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金槐和歌集 新潮日本古典集成
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 新潮社 |
| 発売年月日 | 1981/06/10 |
| JAN | 9784106203442 |

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金槐和歌集
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頼朝が鎌倉幕府を立て一応の形を作り上げた。以仁王から20年、修善寺で頼家が死に、三代将軍になった源実朝の自撰家集。 「万葉集」「新古今集」を読み込み、当時一人者だった藤原定家の教えを受け、定家から「詠歌口伝」現在「近代秀歌」と呼ばれるようになった教科書ともいえる一巻を贈られている...
頼朝が鎌倉幕府を立て一応の形を作り上げた。以仁王から20年、修善寺で頼家が死に、三代将軍になった源実朝の自撰家集。 「万葉集」「新古今集」を読み込み、当時一人者だった藤原定家の教えを受け、定家から「詠歌口伝」現在「近代秀歌」と呼ばれるようになった教科書ともいえる一巻を贈られている。 集められている歌がどこかで読んだことがあるような調べや言葉が多いのは、これらを読みこんで自家薬籠中のものにしているためかといわれている。定家は実朝のこうした歌について、正しい本歌取りについて勧めたようだ。 この「新潮社の古典集成」は巻末の解説で時代考証と共に右大臣実朝の時代背景と歌の意味がよく説明されていて参考になる。 八幡宮の実朝の悲劇で終わるこの家集が、歌を味わいながら深くうら悲しい抒情をくみ取ることができる。 『春』『夏』『秋』『冬』『賀』『恋』『旅』『雑』に別れ、すべて現代語訳が付いていて読みやすい、頭注も本歌・参考歌が上がり似ているのはこれがあるためかと、本歌も改めて鑑賞できる。全663首が上がっている。 解説 金槐和歌集 ――無垢な詩魂の遺言 ―― 樋口芳麻呂 建暦三年本は通常定家所伝本と呼ばれている。藤原定家が巻頭など書き元前田家に蔵され、佐々木信綱が発見解説をつけて刊行されたもの。これは実朝の和歌の研究に画期的な進展をもたらすものであった。 従来、実朝は、定家から建暦3年12月23日、すなわち、22歳の冬に「万葉集」を贈られて初めてこの書と本格的に接し、これ以降この上なく愛玩するようになったとされてきた。 吹く風の涼しくもあるかおのずから山の蝉鳴きて秋は来にけり158 世の中は常にもがもな渚こぐ海人の小舟の綱手かなしも604 物言わぬ四方の獣すらだにもあわれなるかや親の子を思ふ 607 炎のみ虚空に満てる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし615 大日の種子より出でて三摩耶形さまやぎょうまた尊形となる 617 時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王あめやめたまえ619 くれなゐの千人のまふり山の端に日の入るときの空のぞありける633 たまくしげ箱根のみうみけけれあれや二国かけてなかにたゆたふ 638 けけれ=心 箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ 639 大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも641 大君の勅をかしこみちちわくに心わくとも人に言はめやも661 ちちわく=あれこれと 東にわがおれば朝日さす藐姑射の山の陰になりにき661 藐姑射=仙人の山→院の館 山は裂け海は浅いせむ世なりとも君にふた心わがあらめやも663 これらの、万葉調とかいわれる絶唱はすべて晩年に詠まれたものと考えられてきたのである、実際は二十二歳の終わりまでにほとんどの歌が詠まれていることが明らかになったのである。実朝が、その独自の芸術性を極めた時期は晩年の二十七、八歳ではなくてむしろ二十一、二歳ころであったわけである。 実朝が敬愛していた後鳥羽院の寄せる思慕の情は紛れもなく実朝自身の手で編まれていることを感じさせるのである。 また悲劇の当日の歌 ・引用文 資料的には実証不能ながら柳営亜金槐の 梅の花を詠める 咲しよりかねてぞ遅き梅の花散りに別れはわが身と思へば664 心静かに余生を想像する姿が偲ばれる。・引用文 親切な編集で最後に挙げられている参考歌や実朝年譜も読んでみた。もう読み返すこともないと思うが、 いつからか親しんでいた 大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも641 世の中は常にもがもな渚こぐ海人の小舟の綱手かなしも604(百人一首に入っていて親しい) などはよく知られていて忘れることはない珠玉の絶唱で、不意に断ち切られた生涯が、時代の波にのまれたとばかり思えなくなっていった。 子供もなく、家名をあげる手段を、回りの困惑をよそに、しきりに上級の官位を求め続けた心境も(後世の読みかもしれないが)まだまだ若い年で生きるのを急いだ姿が歌に寄せる思いを深くする。
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小林秀雄より。 新潮の古典集成は注釈や解説、索引がとても充実してゐるが、時にさういつたものが、読んでゐる人間が直接ことばから受け取るものや、自分のことばで歌を感じ、実朝の姿をみることに邪魔をすることがある。古典を讀み易くするといふことは、現代語に必ずしも置きかへることではないと思...
小林秀雄より。 新潮の古典集成は注釈や解説、索引がとても充実してゐるが、時にさういつたものが、読んでゐる人間が直接ことばから受け取るものや、自分のことばで歌を感じ、実朝の姿をみることに邪魔をすることがある。古典を讀み易くするといふことは、現代語に必ずしも置きかへることではないと思ふ。 それはともかく、小林秀雄の実朝から興味をもつて読んでみやうと思つてゐたが、それから随分時がたつて、中身がすつかり頭から抜け落ちてゐた。さうした中である意味、ひとり実朝にとりかかつた。 目に映る景色だけでなく、必ずそこに、それをひとり眺める実朝がゐる。目の前をよぎる流れを、喜びも哀しみも、生れるものも消えるものも、それをみつめるまなざしが、ある。それが最後まで離れない。 ひとつの流れの中に彼がゐた。過去の人間も彼と同じ様に花や月、空を眺めてゐたといふのに、やはり、それでもみつめてゐるのは彼なのだ。感じられるのに、彼に触れられない。すぐそこに立ちつくしてゐるのに、近附けない。さうした世界に堕とされる。ただただ彼の唄う歌だけが、心地よく、それでいてなくなつてしまひさうで。柳のやうなしなやかな実朝の姿。 新古今に漂ふ流れていくものへの慈しみ、悲しさ、その中におかれた自分といふ存在への気づき、彼の歌はさういつたものではない。流れていくものの中にあつて、たつたひとり立ちつくし、その一瞬を自分の身体で精一杯感じとつてゐるやうな、そんな歌。 本歌取りの観点から、彼の独自性について解説がなされてゐたが、それだけではたぶん彼の歌を感じることは難しいと思ふ。同じ景色をみてゐるのはこの自分であつて歌を読んだ過去のひとではない。けれど、わたしも今、それを感じることができる。わたしも流れの中に生れてゐるのだから。彼の歌にあるのはたぶんそんな感覚。万葉調だのなんだのといふよりは、自分がどうにもならない存在であると知つてゐるやうな、逆説的な強さなのだ。 彼の育ちに纏はる暗い出来事、官位に対する執着や謎の船の建造、暗殺直前の出来事など、様々なエピソードが残されてゐるが、たぶん理由はつけやうと思へばどうにでもつけられ、そのどれひとつをとつても彼の存在を説明するのには不十分であるだらう。けれどかういふ歌を詠んだ人間であることには変りないのである。
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