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近代日本の官僚 維新官僚から学歴エリートへ 中公新書
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近代日本の官僚 維新官僚から学歴エリートへ 中公新書

清水唯一朗【著】

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近代日本の官僚 維新官僚から学歴エリートへ 中公新書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 中央公論新社
発売年月日 2013/04/25
JAN 9784121022127

近代日本の官僚

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商品レビュー

4.4

17件のお客様レビュー

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2025/01/25

明治政府誕生から大正デモクラシーまでの官僚史。幕末の志士たちを中心とした維新官僚から藩閥官僚、帝国大学を卒業し立憲主義を近代国家の理念として捉える学士官僚への世代交代は政党政治の発展に大きな影響を与える。桂園内閣期の相次ぐ政権交代により官僚は党派性を帯びるようになり、遂には官僚出...

明治政府誕生から大正デモクラシーまでの官僚史。幕末の志士たちを中心とした維新官僚から藩閥官僚、帝国大学を卒業し立憲主義を近代国家の理念として捉える学士官僚への世代交代は政党政治の発展に大きな影響を与える。桂園内閣期の相次ぐ政権交代により官僚は党派性を帯びるようになり、遂には官僚出身者が党人として政党内閣の下で閣僚を務めるに至る。

Posted by ブクログ

2021/05/27

明治から大正初期の官僚と国の成り立ちについての書籍。 儒学理念に裏付けられて前例踏襲・変わらないことが求められた時代において、人々が如何に伝統を変えていったかが描かれている。 そのきっかけとして大きな役割を担ったのが洋学である。1870年に洋学教育機関として設立された大学南校(...

明治から大正初期の官僚と国の成り立ちについての書籍。 儒学理念に裏付けられて前例踏襲・変わらないことが求められた時代において、人々が如何に伝統を変えていったかが描かれている。 そのきっかけとして大きな役割を担ったのが洋学である。1870年に洋学教育機関として設立された大学南校(東京大学の前身)での学び、留学を通して得られる知見の重要性がある。本書では大学で学ぶ学生の闊達な雰囲気が描かれているが、読んでいて大変心地よいものがある。また、1882年には伊藤博文が憲法調査団にて諸外国の制度や知見を吸収して日本の制度改善につなげている。 現在の日本は前例踏襲に縛られ、新しいことに挑戦できていないのではないだろうか? 諸外国と比して、科学に基づかず、場当たり的な対応をしているのではないだろうか? 1917年に内務省に入省した安井の以下の文章が刺さる。 「自己の内部にあるものが何の方向に向かいつつあるか、また向かうべきものであるかを了解せずしていたずらに新しそうなものに目が眩んでいる日本は誠に危険なものだと思う。日本に内在している生命が何であるかを確かめて、これを新しい文字と組織とに実現化していくことを考える政治家は賢明なる政治家であって、忠良なる国民である。」

Posted by ブクログ

2018/11/04

明治期から大正にかけての政治家、行政官など、人に焦点を当てて、その変遷について述べられた本。極めて精緻な研究に基づいている。特に、明治維新からの歴史の流れに沿って政治・行政の体制を明確に示していること、人材育成について詳しく調査されていること、中央と地方との関連性についても述べら...

明治期から大正にかけての政治家、行政官など、人に焦点を当てて、その変遷について述べられた本。極めて精緻な研究に基づいている。特に、明治維新からの歴史の流れに沿って政治・行政の体制を明確に示していること、人材育成について詳しく調査されていること、中央と地方との関連性についても述べられていること、政治家と官僚との関係の分析が精緻なことなど、その分析・研究は深く、勉強になることが多かった。すばらしい研究書である。 「伝統的な世界で生きる者にとって、藩を捨て、藩主を捨てて新政府に仕えることは背信行為と映る。新政府の官僚たちは能力ではなく、その軽い行動ゆえに地位を得たという否定的な見方が嫉妬と羨望が深く交錯しながら存在していた」p41 「(貢進生制度)人を集め、競争によって学び進めることがなければ、わずか一度だけの実施でこれだけの成果は得られなかっただろう。近代日本の出発点における大きな成功といってよい」p69 「幕藩体制による長く安定した身分秩序のもとで暮らしてきた上士たちにとって、洋学を学ぶことは彼らの領分から外れた行為であった。佐久間象山がいうように洋学は実学と理解されていた。それは算術と同様に実務に携わる上士が学ぶものと映り、上に立つ者に求められるのは技術ではなく道徳であるという考えに立てば、上士には不要の学であった」p73 「大久保利通はイギリスを訪れた際に、議会政治で知られるイギリスを支えているのは優秀で安定した官僚機構であることを理解し、このことに深い感銘を覚えた。突出した政治家だけでなく、堅実な知識、技術を持った官僚が登用され、両者の協働関係を築いていくことが、この改革の本旨であった」p132 「徴士制度で人材を集め、大学南校で人材の育成に力を入れてきた明治政府であったが、諸藩からの勢力が定着するにつれて旧知縁故の人脈を頼った情実人事が横行し、無能な官僚が大量に政府に寄生していた。非効率で不公正な人事は非難の的となり、民権派は試験任用制の導入を主張した」p149 「人材登用の制度を整備し、不要な人材を放逐し、有用な人材を集める途を開くことが求められた」p161 「(明治中期)首相の地位は権限なくして責任ばかりを問われる面倒な役回りとなり、内閣が崩壊するたびに、誰が首相となるかではなく、誰ができるかという責任の押し付け合いが繰り広げられた」p219 「山県をはじめとする幕藩政治家たちは、議院内閣制を認めるかたちに憲法が改定され、政府が議会に支配されることを恐れた。ベルギー流の立憲議院内閣制が導入されれば、同時代のスペインやギリシャのようにポピュリズムが蔓延し、人気取りの政策が横行した結果、取り返しのつかない事態が生じるのではないかという危惧である」p224 「(明治末期)議員は名誉的に一期だけ務める者が多く、地方の名士であるといっても政策知識は皆無であった。彼らは自己の利益に関するものに拒否権を発するばかりで、自ら積極的に国政に臨む気概は持っていなかった」p263

Posted by ブクログ