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北海道を守った占守島の戦い 祥伝社新書
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北海道を守った占守島の戦い 祥伝社新書

上原卓【著】

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北海道を守った占守島の戦い 祥伝社新書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 祥伝社
発売年月日 2013/08/02
JAN 9784396113322

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商品レビュー

4.2

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2025/08/20

終戦の翳りが濃く漂うなか、占守島の戦いはひとつの異彩を放っています。本書は、停戦交渉の軍使として奔走した長嶋大尉の眼差しを通じ、戦いの緊迫と、その背後に潜む政治の影を描き出します。満州や樺太で次々と敗走を余儀なくされた日本軍が、この小島においてはなお気迫を失わず、驚くほどの善戦を...

終戦の翳りが濃く漂うなか、占守島の戦いはひとつの異彩を放っています。本書は、停戦交渉の軍使として奔走した長嶋大尉の眼差しを通じ、戦いの緊迫と、その背後に潜む政治の影を描き出します。満州や樺太で次々と敗走を余儀なくされた日本軍が、この小島においてはなお気迫を失わず、驚くほどの善戦を示した事実は、読者に深い感慨を抱かせます。 しかしながら、そこに交錯するもう一つの陰影を見過ごすことはできません。当初、米軍の管轄下にあるとして手つかずにされていた択捉や国後。けれど、進駐の遅れを見てとるや、まるで夜陰に紛れる獣のごとく忍び入り、さらにその勢いのまま色丹、歯舞へと版図を広げていきます。その振る舞いには、節度や信義といったものを微塵も顧みない、冷ややかな算段の匂いが漂います。 思えば、日本の敗戦が不可避となったその瞬間を見計らい、中立条約を破棄して突如として参戦した姿勢こそ、彼らの本性を映す鏡でありましょう。時に柔らかに、時に残酷に、己の利益のために動くその姿は、歴史の中で幾度となく繰り返されてきたものです。本書は、そうした人間の欲と計略の冷たさを浮かび上がらせながらも、なお祖国を守ろうとした兵士たちの凛々しさを伝え、読む者に静かな余韻と問いを残します。

Posted by ブクログ

2023/08/21

ポツダム宣言受諾を決定し、昭和天皇が玉音放送を日本国民に向け発した後にも、日本国内において戦闘が続いていたことは最近ではよく知られている。それまでは米英中を主要な敵として戦っていたが満州で対峙していたソ連が、先に降伏したドイツからの引き上げ部隊と共に、終戦間近の8月8日に日本軍へ...

ポツダム宣言受諾を決定し、昭和天皇が玉音放送を日本国民に向け発した後にも、日本国内において戦闘が続いていたことは最近ではよく知られている。それまでは米英中を主要な敵として戦っていたが満州で対峙していたソ連が、先に降伏したドイツからの引き上げ部隊と共に、終戦間近の8月8日に日本軍への攻撃を開始する。日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、日本に対して戦線布告をしたのである。大陸では早くもソ連の大軍に一方的に押されて、満州に暮らす一般市民で逃げ遅れたものは殺戮や強姦の対象となり命を失っていく。間も無く日本は玉音放送の下で武装解除を進めるが、そのような中でも新たに千島列島へ攻め込んでくるソ連との戦いが始まるのである。千島列島は日露戦争その後のソ連との領土交換条約により当時は日本に属しており、当然ながらこれを守る守備隊が配置されている。現地においても武装解除指示のもとで武器の廃棄準備を進めていたところであった。そこへソ連は非情にも攻め込んできたが、 樋口季一郎中将指揮下の第5方面軍に属する堤不夾貴指揮下の第91師団が迎え打つ。三日間にわたり繰り広げられた戦闘であったが、そこは対アメリカ戦に備えて十分な訓練を続けてきた日本軍である。緻密な連携と国を守ると言う強い使命感にある兵士たちはソ連相手に死闘を繰り広げ戦いを優勢に進めていく。然し乍らその様な中でも戦車隊を率いる池田連隊長や将官、兵士たちの死が戦場を覆っていく。 そして停戦するべく日本側が運命を託して送り出した1人の日本兵がいた(実際は従者を含めて数名居た)。彼の名前は長島厚、帝国陸軍大尉である。両軍砲弾の飛び交う戦場真っ只中を突き進む大尉と従兵数名、更にはこれを守る10名足らずの兵士たちがソ連軍陣地へと向かう。散々約束を破り満州でも逃げ遅れた婦女子を殺害してきた信頼できない相手に対し、日本の国運を背負いながらの勇気ある行動。これが突破口となり、その後の停戦交渉へと、ひいては北海道占領という悪夢から日本を救うのである。その戦場での戦闘描写や緊迫感あふれる交渉などは、当時の停戦文書そのものを引いてリアルさが伝わってくる。 結果的にソ連はそれ以降の侵攻をやめ日本占領を諦める。圧倒的な強さを誇る日本軍を相手に、もしそれ以上の戦闘を続けていたなら、更なる損害を出す恐れがあった事、ルーズベルト死去後に大統領となったトルーマンもソ連の北海道分割統治を強烈に否定した事、これら要因が現在の日本の国土である北海道を守ることに繋がっていると考えられる。だが択捉島、国後島、歯舞島、色丹島の北方四島についつは残念ながらどさくさに紛れてソ連が駐留し、その後も占領が続いている。これは余談ではあるが、私が幼い頃はテレビのコマーシャルで「北方四島は日本固有の領土です」と言うフレーズが度々流れていたのを今でも良く覚えている。 いずれにしても、今の日本がロシアと友好関係にあるとはとても言えない。先のウクライナ侵攻以降に更に悪化したのは間違いない。とは言え軍隊でこれを取り戻すことは出来ないし、今後も我が国土を守るという理由で軍事力で制圧することは無いであろう。今は北海道という地が、こうした勇気ある兵士たちの行動により存在することに感謝したい。戦場に散った防人達。我々の平和や幸福は常に先人達の努力と勇気の後に続いているのである。 本書により改めてそれら事実を目の当たりにして、今をもっと大事に生きなければならないと強く感じた。

Posted by ブクログ

2022/06/16

北方四島が 終戦後に取られてしまっている事は知ってはいましたが そこで繰り広げられた 戦いについては知りませんでした。 樋口氏の本と同様にこのあたりの歴史は  殆ど詳しく学んでいませんので読んでみました。 占守島というのは 千島列島の北端である。 ここで8月18日未明、突然ソ連...

北方四島が 終戦後に取られてしまっている事は知ってはいましたが そこで繰り広げられた 戦いについては知りませんでした。 樋口氏の本と同様にこのあたりの歴史は  殆ど詳しく学んでいませんので読んでみました。 占守島というのは 千島列島の北端である。 ここで8月18日未明、突然ソ連軍が侵攻してきた。 もう戦争は終わった 家に帰れると喜んでいた 多くの兵士達にとって 予期せぬ事態であった。 銃器などを外して 処分する準備をしていたにもかかわらず急いで 応戦した。 その結果 地の利などもあったし 日本軍は優勢だった。 停戦をすすめて この戦いを終わらせた。 もし ここで 彼らが命がけで戦わなければ  北海道までも侵略されていたかもしれない。 それにしても なぜ 終戦後にこのような事が起きていたのか。 この戦いに行くまでの流れが書かれていました。 驚く事に アメリカ軍は ソ連軍に武器などを補助していました。 さらに アメリカ軍は ソ連の旗をつけた船でアラスカからウラジオストックまで軍需品を送ったのです。なぜ ソ連の旗をというと 当時 ソ連と日本は中立条約を結んでいたので 撃てないとわかっていたからなのです。 島での戦いにおいて 日本兵は誰かれ構わず 負傷者を手当てしたけど  ソ連兵は戦死した日本兵の持ち物を取り 捕虜を射殺した。 停戦後 日本兵は 捕虜となったけど 死者を弔うことはさせてもらえなかった。 だから 当時の死傷者の数が はっきりわからないそうだが 日本側の 推測では この戦いの主唱者は ソ連の方が 甚大な数だったようです。 なぜ日本が圧倒的に優位だったかというと この島をしっかり把握していたというのが 一番の事らしいです。 この戦いには有利でしたが  日本兵は 抑留され シベリアと ヨーロッパへ 送られた。 この抑留は 「日本軍隊は完全に武装を解除されたる後、各自の家庭に復帰し」と 謳われているポツダム宣言弟9条に違反する行為である。 そしてこの戦いのすぐ後には 協力して日本を攻めていた アメリカとソ連の争いが始まっていた。 当初  択捉島から南はアメリカ軍の担当だからわが軍は手を出さない。という事だったがアメリカ軍が 進駐していないことを知ったとたんに 入り込み四島を 占領してしまった。 北方四島がどうして今の状況になったのか わかる本でした。 本の中では 日本兵は負傷したソ連兵を手当てしたが ソ連兵は・・・と書かれていましたが 反対の事もあったと思います。 戦時下で 常に 正しい行為を行える人は 余程精神力が強くなかければ出来ないと思います。 何が悲しいって この 侵略行為がなければ 終戦後に 家族の 所に帰って 一緒に暮らせただろうという多くの人が 散ってしまった事です。 多くの日本兵は 戦争が終わった~家に帰れる!、と、心から喜んでいたのに。 終戦から70年。 軍国主義だった 当時のように 戦いに勝った人を褒め称えるのではなく 日本という国を守って 命を亡くした人達が いることを きちんと 伝えていく必要があると思います。 そして もう二度とこのような 戦争がおきないように 戦争をするという事は どういう事なのか 知る必要があると 思いました。

Posted by ブクログ