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オウム事件17年目の告白
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 扶桑社 |
発売年月日 | 2012/12/15 |
JAN | 9784594067496 |
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オウム事件17年目の告白
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事件の当事者主軸であった著者による回顧です。事件の本質を当事者が分析しています。また事件後の活動についても、著者の視点で述懐しています。一方の主軸である、三女の著作も読みましたが、その後の行動として互いに矛盾するところもあり、どちらが正しいのか分かりませんが、著者の主張の方が具体...
事件の当事者主軸であった著者による回顧です。事件の本質を当事者が分析しています。また事件後の活動についても、著者の視点で述懐しています。一方の主軸である、三女の著作も読みましたが、その後の行動として互いに矛盾するところもあり、どちらが正しいのか分かりませんが、著者の主張の方が具体的のようにも感じ、明らかのようにも思います。本事件の本質を著者は「真面目さ故の行動」で「結果は不幸」であったとされていますが、これは誰にも起こりうることで、自戒の気持ちを持ちました。一方で私自身は当時も今も行き過ぎた行動のようにも思いますが、それは報道でしか知らないソトの人の一般的な感じ方なのかもしれません。 その後著者は結果責任を負い行動されて、それは当然の行動と私は理解し今後も誠実に行使してほしいと思います。
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地下鉄サリン事件が発生した時、私は中学生でした。 朝から晩まで、あのセンセーショナルな事件に、ニュースはすべてオウム関連、 当時通っていた学校でも麻原彰晃の奇抜さに、麻原をネタにするカラかいが私の日常を覆っていました。 全く自分とは「関係ない」事件として。 ここ数日、改めてオウ...
地下鉄サリン事件が発生した時、私は中学生でした。 朝から晩まで、あのセンセーショナルな事件に、ニュースはすべてオウム関連、 当時通っていた学校でも麻原彰晃の奇抜さに、麻原をネタにするカラかいが私の日常を覆っていました。 全く自分とは「関係ない」事件として。 ここ数日、改めてオウム事件の歴史的を考えていました。 たまたまサリン事件の日が近かったこと、またYOUTUBEのお勧めに当時のニュース映像が流れてきました。 この書籍は、オウム真理教の広報官だった上祐史浩が、サリン事件の17年後に、 オウムとは何だったのかを総括したモノです。今回、改めて、オウム事件は、「私に関係ある」と思いました。 つまり、あの事件は他人事じゃないと思いました。 ここ数日、オウム関連の書籍や映像を見ていました。 ①上祐史浩のこの書籍 ②オウムの後継団体であるアレフの代表の野田成人が書いた書籍 ③上祐史浩がひかりの輪で行っているYOUTUBEの動画、 ④オウムの信者だった人の告白記、 ⑤オウムの脱洗脳を行った苫米地英人のYOUTUBE動画 以上を参考に、オウム事件とは何だったのか、またどのように今の日本に関連しているのか、 考えていました。 私の結論から言えば、今の日本は、日本社会も、日本人も、「オウム化」したのではないか、 その危惧を非常に思いました。オウムというものを、日本社会が生んだ、私達と関係したモノと、 考えず、頭がおかしいテロリスト集団と断定し、日本社会から積極的に排除してきたことは、 百害あって一利もなかったように思います。 「オウム化」とは、複雑な物事や社会の事象を、それが善か悪かのような極端な二元論で考えて、 自分が自ら考えた思考や経験から導き出したモノではない考え、つまり第三者からの評価や教えを「絶対的なモノ」「批判できない強固なモノ」と考えてしまうことです。この「オウム化」に、今の日本人が陥っているように、私は思います。 80年代から90年代にかけて、麻原が当時の日本社会に対して、疑問や生きにくさ を感じた多くの若者を組織化したのがオウム真理教だった。 外部環境とは隔絶した空間で、その若者達へ、二元論的な価値観を、身体的な感覚を伴いながら、 ヨガ教室の一つのプログラムとして、麻原が独善的に教示をしていた。ただ、オウム真理教の教義は、 当時ニューアカデニズムの有名な学者、宗教家も絡んだいたという。その教義の論理性の、最高学府のインテリでさえ共感をしていた。 そういった麻原の教えやオウム真理教の教義に当時の若者は非常に共感した。 少なくない若者が、日本社会が当時世界でも稀にみる物質的な豊かさの頂点を極めて、その社会状況に虚しさを感じて、社会に自分の居場所がないという疎外感を感じていた。物質的ではない、何か精神的な豊かさをもとめていた彼らに、麻原の独善的な考えは非常にマッチした。 当時、日本社会は、新宗教ブームが起こり、テレビ、マスコミが、その奇抜さを取り上げて、 多くの人が、面白おかしく認知していった。まさか、その裏で、 本当に日本転覆を企んでいるとは、夢にも思っていなかった。 そのノリが、日本至上最悪な犯罪者集団=オウムを生む土壌となっていった。 今現在の日本には、そんな集団は、表向きにはないが、 ただ、当時も今も、多くの人が、二元論的な価値感を提示してくれる何かに、悪魔的な魅力を感じるのは、 変わっていないと思う。つまり、集団はないに等しいが、オウムのメンタリティーを持った個人は、 この20年で一般的になっているのではないか? 個人のオウム化は、ネットが普及した今だからこそ、加速度的に進んでいるのではないかと思う。 特に今はスマホで、自分が好きなモノをいつでも、どこでも、疑似的に享受できる。 嫌いなモノは、すぐに削除できる。自分が好きなものを、 ひたすら享受できる。 YOUTUBEを見れば、いつでも、どこでも、 自分に対して、聞こえのいい内容が喧伝されている。 このような生活で二元論的な考えにならない方がおかしいのではないか? 現代の生活を普通にしていれば、誰も、彼もが、オウム化するのが必至なのではないか? オウム事件は、日本社会から彼らを排除して、終わったのではなく、 オウム的な何かが、浸透していったと思う。 この20年で、日本人自体が、オウム化したのではないかと、非常に危惧する。 自分の思い違いならば、いいが、実は、今、オウム事件を考えることが、 私達にとって非常に意味あることだと思う。そうしなければ、 オウム事件の歴史的な教訓を抽出することができず、 不幸にもこの20年でオウム化した私達が、この日本社会を、 皮肉にも、再度、ぶっ壊しているように思う。 今度は、合法的に、そして、確実に。
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オウム真理教の幹部として広報活動にあたり、その後逮捕懲役をへて、オウムへ復帰。そして脱退してひかりの輪を立ち上げる。上祐史裕氏が事件の事や、教団との関わり、そして現在を語った本。 当時ワイドショーを見ていた時は、この人はあまりサリン製造の事などについては知らないのかと思っていた...
オウム真理教の幹部として広報活動にあたり、その後逮捕懲役をへて、オウムへ復帰。そして脱退してひかりの輪を立ち上げる。上祐史裕氏が事件の事や、教団との関わり、そして現在を語った本。 当時ワイドショーを見ていた時は、この人はあまりサリン製造の事などについては知らないのかと思っていたが、ほぼすべての事を知っていた事実に驚いた。そして男性の一番弟子だった事も。 宗教に生きる人が、どんな思考を持って生きているのを知れる、とても面白い作品でした。
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