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アメリカン・マスターピース 古典篇 柴田元幸翻訳叢書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | スイッチパブリッシング |
発売年月日 | 2013/10/07 |
JAN | 9784884184339 |
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アメリカン・マスターピース 古典篇
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商品レビュー
4.5
10件のお客様レビュー
またまた『翻訳文学試食会』# 6紹介されていたハーマン・メルヴィル『書写人バートルビー ウォール街の物語』を読もうと手に取った本書。 翻訳の名手が、書名のとおりマスターピースを選んだのだから、評価が高くなるは当然か。 中でもお気に入りは、ハーマン・メルヴィル『書写人バートルビ...
またまた『翻訳文学試食会』# 6紹介されていたハーマン・メルヴィル『書写人バートルビー ウォール街の物語』を読もうと手に取った本書。 翻訳の名手が、書名のとおりマスターピースを選んだのだから、評価が高くなるは当然か。 中でもお気に入りは、ハーマン・メルヴィル『書写人バートルビー ウォール街の物語』とエドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』、そしてジャック・ロンドン『火を熾す』。 『書写人バートルビー ウォール街の物語』は、大東さんも干場さん@翻訳文学試食会で激賞されていた。私主人公(語り手)の弁護士の、だんだん自分の判断に自信を無くしていくさまが、日常生活でも結構怒ってるんではないかと、とても不気味な味わいだった。 『モルグ街の殺人』は、作者ともども名前と犯人は知っていたものの(コナン君ありがとう)、実際に読んだのは初めて。シャーロックホームズは全作品読んでいるため、最初ホームズとのあまりの類似性に驚かされたが、途中で逆であることに気づかされた。ホームズの方が、モルグ街を下敷きにして誕生した探偵なのだ(今更だが、私にとっては新鮮)。現代的な目で見ると結末に少し強引なところがみられるものの、それ以外は、推理小説として面白く読めた。それにしても近代に出来上がった大都市って、孤独な人が多いな。 『火を熾す』。この小説、登場人物はたった一人(と犬一匹)。んで、極限の寒さと戦っているだけ。タイトルどおり火を熾そうとしているだけ。要約するとこれだけなのですが、そんな極寒を体験したことはない私のような人間でも、「あかん、死んでしまう」と、何回か本を閉じそうになってしまうほどの、迫力のある表現とと、引き締まった文章に圧倒された。あと、なぜ犬を信じないのだろうと、結末で感じさせられた。
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日本において20世紀以降のアメリカ文学を紹介する一流の学者であり翻訳家である著者が、古典・準古典・現代という3つの時間軸で、それぞれの短編傑作を新訳して紹介するというコンセプトの1冊。本作はこの第一作としての古典篇である。 扱われている作家はナサニエル・ホーソーンにはじまりエド...
日本において20世紀以降のアメリカ文学を紹介する一流の学者であり翻訳家である著者が、古典・準古典・現代という3つの時間軸で、それぞれの短編傑作を新訳して紹介するというコンセプトの1冊。本作はこの第一作としての古典篇である。 扱われている作家はナサニエル・ホーソーンにはじまりエドガー・アラン・ポー、ハーマン・メルヴィル、マーク・トウェイン、O・ヘンリー、そして著者の翻訳の中でも最も個人的に愛好しているジャック・ロンドンと、アメリカ文学黎明期の時代を彩る作家として誰しもが名前は聞いたことがある作家ばかりである。 一方で、だとしても実際に読んだことがあるかと言われれば全く話は別であり、比較的アメリカ文学を愛好する自身でも実はメルヴィルやポーの作品はちゃんと通っていなかったりもして、著者の優れた目利き力によって厳選された作品集というのもあり、お世辞でなく所収作の全てが面白かった。文学作品としての洗練具合でいえば、当然時代が時代だけにまだ荒い部分もあれど、当時のアメリカ社会とその時代を生きる同世代人の造形などを知れる点も含めて、やはり文学というものの面白さを再確認させてくれる。
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『問題を解明する能力は、数学を学ぶことによって大いに強化されうる。とりわけ、数学のなかで最も高度な、単にその遡行的な手順ゆえ不当にも解析学なる名で片付けられてきた分野を学ぶことによって。だが計算すること自体は分析ではない』―『モルグ街の殺人』 柴田元幸翻訳叢書の一冊を手に取る。...
『問題を解明する能力は、数学を学ぶことによって大いに強化されうる。とりわけ、数学のなかで最も高度な、単にその遡行的な手順ゆえ不当にも解析学なる名で片付けられてきた分野を学ぶことによって。だが計算すること自体は分析ではない』―『モルグ街の殺人』 柴田元幸翻訳叢書の一冊を手に取る。理由はもちろん柴田さんの日本語を読みたいから。期待通りの読書。 言ってみれば、個々の短篇の内容は多かれ少なかれ知られていて(そりゃそうでしょう、古典、なんだから)、一々物語の内容でハッとするようなことはない筈なのだけれど、帯の謳い文句にあるようにどれもが、「まるで最新作のよう」に感じられるというのは確かに読んでみて妥当な評のように思える。つまり、言い換えれば、知っている物語なのにその文字列には新鮮さがある、ということ。そして、これは古典ゆえに起こり得る事なのかも知れないけれど、あれ、こんな文章があったっけ、と虚を突かれたような文章に其処彼処で巡り会う。 例えばエドガー・アラン・ポーの推理小説の古典とされる「モルグ街の殺人」では、デュパンなる安楽椅子探偵的主人公とその友人で物語の筆記者である一人称の登場人物たちの推理を楽しむ訳だけれど、前段に随分と説教くさいことが書いてある。そんな文章があることは覚えていたけれど、かつて恐らく読み飛ばしていたであろうその文章を柴田さんの日本語で読むと、今のご時代に生きるものとして学ぶべき教訓のようなことが全く古びることなく語られていることに気づき、ああやはりポーは真に異才の人だったのだなあ、との感慨も胸に浮かぶ(とは、変な読みではあると、我ながら思うけれども)。例えば冒頭の引用など昨今の機械学習による結果重視の傾向に対する警句のようにも読んでしまうのだけれど、それは穿ち過ぎか。 柴田さんの日本語といえばどうしてもポール・オースターの翻訳が思い浮かぶのだけれど、ちょっと真面目な顔をしながら人を騙すような雰囲気のあるオースターの文章をこなれた日本語に移し換えた如何にも人の良さそうな柴田さんの日本語というのが、自分の中での典型的な柴田元幸節とでもいうもの。けれど、この古典編の翻訳では、元の少々古めかしい雰囲気の英語の文章があるのだろうなと想像させる、生真面目で古風な日本語が並ぶ。最近読んだものの中では「ガリヴァー旅行記」の柴田訳の日本語に近い文章。こんなこと翻訳の超専門家に言うのは大変失礼ではあるけれど、とても真剣に翻訳に取り組んだなという印象がひしひしと伝わってくる。とは言っても、元の作品の文体を反映してのことだから、作品が変わればまた「口調」も変わる。そしてもう少し滑らかな口調の翻訳も当然ある。 『あのサルファー・クリークの男が言っていたが、あれは法螺じゃなかったんだ。なのにあのときは、何を馬鹿な、と笑ってしまった! 物事、あんまり決めつけちゃいけないってことだな』―『火を熾す』 柴田さんがこの作品(「火を熾す」)を翻訳できたことを幸せだと思うとどこかで言っていた記憶があるけれど、この作品の声は、古典的ではなくてもっと現代風。そう、ポール・オースターの翻訳の時の柴田さんの声がする。ジャック・ロンドンってそういう人だったのかという翻訳者のあとがきを読んだ印象も合わせて、短いけれどズシリと沁みて来る作品。単行本に収められている「火を熾す」を読んでいたように思ったけれど、未読だった。そして、二通りのエンディングがあるとは。ジャック・ロンドン、他の作品も是非読んでみないと。
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