ」の社会学 第三章 ウェブ社会での親密性 1 役割空間の混乱 2 一緒にいることの孤独 3 親密性と近接性が無関連化する 第二部 ウェブ時代の共同性 第四章 多孔化現実の政治学 1 テレビ公共圏から多孔化現実へ 2 多孔化現実を管理する権力 3 リスクの可視化による社会の分断 第五章 多孔化した社会をハッキングする 1 観光から聖地巡礼へ 2 シビック・プライドと行政の役割 第六章 「悲劇の共同体」を超えて 1 喪失の体験と共同性の始原 2 儀礼の空間と現代における共同性
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チャーリーの一番新しい著書。とは言ってももうすでに4年ほど前か。これも結構読み応えがあった。最終章で扱っていた共同体についてのあれこれが印象に残る。「喪失の共同体」という概念はかなりうなずける。喪失という物語を共有することによて、理想に対しての憧れ、それを失った悲しみの共有体験が...
チャーリーの一番新しい著書。とは言ってももうすでに4年ほど前か。これも結構読み応えがあった。最終章で扱っていた共同体についてのあれこれが印象に残る。「喪失の共同体」という概念はかなりうなずける。喪失という物語を共有することによて、理想に対しての憧れ、それを失った悲しみの共有体験が共同体のアイデンティティになっていく。 あまり想像を膨らませるべきではないかもしれないが、キリスト教の成り立ち、そして今日の我々。重ねずにはいられない。学び多い一冊であった。 17.5.2
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現実とウェブの境界がなくなった現代社会において、人々の自己理解・自己形成が否応なしに分断を含まざるをえないことを明らかにするとともに、それを克服するための道を探ろうとしている本です。 ウェブ社会が空間の意味を上書きするという発想に基づいて、「アニメ聖地巡礼」などのコンテンツ・ツ...
現実とウェブの境界がなくなった現代社会において、人々の自己理解・自己形成が否応なしに分断を含まざるをえないことを明らかにするとともに、それを克服するための道を探ろうとしている本です。 ウェブ社会が空間の意味を上書きするという発想に基づいて、「アニメ聖地巡礼」などのコンテンツ・ツーリズムに新たな公共性への希望を見ようとする議論は興味深く感じました。 ただ、著者の師である宮台真司にも言えることですが、社会的包摂の必要性を訴える議論に、個人的にはどうしてもきな臭さを感じてしまいます。とりわけ震災の記憶の継承に関する議論では、ナンシーとブランショの議論を踏まえているのでつい見過ごしてしまいそうになりますが、本書の中には共同体が死者についての「語り」を独占してしまうことに対していささか無防備ではないかという気がします。もっともこれは、私自身の根っこにアナキズムに親和的な傾向が潜んでいるせいなのかもしれません。
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